カテゴリーアーカイブ:行政

政府論

2006年4月5日   岡本全勝
14日の読売新聞「再点検小さな政府論。官民のありかを問う1」は、佐々木毅先生と山崎正和さんのインタビューでした。佐々木先生の主張は次のようなものです。
「『官から民へ』が民万能論や『民イコール善』という民性善説と混同されると、本来必要なルールの問題が見失われてしまう」「民が競争する市場にルールがなければ、悪貨が良貨を駆逐するということになりかねない。民に大きな自由を認める社会は、その分、法律や規則を細かく整備することをセットで考えるべきだ。ルールを作ったり監視をしたりするには結構人手もいるし、お金もかかる」
「官が公的な役割を独占した時代は終わり、日本は民も公の一部を担う社会にすでに移っている。官はこれまで『おれたちの言うことが公だ』と考えてきた。しかし、公は官民の区別を超えた、より上位の概念であるという考え方で物事をとらえなおした方がいい」(3月14日)
15日は佐和隆光京大教授とロバート・トムソン英ザ・タイムズ主筆による、市場主義の行き過ぎやサッチャリズムについてでした。17日は松原隆一郎東大教授と増田寛也岩手県知事による、公共分野を民間に委ねることの是非についてでした。(3月18日)
読売新聞「再点検小さな政府論。官民の在り方を問う」は、18日は桜井敬子教授と中村靖彦さんによる建築確認、食の安全問題という「安全に関する検査」についてでした。20日は、清成忠男教授、垣添忠生さん、戸塚洋二さんによる大学教育、先端医療、基礎研究といった「将来への投資」についてでした。(3月21日)
読売新聞の連載「時代の証言者」「国と地方、石原信雄」が、23回で完結しました。最終回の5日は、「地方に責任持たせる時代」でした。
「改めてこの国のかたちを考え込みます。特に気になるのは官僚のあり方です。振り返ると、たしかに、敗戦の中から国を再建して先進国になるまでの過程では、役人が輝きました・・・役人が輝いたのは、分担管理の原則を機能させ、各省が自分の責任を果たせば良かった時代だったからです」
「しかし、もうそれは通用しません。私が官邸にいた90年代前半、『主権国家としての日本』『国際社会の中での日本』が問われたのを境に、各省は連携して国全体で考えなければならなくなった。自分の省だけ走れば済んだ時代が終わったのです」
「これからの役人をどう考えればいいのでしょうか。大いに勉強させ、国際社会に生きる日本全体を考え、そのための政策立案能力をつけさせることです」
「地方との関係を考えれば、さらに変化します。国のあり方として、内政はもはや地方に責任を持たせるべきです・・・道州制に向けて分権を進めるなら、内政を担当する役人の大部分は地方公務員として活躍すべしと頭を切り換えなければなりません」
「政治家と幹部公務員には、これらを国の統治構造の問題として考えてほしいのです」
青山彰久記者、良い連載をありがとうございました。

官僚は優秀か

2006年3月14日   岡本全勝
14日の東京新聞「即興政治論」に、外務省参事官を辞め家業を継いだ、宮家邦彦さんのインタビューが載っていました。「霞ヶ関を離れたからこそ見えてきたものは」という問に対して、「一番おもしろかったのは、役人は頭がいいと役人自身が錯覚していること。ところが、おっとどっこい。企業の取締役以上くらいの人は、役人よりも上。競争がなく、止まり木のある鳥よりも、全速力で飛び続けないといけない鳥の方が体力も知力もあります。お恥ずかしいけど、難しい試験に通った官僚は賢いんだと思っていたけど、22、3歳の時にたった一回の試験で受かったからといって『それがどうした』なんですよ」
後輩へのメッセージは、「優秀な人もいっぱいる。自信を持ってやってください。その代わり、逃げないでください。役人は期待された役割を果たさないで逃げることが多い。そして責任を取らない。普通の会社で経営者が逃げたら、会社がつぶれるけど、役人は逃げた人が偉くなる。そりゃそうですよ。役人の世界は減点ゲーム。いくら儲けましたということはない。チョンボしませんでした。はいすばらしい人ですねと・・」

国会と内閣

2006年3月7日   岡本全勝
国会での質疑を聞いていて、新聞記者さんから「ああいう答弁しかできないのですか」と、聞かれる場合があります。
その一つが、犯罪に絡むものです。刑事事件にあっては法務省刑事局長、国税の脱税事案にあっては国税庁次長、選挙・政治資金違反にあっては選挙部長が呼ばれます。よくある答弁の型は、「個別事案についてはお答えできませんが、一般論としては・・」です。何度聞かれても、この答弁が繰り返されます。
既に起訴されたようなものであれば事実を答えられるのですが、捜査中であったり、まだ事件になっていないものについては、このような答弁しかできないのですよね。守秘義務があったり捜査に支障が出るので。特に選挙にあっては、総務省は形式審査(書類がつじつまが合っているかどうか)しかできず、捜査権はないのです。
もう一つは、選挙制度・政治資金制度のありかたについてです。選挙活動にはポスター・ビラなど、いくつもの決まりがあります。インターネットを使って良いかとかも、議論になっています。その際に、国会議員が、総務大臣や選挙部長に、選挙制度のあり方について質問することがあります。
たいがいの場合は、「国会議員の選挙に関することは、各党各会派でご議論いただき、結論を出していただきたい」としか、答えられません。
公職選挙法や政治資金規正法は総務省が所管になっていますが、これは他の法律と違って、総務省や内閣が一方的に改正して良いものではありません。なぜなら、国会議員の選出の方法を内閣が決めることは、三権分立から見て避けるべきと考えられるからです。総務省にあり方を聞くのは、国会議員が「内閣に私たちの選出方法を決めてくれ」と言っているようなものなのです。いくつか例外がありますが、選挙制度の改正は、議員立法で行われます。当然のことです。総務省がこれらの法律を所管しているというのは、その実施についてです。(3月1日)
7日の朝日新聞では松田京平記者が、「道州制なぜ必要」を解説していました。「道州制のもとでは、国と地方の役割分担はどう変わるのか。国の仕事は外交や安全保障などに限定される。補助金の配分や陳情受けは、官僚や国会議員の仕事から消える」。だからこそ、この改革に官僚は反対するでしょう。
「かわって都道府県よりも広い圏域をカバーする道州が、それぞれ税金を集め・・。ところが、今回の答申は、都道府県の再編に出発点を置いた・・。中央省庁の再編には触れてもいない」。その通りです。道州制は地方行政改革ではなく、国の改革なのです(このHPでも、「地方行政」に分類したり、「政と官」に分類したり、悩んでいます)。
日本経済新聞は、「分権のデザイン、知事アンケートから」を書いていました。ここでは、道州の区割りについて各知事の思惑が異なる点を強調していました。知事に区割りを任せれば、なかなかまとまらないでしょう。知事の意見を聞きつつも、国として線引きをするのが良いと思います。衆議院小選挙区の区割りも、有識者が地元の意見も聞きつつ審議会で案を作り、国会で決めています。どのように線引きするかも重要ですが、それに議論の重点を置けば、本質を見失います。反対派の思うつぼですね。
また、ある国会議員の意見です。「道州制になれば、参議院は各州代表にすればいいので、各県の一票の格差は問題なくなるね」
6日から、読売新聞「時代の証言者」は「国と地方」というテーマで、石原信雄元官房副長官のインタビューが始まりました。
「官邸にいた7年間、自分は何を問い続けていたのかと考えることがあります。この国のかたち、分権型国家の実現、内閣機能の強化、縦割り官僚支配構造の克服といってもいいかもしれません・・・」
1994年に村山内閣が、地方分権推進大綱を、各省の反対を抑えて決めたことについて、「多くの人には理解しにくいかもしれませんが、日本の内閣では事務次官会議で合意できない案件は閣議に上げないのが慣例でした。なのに次官会議を通過していないものを閣議で確認してしまったのです。地方分権という国のかたちにかかわる問題を、内閣主導で決めたわけです。私にとって、あのような閣議は初めての経験でした」(3月6日)
読売新聞「時代の証言者」、7日は「国と地方、石原信雄」2でした。「国のかたちを決めるのは、内閣であって、霞ヶ関の官僚ではありません」「『国のかたち』を考える時、中央と地方の関係が非常に重要です。今の分権改革の流れは、89年に発足した海部内閣のころに始まっていたと思います・・・。問われたのは官のあり方です。これが一方では規制改革の政策になり、もう一方では中央と地方の関係になって『地方にもっと権限を渡すべきだ』という改革になったのです。国の役割は何か、地方の役割は何かという問題です。国と地方のあり方とは、国家の統治機構そのものなのです」

道州制

2006年2月17日   岡本全勝
地方制度調査会(総理の諮問機関)が、道州制の議論を進めています。また、自民党では北海道での道州特区を議論しています。各紙が報道していますが、17日の朝日新聞松田京平記者の解説が、よくまとまっていました。その見出しは、「権限移譲、霞ヶ関の壁」「北海道特区に各省反発」です。
今回議論されている道州制は、都道府県の合併でなく、国や国の出先機関の仕事を道州に移管することを主な内容としています。そして国は、地方ができないことに特化するのです。市町村合併が進み、県の合併と国からの権限移譲を進める条件が整いました。
もっとも、対象となる各省は、大反対をするでしょう。すでに北海道開発局は、北海道特区に対し反対を表明しています。でも、北海道開発局って、本州・四国・九州では県がやっている仕事を、国の出先がやっているのですよね。道庁に移譲できない理屈を述べることは難しいでしょう。
仕事がなくなる組織が改革に反対するのは、さほど驚くことではありません。「反対するな」という方が無理です。まな板の上の鯉に、「あんた切ってほしいか」と聞いているようなものです。誰か第三者が、決めるしかありません。それは政府であり、国会です。
民間企業では競争が淘汰してくれますが、行政組織は「声が大きいと」温存されます。近年、いやというほど見てきましたよね。官僚が、国民の利益より、自分たちの利益を優先することは。

行政減量会議

2006年2月12日   岡本全勝
行政減量会議での議論が、進んでいます。9日の日経新聞が、要領よく整理していました。重点削減分野(業務)を選ぶ作業で、すでに決めた8分野(農林統計など)に加え、7業務(官庁営繕など)を追加し、さらに4業務(国税・特許など)を検討対象としました。
これまでの定員削減が、全省庁一律に、人を減らすことに重点が置かれていたのに対し、今回の方法は重点業務を絞って行うことが特徴です。「全省庁一律」に対し「重点分野」、「人減らし」に対し「業務減らし」です。業務を減らさない限り、人は減らすことができないのです。
官僚が行う査定(予算・業務・人員)には、限界があります。財務省主計局も総務省行政管理局も、各省の反対を押し切って厳しい削減を押しつけるだけの権限と権威は持っていません。
各省の官僚は、予算・人員・権限を増やすことが目標の一つ(評価の基準)でした。減らすなんてことは、もってのほか。「わが省のこの業務は不要だから廃止しよう」と思っていても、そんなことは言えません。各省の官房が飲めるのは、「うちだけが削減されたのではない、横並びだから」という案です。
官僚に任せず大臣が査定をしても、同様です。各省大臣は対等であり、閣議で拒否権を持っています。内閣制にあっては、総理のリーダーシップがない限り、大胆な削減は難しいのです。
また、与党の政治主導も働きにくいです。各省・各業務分野に族議員がいるので、個別分野削減には抵抗します。党内での合意形成は難しいです。
いつも言うように、官僚主導・族議員政治ができたのは、右肩上がりだったからです。一律削減・シーリング方式は、その象徴です。よって、今回は、民間有識者による会議を使っています。問題は、これが実行の段階になったときです。当然、対象となった省庁、族議員は強く抵抗するでしょう。権限はそのままで補助金だけをなくすという三位一体改革ですら、ああだったのですから。有識者会議には、削減を実行するだけの権限と権威はありません。もちろん民主主義社会で、審議会がそこまで力を持つのは問題です。ここでも、「改革派」対「官僚・族議員・業界」の戦い、総理のリーダーシップ、各閣僚のセンスが見えるでしょう。
さて、日経新聞も指摘していましたが、業務を廃止縮小しても民間委託・独立行政法人化をしては、人件費が委託費に変わるだけで効果は少ないです。完全に廃止することが無理な業務も多いでしょう。直営から切り出したときに効率になるかどうかは、競争があるかどうかによります(拙著「新地方自治入門p245)。