18日の朝日新聞が、「イラク戦、独立調査委員会。英国式戦争のけじめ。前・現首相も公開喚問」を解説していました。次のような内容です。イギリスで、イラク戦争を検証する、独立調査委員会が開かれています。世論や野党の突き上げで、ブラウン首相が設置しました。歴史学者や元外交官ら5人で、構成されています。イギリス国会は強い調査権を持ちますが、二大政党制の下で、手順などをめぐって対立が起き、うまくいかないことが多かったそうです。そこで、政治的に中立で、一般の人から尊敬される議会外の「賢人」に調査を委ねる方式が生まれたのだそうです。もちろん、調査委員会にかけるということが、政治的意図を持つので、完全な中立はあり得ないのでしょうが、一つの知恵ですね。アメリカではニクソン大統領の時に、ウオーターゲイト事件の究明のために、特別検察官を任命したことを思い出します。政策ではありませんが、行政の検証として、日本でも、年金記録問題の調査のために検証委員会がつくられました。これについては、「行政構造改革 第二章第四節1政治の責任(2)行政組織の管理と業績の評価」で議論しました。
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社会のリスクの変質
宇野重規東大准教授が、日経新聞「やさしい経済学」に、「個人の再発見」を連載しておられます。
・・これまでの社会では富の配分が問題になったとすれば、これからはリスクの分配こそが問題になる。このように予言したのは、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックである。
・・ベックの念頭にあるのは、いまや階級とは関連しない社会的不平等が存在するのではないか、という問題意識である。例えば失業である。現代社会において、失業は個々の人生のある局面で、あたかも個人的な運命として訪れる。彼が例示するのは、女性にとっての離婚である。データが示すところでは、社会的出自でも学歴でもなく、離婚こそが新たな貧困への入り口になっているという。結婚や離婚は、個人にとっての私的関係の問題であ利、社会的な問題ではない。このように考えるとすれば、現代において失業を生み出すきっかけは、階級ではなく、私的関係にあることになる・・(さらに重要なことが書かれていますが、引用はこれくらいにとどめます)。
私はいま、最近の大学での講演大阪大学講演を元に、原稿をまとめつつあります。趣旨は、「社会のリスクの変質がもたらす行政の変化」です。古典的な災害、事故、戦争、病気といったリスクの分野にも、新しいリスクが生まれています。それとは別に、個人の社会関係の破綻ともいうリスクが、個人の責任から社会や行政の課題になりつつあるというのが、私の主張です。かつて、内閣官房再チャレンジ室に勤務したときに、その一端を文章にしました。「再チャレンジ支援施策に見る行政の変化」月刊『地方財務』(ぎょうせい)2007年8月号。それを、社会のリスクという観点から、整理しようと考えています。
政府の機能
佐々木毅教授「政府の危機」『公研』2008年2月号から。
世界の金融市場がサブプライム問題で激しく動揺し、実体経済の行方についても一時の楽観論は少なくなってきた・・東京市場は万国に冠たるほど株価が急落したが、政府関係者は至って冷静というか、無関心で、国際的にも誠に際だっている・・この冷静さは自信の現れではなく、恐らくは無力感の現れである。しかし、このことと無関心とは異なるはずである。無関心とは初めから思考が停止している状態であり、考える気力もエネルギーもない状態を指している・・
・・かつては、政府と民間との関係は極めて密接であり、政府が業界に傾斜していたことは、首相が今度の所信表明演説で認めている通りである。しかしその後、「官から民へ」と構造を変えた結果、今や諸外国に類例を見ないような「官」「民」相互無関心体制になったのではないかというのが、私の疑念である。
・・経済政策とか内需とかいう言葉はほとんど聞かなくなり、無関心の中で国民負担増問題だけが脚光を浴びるという甚だ不正常な状態が続いている。よく日本の存在感が急落しているといわれるが、政府の存在感が国内でも急落しているのであるから、国際的に何が起こっても不思議ではない。
・・「官から民へ」ということには、例えば、政府が市場を上手に活用して国民生活を活性化することが当然含まれている。昔のような行政指導や補助金は使わないで何ができるかが問われている。また、グローバル化時代においては、安定化要因としての政府の機能は極めて重要であり、その役割を真摯に絞り込み、速やかに実行する機動性が求められている(年金問題などを見ていると、政府はそれとは逆に不安定要因として機能している)・・
官僚の説得能力の低さ
・・事業仕分けと呼ぶらしいが、帰国中にそれをテレビで観ていて、あることに気づいて愕然となった。それは、仕分けされる側、つまり各省庁の高官たちの、説得能力の絶望なまでの低さである。この人々は、外国との交渉では首相や大臣が出てくるまでの事前交渉を担当する人々でもある。外国語を使っての表現能力は母国語のそれを越えることは絶対にない、と私は確信しているが、日本語同士でもこの程度では、これまでの対外交渉がしばしば日本の国益に反する結果で終わっていたのも当然であったのだ。なぜ、これほどまでに劣化したのだろう。私の想像するには、頭のできの悪い人々ではない以上、原因は次の二つに要約できるかと思う。
第一に、これまでずっと、母国語(日本語)でさえも、説明し説得する必要に迫られてこなかったこと・・第二には、外国との間の事務方同士の交渉は非公開で行われ、そこでたとえ敗退したとしても実態は公表されないので、担当者は責任を問われないという事情がある・・
PKO協力・治安維持
2月10日の日経新聞経済教室は、岩間陽子政策研究大学院大学教授の「今後の国際平和協力の方向・警察の役割が重要に」でした。破綻国家では、治安維持のために、PKO活動として、軍隊ではなく警察の役割が大きいのです。しかし、受け入れ国の実情と、派遣国の実情が異なり、なかなかうまく機能していないのだそうです。記述にあるように、日本は1992年のカンボジアPKOの際に、警察官が死亡するという事件が起きて以来、警察は派遣していません。
事件の後、当時の宮沢首相と河野官房長官の指示で、村田自治大臣兼国家公安委員長が、カンボジアに派遣されました。私は自治大臣秘書官として、お供をしました。その際のことは、今もなお、強い印象として残っています。