「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

自殺、12年連続3万人

警察庁が、昨年平成21年中の自殺者数を公表しました。各紙夕刊が伝えています。これで12年連続で、3万人を超えています。男性が7割、女性が3割です。年代別では、50代、60代、40代の順に多いです。自殺原因は、半数の人が健康問題、特にうつ病です。4分の1が経済・生活問題、8分の1が家庭問題です。
大きな社会問題ですが、人の心の問題であり、他人や社会との関係の問題なので、対策は難しいです。しかし、あれだけ大きな問題だった交通事故も、3分の1まで減らすことに成功しました。40年かかりましたが。

若者の自立支援

大学院の授業では、社会の新しいリスクとして「社会関係の問題」を取り上げています。自立が困難な若者も、その中の一つです。この問題を、私は内閣官房再チャレンジ室で勉強しました。再チャレンジ室は廃止になりましたが、若者支援は内閣府と厚労省で引き継がれ、また各自治体やNPOの取り組みもあり、充実しつつあります。昨年は、子ども・若者育成支援推進法が成立しました。ニートを支援する拠点である若者サポートステーションは、平成18年度に25か所だったものが、今年度は100か所にまでなりました。関係者のおかげです。しかし、対象者が60万人もいます。全国で100か所では、1県に2か所ですから、まだまだ少ないですね。詳しくは、厚労省の記者発表資料(平成22年3月19日)、取り組みの解説をご覧ください。

道路公団民営化

10日の朝日新聞変転経済は、「道路公団民営化」でした。小泉総理がつくった民営化推進委員会が、議論半ばで内部分裂を起こしました。意見が一致せず、委員長が辞任するという事態になったのです。その結論でも大きな改革だという人と、それでは改革にならないという人とです。
それぞれの立場で、本を出しておられますが、私もどちらが正しかったのか、判断が付きかねています。この記事では、国交省が権益を維持拡大し、完勝だった=改革ではなく改悪だったと評価しています。

部分と全体2/2

昨日の続きです。統制の強い組織においては、部分と全体は、権限の配分になります。軍隊、会社などの組織で、出先にどこまで仕事と権限を与えるかです。
出先に仕事が委ねられていても、自由度がない場合は、分散でしかありません。国の出先機関が、これに該当します。この場合は、画一的に仕事が処理されます。それが好ましい仕事と、好ましくない仕事があります。そして、地方での問題がすべて中央に持ち込まれ、中央管理組織の負担が重くなります。
これに対し、日本国憲法において、地方自治は統治権の配分として認められています。分権です。地域のことは、地域で処理させるのです。もっとも現在の日本では、法律によって自治体の仕事が過度に縛られている=自由度がないことが、地域の活力・日本の活力を損なっていると認識されています。それが、より実質的な分権への要求となっているのです。
一方、統制の弱い組織内では、中央による統制と部分による自由活動とのせめぎ合いになります。党首を目指して政治家が闘う政党をイメージしてもらうと、わかりやすいでしょうか。うまくいくと、自由な活動が競争を生み発展します。しかし、競争が闘争になり、混乱が生じる場合もあります。
管理する側は、秩序を維持するために、統制をきつくしようとします。しかしそれは、自由・競争による発展を閉ざします。
組織論において、全体と部分は、管理と自由、統制と競争、規律と闘争、秩序と混乱、維持と発展、という対比につながります。

部分と全体1/2

ハイゼンベルク著『部分と全体』(邦訳1974年、みすず書房)を読み終えました。著者は1901年ドイツ生まれの物理学者で、24歳で量子力学を創始し、不確定性原理を発見、ノーベル物理学賞を受賞しています。1976年に没。本の内容は、仲間の科学者との対話の形式をとった、自伝です。科学理論はこのような過程で究められるのかと、感激を覚えます。
部分と全体という問題そのものを、考察したものではありません。しかし、彼は自らの伝記に、このような表題をつけました。物理学だけでなく、哲学、音楽、宗教、政治とのかねあいまで、彼の関心は広いです。そして、常に部分と全体の在り方を考えていたのでしょう。随所に、関連する記述があります。
私には量子力学はわかりませんが、昔から本屋でこの表題が気になっていました。私の関心にあっては、部分と全体は、国家統治機構の部分と全体であり、行政組織の部分と全体の在り方です。国と地方の関係にあっては中央集権と地方分権であり、組織管理にあっては集中と分散です。このテーマは、私にとって一生の課題ですが、すべての組織にとって永遠の課題でしょう。
ところで、対話の相手に、カール・フリードリッヒ・フォン・ワイツェッカーという哲学者が出てきます。よく似た名前だなあと思って調べたら、ドイツ大統領になったリヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカーのお兄さんでした。