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行政

博物館・奇妙な法律

30日の朝日新聞が「博物館法改正、期待外れ」を書いています。詳細は記事を読んでいただくとして、奇妙と思うのは、次の点です。
東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館が、博物館法に基づく正規の博物館でないこと。法律ができて以来、半世紀の間、そのままだそうです。日本には5,600もの博物館があり、そのうち約8割が博物館法の枠外にある(文科省調べ)のだそうです。
また、法には「公立施設の入館料は原則無料」とあり、独立行政法人である博物館は、これに反するのです。
現実が法律と離れた場合、どうするのか。考えさせられる事例です。

問題の事後分析

22日の日経新聞経済教室は、植村信保さんの「生保経営、統治向上急げ」でした。1990年代の生命保険会社の破綻を調査し、その原因を分析したものです。97年から2001年までの間に、7社が破綻し、総資産では10%以上になるのだそうです。
・・平成の生保破綻は、バブル崩壊後の厳しい経済環境の中で発生した。このため、バブル崩壊による株価下落、80年代の高予定利率の貯蓄性商品の集めすぎ、不十分な行政当局の監督など、破綻は構造的な問題で、個社の経営努力ではどうしようもなかったという見方が根強いようだ。
だが、今回の分析で浮き彫りになったのは、バブル崩壊などの外的要因が生保経営に与えた影響も決して小さくはないが、会社が破綻に至るにはビジネスモデルや経営者、経営組織といった、その会社固有の内的要因が重要な意味をもっていたということだ・・
として、経営者の問題、経営陣の問題、リスク管理体制の問題などを指摘しています。
・・なお、経営チェック機能として当時の大蔵省の力は非常に大きく、各社の経営陣に「最後は大蔵省が何とかしてくれる」という幻想を抱かせた。実際は経営内容の悪化した生保に介入した例は少なく、結果的に破綻を回避させるほどの指導力を持たなかった・・
イギリスでは、2000年に世界最古の生保会社が実質破綻したことを受け、2004年に独立調査委員会が、同社の経営責任を追及する報告書を発表し、破綻要因を詳細に分析したそうです。日本ではなされていないので、植村さんが取り組まれたとのことです。
問題が生じた時に、それに対処することも重要ですが、後でそれを分析し、将来の教訓にすることも、行政の重要な任務だと思います。

政治の役割12

9日の朝日新聞連載「小泉時代とこれから・中」は、竹森俊平教授の経済でした。
景気回復は構造改革の成果だと政府は強調します、との問に「不良債権問題を片付け、『失われた10年』に決着を付けたのが最大の貢献だ・・経済財政諮問会議に情報を集中し、経済政策で指導力をはっきり示したのは小泉首相の功績だ」。
構造改革の評価については、「経済を停滞から脱却させたが、構想力、長期的なビジョンが欠けていた。例えば、国民が安心できる徹底した社会保障制度の改革ができなかった。もう一つはアジアの経済外交だ。経済連携協定(EPA)を中国やインドに広げるなど経済ネットワークを構築できなかった。従来の政治手法や制度を壊すことに存在意義があったから、その意味では過渡期の人と言える」
「格差を是正する所得再分配政策をどうするのかは世界的な問題だ。どの国にも解決策はなく、思考停止状態・・むしろ、小泉政権は再分配政策と決別する方向に動いた・・政府は財政赤字で余裕がないと、再分配を事実上放棄した」
「いまや国内総生産の8割はサービスセクターで生産され、特に金融・情報など都市部で作るサービスが重要だ。他方、製造業はグローバルに展開され、次々アウトソースされる。政府は官主導でなく資本の論理や力を借りて経済の転換、調整をする方向に変えたが、小泉首相でなくてもそうなっただろう」
「首相の指導力が発揮できる政策決定プロセスが意識されてきた。しかし、状況が変われば元に戻る可能性もある」

日経新聞は8日から連載「日本を磨く、小さい賢い政府を」を始めました。第1回は行天豊夫氏でした。
「民にできない仕事は極端にいえばない。国防を民に任せるケースさえある。国民が料金を払い民に任せるか、税金を払い官にやらせるか。どちらが費用対効果に優れているかで、官と民の分担を決めればいい。官の役割は『国民が必要とすることだが、民にはできないこと』に尽きる。今の日本で必要なのは経済、外交、軍事、理念、文化、技術(知識水準)の各分野のバランスを取って、国の競争力を高めることだろう」
「官尊民卑は国民にとって幸せではない。明治以来、あるいは戦後の官僚主導の国家運営に、現状では大きなプラス点は付けられない。政は国民に働きかけ、指導力を発揮する。官は戦略を効率的に実行し、国益を実現するのが望ましい」(2006年8月9日)

10日の日経新聞「小さく賢い政府を」第2回は、佐々木毅教授の「イフ重ね政策に深み」でした。
役所中心の従来型の政策決定でこれからもやっていけますか、という問には「高度成長期のように少々無駄をしても大丈夫という時代ではなくなった。今までは部分最適の積み上げみたいな政策で、体力に任せてなんとかやってこれた。今は目標のはっきりした政策を効果的に出すことが必要になっている。これまでの調整型の決定の仕組みを相当変えないといけなくなる」
「政策を作るには、いろいろなイフ(IF)、もしもを重ねながら、綿密に詰める作業をしないといけない。それを政府も与党もしているように思えないのが、極めて深刻なことだと思う」
「本当の政策論議は思い切った議論をしなければならないのに、外に出すことを前提にすると議論に深みがなくなる。一つの発言の背後に百、二百の発言があるべきだろう。いざという時のいろいろなことを考えているように見えない。だから『想定外』の領域が大きくなる」
「大目標を作ろうとしてもいつの間にか限りなく些末になる。細分化してあちこちに投げ、役所が料理して出しているのが実態だ」

10日の朝日新聞「小泉時代とこれから・下」は、藤原帰一教授の外交・安保でした。
アジアで中国の求心力が飛躍的に高まった間、日本は何をしていたのでしょう、という問に、「空白だったと思う。各国が前より豊かになり、日本の経済協力が行き詰まった。経済援助に頼るアジア外交に代わるものを作らなければならなかったのに、政策の空白が続いた」
「ASEAN諸国との連携強化も必要。日本は債権国として各国の経済に直接的な影響力を持っている。直接投資の規制緩和、日本の労働市場の開放などで主導権を取ることで、ASEANを引き戻せる。ASEANは中国を恐れてもいる。ASEANとのパイプを利用し、中国を牽制する力に使うべきだ」(8月10日)

11日の日経新聞「小さく賢い政府を」第3回は、北城かく太郎さんの「挑戦の機会いつでも」でした。
「ここに至るまでに小泉政権が果たした役割はやはり大きい。財政出動に期待しないでくれ、民自身の努力で立ち直ってくれと発信し続け、民間に覚悟を決めさせて経営改革の背中を押した」
「創業支援では民間がお金を出すのを後押しする税制をつくってほしい・・・国や自治体からもらう税金で出資してもらうのでは、創業者は痛みを感じにくい。一般の個人からの出資ならその人の顔が思い浮かぶので懸命に努力する・・」(8月11日)

12日の第4回は、田中直毅さんの「優先順位国民に示せ」でした。
「先進国の政府の機能に大きな変化が生じている。米国も一国の経済情勢だけで金融政策を決められない。グリーンスパン前FRB議長の市場との対話は、ウォール街との対話ではなく、国際社会の重要な意思決定者に米金融政策の目標や優先順位について伝えることを意識していた・・・日本もグローバル経済のなかで、財政規律や金融秩序でこれだけは満たさなければいけないというものが出てきた」
「政治家も磨かれたが、企業も国民も磨かれている。政府に依存してはいけない、要求してばかりいるといずれ我が身に跳ね返る、という因果関係がわかった・・霞ヶ関が作った案に永田町が粉をふりかけるだけの昔ながらのメニューは、完全に排除されるだろう」
「政府のぜい肉がとれたと国民が認定して初めて、どういう形で政府の規模を決めるのか、どこまでを民間の自助努力に求めるのかの議論ができる」(8月12日)

17日の日経新聞経済教室「回顧・日本経済」は、加藤寛教授の「小泉改革、背後に公共選択。政府の失敗を是正」でした。(8月17日)

先日書いた「30年後の日本」について、ある人との会話です。
「30年後を考える前に、今のおれたちは、何を次の世代に残しているのかなあ」
「まずは、巨額の借金。これはひどい贈り物です。プラス面では、世界有数の工業力、社会資本ですかね」
「うまくいっていないアジアとの関係も、引き継ぐぞ」
「でも、それは僕らの前の世代もでしょ。親父たちの世代から引き継いだ負の遺産です」
「そうだな、お金は出すが人は出さないという評価は、前の世代がつくった。ただし、経済大国、工業国家という実績と評判もつくってくれた」
「そうですね。メイド・イン・ジャパンを、安物でないブランドにしたのは親父たちの世代です。それで言うと、その世代は、二度と戦争をしないといって、実際半世紀の間戦争をしなかったんですがね。アジアからの評価はそう見てくれませんね。そちらの方は、努力の割には、ブランドを作り上げるのに成功しなかったと言うことですかね」
「半世紀の間、戦争をしなかったけど、それは努力の成果ではないと見られているんだな」
「もう一つ前、じいさんたちの世代は、何を残してくれたのですかね」
「焼け跡と孤児、食うや食わずの生活。アジアの人たちを巻き込んだ悲惨な戦争、日本はひどい国だという評価だな」
「どこまで考えて、やっていたのですかね」
「そこが問題だね。でも、次の世代から、おれたちもどう言われるか」(8月18日)

21日の日経新聞経済教室は、青木昌彦教授の「資源・環境対応で世界主導」「技術・価値観を革新、市場・民主制と同時進化へ」でした。
「ここ10年ほどの間、日本の政治、経済、社会には、個々には小さくとも多様な変化が生じ、その累積効果は社会システムの質的変化を予感させうるほどのものとなった。
従来のシステムの下で人々は、生涯帰属する組織、それを業界・職業ごとに包括する団体、関連する監督官庁と族議員とタテに連なる関係に包み込まれて、自分の社会的位置や生活水準の生涯展望にある程度安定した予想を持ちえたのだった。
今、「改革」の政治的宴がおわり、にわかに格差社会の懸念が一部の政治家、マスコミ、学者などから声高に発せられるようになったのも、そういう安定化の仕組みの揺らぎを反映するのだろう」
「従来のシステムが感覚的に保障した安定性はそれなりに好ましいものであったが、それはまた行き過ぎると個人のモチベーションを弱め、外部環境変化に対するシステムとしての適応力を弱める」
「むしろ移りゆく環境に適応する個々人のチャレンジを側面から助け、組織の設計やガバナンスのありかたに関し多様な組織のあいだの自律的な競争を促し、行政府はそうした競争の当事者から一歩退いた公正なレフェリーの地位にとどまるという仕組みが、増大する複雑性と不確定性によって特徴づけられるこれからの社会の一つの行き方だろう」
「そして、政党は、将来世代と現在世代の間の利益裁定という意味合いを持つ財政の再建、中央と地方の間の規律ある関係の構築、競争のルールづくりとセーフティネットのデザインなど、国のかたちづくりのプログラムをめぐって、選挙民の支持獲得を争う役割に徹するべきだろう」。

22日の経済教室は、吉川洋教授の「人間力で不断の価値創造」でした。「新しい付加価値はどこから生まれるのだろうか。情報力といい技術といい結局のところそれを生み出すのは人間である。こうした「人間力」を経済学では「人的資本」と呼んでいる。歴史をふり返っても、人口規模の大きさが国際競争力の源泉になったことはない。重要なのは人の数ではなく、国民一人ひとりの力、すなわち「人間力」なのだ」

官僚用語

21日の日経新聞夕刊「永田町インサイド」は、「霞ヶ関用語の怪」を解説していました。取り上げられている用語は、官房、国会待機、パブコメ、ポンチ絵、マル政、レクです。このホームページでは、かつて「私の嫌いな言葉」を取り上げました。

需要予測の検証

8月8日に、総務省行政評価局が「公共事業の需要予測等に関する調査に基づく勧告」を出しました。公共事業を実施する際に、どの程度の需要があるか予測をして、実施するか、実施するとしてどの程度の規模のものをつくるかを決めます。需要予測が間違っていると、無駄な施設を作ることになってしまいます。この勧告では、甘い企業立地予測に基づき工業用水を作って売れなかった例、将来の人口予測を使わず過大な廃棄物処理場を作った例などが指摘されています。