カテゴリーアーカイブ:災害復興

ケア付き仮設

2013年3月14日   岡本全勝

3月12日の読売新聞夕刊が、ケア型仮設住宅を解説していました。釜石市平田(へいた)地区の仮設住宅団地です。高台の運動公園に作られた、240戸の大団地です。
その一画60戸が、高齢者や障害者用に作られています。プレハブ住宅の間の通路に木製デッキが渡してあって、玄関を出るとデッキになります。すなわち、車いすで出入りできます。また、その上には屋根をかけてあるので、雨の日も大丈夫です。
そして、サポートセンターと診療所が、併設されています。このサポートセンターは、今回のヒット作です。ここでは民間企業が運営していて、朝夕に各戸を見回るほか、買い物代行や配食サービスも行っています。
3県で115か所作りました。新しい町がつくられる際も、この機能は必須です。記事にも指摘されているように、いろいろな課題もあります。行政だけで行うのには限界があり、住民の自助努力やNPOの協力が重要です。

この2か月間の仕事

2013年3月13日   岡本全勝

今日13日、衆議院予算委員会で、復興に関する集中審議が7時間行われました。
昨年暮れに新政権になり、2か月余りが経ちました。内閣発足と同時に、復興に関して総点検の指示が出ました。職員と一緒に年末年始を返上して、課題を抽出しました。1月10日に官邸で復興推進会議を開き、総理からいくつかの指示(体制強化、予算枠の見直し、住宅再建目標明示、福島早期帰還プラン作成)をもらいました。
1月29日にも復興推進会議を開き、福島・東京2本社体制を決め、5年間で25兆円の予算枠としました。他方、1月15日に補正予算、1月29日に当初予算を決め、新しい交付金などを盛り込みました。
2月7日には復興推進委員会から提言が出され、3月6日には与党から緊急提言が出ました。3月7日には、再び復興推進会議を開き、福島早期帰還プラン、住宅工程表などを発表しました。8日には、福島特措法の一部改正法案を国会に提出しました。その間、2月17日には福島で国と地方との協議会を開き、また随時、住民意向調査を公表しました。
総理からもらった指示は、ひとまず回答を出しました。今日の国会質問では、これまでに決めた施策を、お話しすることができました。もっとも、方針や計画を決めたのであって、これからそれを実行しなければなりません。また、まだ答えていない課題についての、質問も出ました。
この2か月余り、職員は、よく働いてくれました。出先機関を入れて300人の所帯です。各省からの寄せ集め部隊で、これまでにない仕事を、こなしてくれています。
朝早く出勤すると、いすの上であるいは机にうっぷして、寝込んでいる職員がいます。今朝は、早朝の大臣答弁勉強会が終わった時に、大臣会議室のいすで寝込んでいる職員を起こしている同僚がいました。「おい、大臣レクは無事終わったぞ」と。当の本人は、それでもしばらく「意識不明状態」でした。答弁完成時間を見ると、25時(深夜1時)とか28時(朝4時)といった時刻が書かれています。申し訳ない。
「岡本統括官の弁当を邪魔する会」「岡本統括官の帰り際に仕事を持ち込む会」も、許すしかないですね。
職員に「ありがとう。ごくろうさま」と言いつつ、いくつも次の仕事を指示しました。私は、「悪い上司」です。

震災をきっかけに変える社会

2013年3月11日   岡本全勝


3月9日朝日新聞オピニオン欄、臂(ひじ)徹さん(おらが大槌夢広場事務局長)の発言から。
・・・過疎や貧困など社会問題解決を仕事とする「ソーシャルビジネス」の人材の密度は、今の被災地で、日本にかつてなかったくらい高くなっています。
元々、消防団や自治組織など「社会的責任」の意識が高い地域に、外から事業化のノウハウを持つソーシャルビジネスの人材が来た・・
官民の関係も変わりました。役場は復旧作業で手いっぱいで創造的な仕事はできないし、支援に来たNPOの対応をほとんどできず、「おらが」がその受け皿として、おびただしい人脈を築いた。元々官尊民卑な土地でもあったし、行政は町民を信用していませんでしたが、震災後は、町民が日本のどの地域にもないくらい「知恵袋」を持ち、成長しています・・
震災だけでは社会は変わりません。でも、変える力と継続があれば変えることができます。若い力に期待しています。

3.11二周年

2013年3月11日   岡本全勝

今日は3月11日、発災から2年です。国立劇場では、政府主催の2周年追悼式が行われました。また、夕方には、総理の記者会見もありました。新聞やテレビは、記念の記事や番組で一杯でした。
NHKはインターネットで、記者の報告を連載しています。
2年前の3月11日を忘れてはなりませんが、私たちの仕事は復興を進め、被災者の生活をできるだけ早く元に戻すことです。
先日からこのページに書いていますが、多くのところで工事が始まっています。また、住宅建設の地区別予定も、示しました。原発被災地での復旧は、遅れています。賠償の支払いを急いでもらい、除染と復旧を進めなければなりません。来年の3月には、「これだけ進みました」とお示しできるように、関係者の協力を得てがんばりましょう。

大震災は日本を変えるか、2

2013年3月9日   岡本全勝

私が「変わらなかった」と主張するのは、次のようなことからです。
現実として、日本社会は変わりませんでした。明治維新や戦後改革のような、社会構造や国民の意識に大きな変化はありませんでした。
一つには、被災地域と人口が限られていたからです。大きな災害でしたが、東北3県の人口は全人口の5.5%でした。
変わったとすると、被災地での絆が強まったとか、ボランティア活動や企業の社会的責任がより認識されるようになったことが、挙げられます。また、防波堤だけでは守ることはできない、自分の命は自分で守る、逃げるということがわかりました。
この災害をきっかけに社会が変わるためには、「変える努力」が必要だと思います。統治者が変わるような革命は、民主主義の日本では想定しにくいです。
しかし、社会がじわじわと変わることはあります。少子高齢化で、家族の形態は変わりました。介護保険で、高齢者の面倒を見る形も変わりました。それらと同じように、ボランティア活動の広がりが日本社会を変えていくでしょう。若い起業家が増えることで、産業や若者の労働観が変わるでしょう。
アメリカで、寄付文化やボランティアが活発なのは、キリスト教文化とともに、ベトナム戦争反対と若者の反乱(カウンター・カルチャー)によって、優秀な若者がエスタブリッシュメントに対抗して新しい生き方を選んだからだと聞いたことがあります。
日本社会を変える。そのためには、「若者の挑戦」が必要です。待っていても、革命は起きません。