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行政

省庁改革5周年

今日6日で、省庁改革から5年がたちます。日経新聞は「行政効率化、道半ば」「政治主導進む」を書いていました。もう5年もたつのですね。拙著「省庁改革の現場から」では、第2章で「何が変わるか」を、第4章で「残されたこと」を整理しておきました。それに沿って、現段階での進捗状況・効果を簡単に評価しておきましょう。
(仕組みの改革について)
1 省庁再編は、円滑に進んだ(官僚は抵抗しなかった)。
2 内閣機能の強化は、特に、経済財政諮問会議が効果を発揮した。内閣官房・内閣府については、まだ評価は定まらない。
(運用の改革について)
1 政治主導については、小泉総理により、官僚主導から政治主導へ、政治家(のバラバラ)主導や党との二元主導から官邸主導へ、大きく進みつつある。
副大臣・政務官の機能については、まだ評価は定まらない。
2 縦割り行政の弊害除去については、官邸主導で改善されつつあるが、評価は定まらない。
(行政改革について)
1 スリム化については、課の数・定数削減など決められたことは進んだ。さらに、定数削減については、厳しい目標が立てられた。
2 独立行政法人化も決めた以上に進み、予想以上に非公務員化が進んだ。ただし、国費の削減効果、効率化についての評価は、まだである。
3 公務員制度改革については、いったん頓挫した。
4 省庁改革では国営とされた郵政事業が、民営化されることとなった。また、政府系金融機関の整理など、新たな大きな行政改革が進められようとしている。
5 政策評価は着実に運用されているが、これの効果はまだ定まっていない。
新たな行政改革を実行するため、再び各省から職員が、虎ノ門の第10森ビルに「招集」されています。このビルは、省庁改革の時に事務局を入れるために借り上げたのですが、その後の行革、郵政民営化、そして今回の行政改革と次々と事務局が入り、「内閣官房改革別館」になっています。

官僚の責任2

19日に書いた行天豊雄さんの反省について、「地方財政対策も、同じだったんじゃないですか」と指摘を受けました。1990年代の不況期に、国は景気刺激のため、地方団体に対して、どんどん公共事業・地方単独事業をするように勧めました。もちろん財源はないので、地方債や交付税特別会計で借金をする。将来の交付税を返還財源とし、当面は利払いだけをする(地方債はちゃんと元金も返済していますが、それより大きい額の地方債を新たに発行していたので、同じようなものです)。
この場合、登場者は大蔵省と自治省でした。そして、国は、財政規律を失いました。しかし、地方はそれ以上に、自治の規律(自分の負担の範囲で仕事をする)を忘れることになったのでしょう。「これしかなかったのだ」というのが、弁明だと思います。私も同罪です。(10月21日)
古くなりましたが、日経新聞は12月5日から8日まで、「官を開く」第3部「公務員はどこへ」を連載していました。「誰でも成績優秀。ムダ放置、遠い能力主義」「身分保障の幻想。摩擦恐れリストラ封印」「未来描けぬ霞ヶ関。変化に遅れ、人材流出」など、新しい時代の公務員のあり方を論じています。
ここに見られるのは、官僚に求められることの変化とそれに応えていない官僚、官僚が特別だという考え方が通じないことなど、これまでの官僚論とは違った角度・中身の議論が進んでいることです。

審議会政治の終焉

25日の朝日新聞では、「首相の下、強まる官邸主導」「省庁の審議会、埋没」を解説していました。委員がわいろをもらっていた中央社会保健医療協議会の「地位低下」は論外ですが、政治主導の政治になるなら、審議会はお役後免になるはずです。
ある分野の政策を決めることや、利害対立する政策を調整することは、本来、政治家の仕事です。それを官僚が行い(政治家が逃げ)、官僚が決めるのでは国民が納得しないので審議会の形を借りる(実質は官僚が原案を書く)、というのが審議会です。
審議会にはもう一つ、法律を施行する際に専門家が事実認定をする「審査会」というグループがあります。航空・鉄道事故調査委員会とか、恩給審査会とかです。不服審査や行政処分に関与するものです。これは審議会と名が付いていますが、審議会とは別物で、「良い審議会」です。問題となるのが、政策を審議する審議会で、これが「悪い審議会」です(詳しくは拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』2001年2月号、7月号をご覧下さい)。
大臣が政策を決定する際に、専門家の意見を聞くことは悪いことではありません。審議会という「権威」を借りて、責任をそこに預けてしまうことがいけないのです。専門家の意見を聞くなら、個別に聞くか、勉強会を作ればいいのです。先日、住民基本台帳の閲覧制限を議論した専門家の集まりは、審議会ではありません。専門家の意見を聞いて、政治家が決定するのです。

官僚の責任

日経新聞私の履歴書、今月は、行天豊雄さんです。19日は、大蔵省課長時代の経験を書いておられました。
「そこは、不思議の国だった・・・例えば、民営化前の国鉄。赤字の国鉄には金がない。誰が金を出すかで、主計局と理財局の押し付け合いになる。『税金でキチンと処理すべきだ』と理財局がいえば、主計局は『もう税金は使えない』。結局、理財局が財政投融資の資金を出す。主計局の方は、その利子を賄うことで、折り合いがつけられた。その結果、借金はどんどん膨らんでいった。公共事業の採算は全く考慮されることなく、本来金融業務でもあるはずの財政投融資にもリスクの観念がなかった。おかしいなと思いながら、流される日々だった」
官僚の後輩である私にも、重い言葉です。

公務員改革論議

1 数量の改革(人件費削減)
今、経済財政諮問会議で議論されているのが、この部分です。人件費削減は、人数と単価を引き下げることです。
(1)定員削減
この問題は、どこをどのように削減するかの問題です。実は先進各国を比較して、日本は、人口当たり最も少ない公務員数なのです。さらに削減するするなら、何を削減するか、どこを削減するかを議論しなければなりません。
①シーリング方式では無理
そこで、どのように削減するかの問題につながります。これまでは、定数査定は予算査定と同様、省庁ごとに一律シーリングをかけて、その中でメリハリをつけていました。しかしこれでは、業務が増えている分野もそうでない分野も同様に削減されるのです。メリハリと言っても限界があります。いえ、不要な分野を残すという「逆効果」もあります。よって、諮問会議で提起されているような、食糧管理や農業統計にまだたくさんの職員が張り付いています。削減すべき分野を決めて、集中的に削減する必要があります。
②政治が決めること
この分野を決めることは、現在の官僚制では無理なのです。地方団体や民間企業の方には理解できないでしょうが。国家公務員は内閣(政府)に雇われているのでなく、各省で雇用されています。そして、定数を管理している総務省行政管理局も、各省の一つなのです。「強権的に」削減はできず、各省と協議して決めるのです。総務部長や社長室が決めればすむ(もちろん社内での同意取り付けは必要ですが)のとは、違うのです。
そして、分野を決めると言うことは、事業を縮小することと同義語で、事業の縮小をまず決めなければなりません。これは予算と同様、政治が決めなければなりません。
③実行する際の仕掛け
また、大幅削減をするなら、配置転換や整理解雇なども必要になるでしょう(後述)。
(2)単価の引き下げ
これは、給与の引き下げです。スト権を与えない代わりに、人事院が給与制度を決め、水準は民間企業を基に決めています。現在進められているのが、地域別の差をより反映することです。また、大企業の給与を基準にするのでなく、もっと小さい企業も入れれば水準が下がるという説もあります。
2 仕組みの改革(効率や成果の改革)
人件費の問題より大きいのが、官僚制の問題です。これは量の問題でなく、成果の問題であり、それを生み出している仕組みの問題です。
(1)各省官僚制の弊害解消
官僚制の様々な機能不全の原因が各省官僚制にあると、私は主張しています。各省で採用され各省で再就職先を世話してもらう。これで官僚は、政府全体・日本全体の利益でなく、各省の利益を優先する、あるいは各省の利益に縛られるのです。内閣が改革を企画実行しようとしても、内閣官僚はおらず、各省から出向した官僚が足を引っ張ることになります。
私が主張している改革策は、0種官僚を作ることです。現在の官僚から100~300人くらいを、内閣に集め、人事を内閣で管理します。そして、彼らは各省には戻らせません。各省官僚でなく、内閣官僚・国家官僚です。「政治任命」とイメージされているグループです(人事院報告書15年度版の概念図では、フランス・ドイツに近いです)。民間からの採用もあるでしょう。
(2)天下りの弊害廃止
もう一つの大きな弊害は、早期退職・天下りです。キャリア官僚の平均退職年齢は、54歳くらいだそうです。60歳までとしても、6年間めんどうを見なければなりません。1種の採用数は、かつては1年に900人ほどだったそうです。研究職を除いて事務官と技官が600人、何人かはこのお世話にならないとして、1年度に500人を世話するとしましょう。すると、500人×6年分=3,000ポストが必要です。65歳まで再雇用すると、もっと多くなります。2種の人たちもとすると、さらに増えます。
実は大手企業も、早期退職のようです。その際は、子会社・取引先・融資先に送り込んでいます。大きな企業で60歳まで雇用している代表は、地方団体です。これを解消するには、退職年齢を引き上げるしかありません。具体的には、次のようにすればいいと思います。
公務員をいくつかの区分に分けて、処遇を変えます。
①0種:彼らは天下りなども含め、処遇はそれなりに優遇します。優秀な職員を確保するためです。それでも、人数が少ないですから、弊害はかなり減ります。彼らには、スト権は与えません。
残りの公務員は、60歳定年(あるいは年金開始年齢まで雇用)とします。そしてスト権の付与で、次の2グループに分けます。
②スト権を与えないグループ:刑務所の監視など「権力の行使」を行う職員(地方公務員だと警察、消防)。
③スト権を与えるグループ:その他の職員。この人たちは、処遇は民間と何も変わりません。ストをするのも良し、処遇は労使交渉で決めればいいでしょう。
「民間並みとする」というのは、そのほかの意味もあります。先に書いた「配置転換、整理解雇」をできるようにするためです。今でも法律上はできるのですが、配置転換(省を超えた配転、管理職以外の県を越えた異動)はほとんどなく、整理解雇はやっていないと思います。整理解雇は最後の手段としても、配置転換は避けて通れません。
公務員=特別な仕事=特権=労働基本権制約、という考えをやめるのです。公務員にはそういう部分もありますが、すべてがそうではありません。多くの人たちは、民間企業とさほど変わらない仕事をしています(公平・中立については、より厳しさを求められますが、仕事についてより高い責任を求められる職は民間にもいっぱいあります。原子力発電所の職員、電車の運転手、ガスの保安員など)。もう、「公務員=特権階級」という発想をやめましょう。
(3)一律昇進の廃止
もう一つ指摘されている問題が、一律昇進です。これは、職員の業績評価をしない、ボーナスも差がつかないことと、セットになっています。先に提案したように、多くの職員を60歳まで雇用すると、自動的に、一律昇進は維持できなくなります。評価もせざるを得なくなるでしょう。民間企業並みにすれば、解決できることです。
(4)人事担当機構の創設
これらの改革を実行し、さらに運営するために、人事担当機構を作る必要があります。今の公務員制度の問題点を生み出したのは、責任部局がないからです。これも、民間の方には理解できないでしょう。
まず、人事・給与制度は、雇用主である各大臣(各省)や首相に権限と責任がありません。独立機関である人事院にあります。その人事院は制度を作るだけで、運用はしていません。スト権を奪った代償として第3者機関を作ったのですが、「救済機関」をこえて企画立案機関になったのです。
その裏側として、内閣(政府)には、人事制度を企画する部局はありません。総務省に人事・恩給局はありますが、制度については人事院が勧告したものを法律にするのです。
そして、実際の人事運用は、各省の人事課(秘書課)が行っています。しかしそれは、採用と昇進です。駒を動かすだけでなのです。これは13省庁に分かれ、また事務職と技術職で別、1種と2種で別です。霞ヶ関に人事担当課長(実質)は数百人いると、私は推定しています。
さらに、公務員制度改革は、内閣官房に置かれた行革事務局が担当しています。しかしこれは、臨時的、各省寄せ集め部隊です。
このように分散していて、責任ある部署がないのです。また、地方分権改革や地方財政改革の議論を支えたような、学者や論文共有の場(政策共同体)がないのです。これが、改革が進まない、議論が発散する要因でしょう。雇用主において、そしてそれは各省別でなく、内閣全体の人事(制度の企画、運用)担当機構を作る必要があるのです。