12月12日読売新聞解説欄、対論、外交・安保、岡本行夫さんの発言から。
・・私は米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)で教えているが、こちらでは衆院選は全く関心を呼んでいない。
理由は二つだと思う。まず日本の経済力が後退し、存在感が希薄になったこと、そして選挙結果がどうなっても日本は変わるまいとみられていることだ。
国際舞台での日本の姿は、本当に小さくなってしまった。
かつて世界一だった政府開発援助(ODA)は、当初予算ベースでは、ピークだった1997年の半分になった。米国だけでなく、英国、ドイツ、フランスにも抜かれた。
自由貿易の旗手だったのに、今は旗振りどころか、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加すらできずにいる。
経済力の後退とともに対外的な関与や発言も減った。日本だけ、防衛費も減り続けている。
だから、外交が大事というなら、何よりも経済を立て直す必要がある。一に経済、二に経済、三、四がなくて五に外交だ。
世界と関わらなくても、TPPに入らなくても、国内でやっていけばいいという声もある。それも一つの生き方だろう。
だが、その場合、何が起こるのか。競争力が落ち、経常収支が赤字になる。資金は流出し、国債は国内で消化できなくなる。金利は上がり、不景気になる。街は失業者であふれるだろう。内向きになれば、暮らしが相当悪くなる覚悟をすべきだ。
TPPについて、米国にはこういう気持ちもあるだろう。「日本が孤立に耐えられるわけがない。いずれ参加する。ならば今のうちに日本抜きで有利なルールを決めてしまおう
反TPP派は、本当に最後まで反対を貫く覚悟があるのか。
我々は日米安保に守られ、好き勝手を言っても軍事的な脅威にさらされなかった。しかし経済には、日米安保に相当するものはない・・
この項続く。
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小中学生の発達障害
小中学校の通常学級に在籍する生徒のうち、発達障害の可能性のある生徒がや6.5%いることが、文部科学省の調査でわかりました。6日の各紙が伝えています。全国で推計すると約60万人、40人学級だと1クラスに2~3人いることになります。2002年の調査でも6.3%でしたから、ほぼこれくらいいると考えられます。
この子どもたちは、「書く」「聞く」「計算する」の学習に困難を示す学習障害、注意力の欠如や衝動性といった注意欠陥多動性障害、知的発達に遅れのない高機能自閉症などです。なぜか、男子では9%、女子では4%です。
この問題について、これまでどのように対応してきたのでしょうか。また、この子たちは、成人してからどのような暮らしをしているのでしょうか。他人とのコミュニケーションがうまくいかないと、暮らしにくいです
政党を育てるか、消費するか、その2。権力は批判するもの?
杉田・・日本では、権力は拒否していればいいという考え方が強すぎます。権力は危険だということは踏まえなければいけませんが、その権力は自分たちが作っていくものでもあるのです。選挙の棄権について、政治学者はこれまで擁護してきた面がありますが、本当はもう少し批判すべきだったのかもしれません。
長谷部・・憲法学者も、権力のやることは全部批判していればいいと考えてきた面があります。批判していれば、そのうちいいこともしてくれるかもしれないと。反省する必要があると思います。
杉田・・今回の選挙でこうすればうまくいくという妙案はありません。長期的に考えるなら、自分自身が政治に何を期待するかをもう少し自分に問うてみることでしょう。政党に裏切られたと思うのはいいですが、そもそも何を想定していたのか。政権交代さえすれば自分の懐具合がよくなると単純に期待していたということなら、そう思っていた方にも問題がある。経済成長が政党政治のあり方ですぐに実現できる時代ではありません。
この国の政治はどうあって欲しいか。全部実現できそうな政党はないかもしれないけれど、比較的それに近いのはどこかということで選ぶしかない。出されたメニューを比べて「どれも気に入らない」と言っていても仕方がない。自分が何を食べたいのかというイメージがなければ選べません。メニューを見てから食べるものを決めるのではなく、自分が何を食べたいかを考えてからメニューを見て、自分が食べたい料理に一番近いのはどれかを選んでくださいと。陳腐な結論ですが・・
詳しくは、原文をお読みください。
人生の挫折を助ける
古くなりましたが、9月28日に、内閣官房の社会的包摂推進室が、「社会的排除にいたるプロセス~若年ケース・スタディから見る排除の過程」という調査報告書を公表しています。
この調査は、「現実に発生している様々な社会的排除状態に至る過程を、個々の人々のライフコースを追うことによって把握していく手法を採っている。いわばミクロの視点からの調査」です。
そこには、高校中退者(学校からの排除)、ホームレス(ネットカフェ等で生活する者も含む広義のホームレス)(住居からの排除)、非正規就労者(就労からの排除)、生活保護受給者(貧困)、シングル・マザー(機会からの排除)、自殺者(生からの排除)、薬物・アルコール依存症(機会からの排除)が取り上げられています。
社会的排除は、誤解を恐れずに言い換えると、「人生の挫折」というとわかりやすいと思います。単なる貧困(生活保護の対象)ではなく、社会で生きていく力を失った人たちです。
「人生に挫折する人は、弱い人だ」「運が悪いのだ」と、多くの人は考えます。それは当たっています。しかし、私もあなたも、そこに陥る可能性があるのです。
中退者も非正規就労も一定割合発生するということは、誰もが陥る可能性があるのです。交通事故、高齢による寝たきりや認知症と同じように、あなたやあなたの家族にも、可能性があります。他人事ではありません。その際に、立ち直る人もいれば、本人だけでは克服できず、家族でも支えきれない場合があります。
「人生でのリスク」という観点で考えましょう。病気については健康保険を、高齢による働けないリスクには年金制度を用意しました。これらは1961年です。交通事故については、自動車損害賠償責任保険(自賠責)を作りました。1955年です。高齢による衰えを、介護保険によって支えるようになったのは、2000年のことです。
それらのリスクと同じように、社会で支える仕組みと意識が必要です。
年金は金銭給付です。健康保険はお金の心配なく医者にかかることができる制度です。介護保険も、少しの負担で介護サービスを受けることができる仕組みです。
しかし、「人生での挫折」の場合は、お金や病院では救えません。一人ひとりに、寄り添って支える仕組みが必要です。
誰もが、病院や介護サービスを知っているように、これらの挫折を支える仕組みを作り、わかってもらえるようにしなければなりません。
そのためには、次のようなことが必要でしょう。挫折した人や家族が相談に行くことができる場所、相談に乗る職員の養成、社会への広報、それらへの投資(予算の増額)と責任を持つ役所の明確化です。
政党を育てるか、消費するか
12月5日の朝日新聞オピニオン欄、長谷部恭男東大教授と杉田敦法政大教授との対談、「総選挙、選ぶ」から。
長谷部・・この混迷した政治状況は、選挙をいわば自分のうっぷん晴らしに使ってきた有権者の側にも責任があります。民主党政権が期待通りじゃなかったことはその通り。私もそう思います。しかし、期待通りじゃなくても、支持層として長い目で見てちゃんと支えていこうという人が一定数いなければ、民主的な政治制度はうまく機能しません・・
気に入らないところがあっても我慢して、特定の政党を支え続けるということがあってはじめて、その政党は魅力のある政治指導者をたくさん抱える政党になり得る。「不満はあるでしょうが、どこかコミットできる政党を見つけて支持し続けてください」。私の言いたいことはこれに尽きます・・
杉田・・福沢諭吉の言うとおり、政治とは詰まるところ「悪さ加減」の選択です。限られた選択肢の中からより悪くない方を選ぶしかありません。100%満足のいく政党でなくても。しかし今は有権者が消費者化していて、「既成政党にいい政党がないからうまくいかない」「自分たちを真に代表してくれる政党があるはずだ」と、2大政党がダメなら第三極、それもだめなら4番目、5番目……と、次々に支持を変えていきます。2大政党の間でスイングするのならともかく、既成政党を全部食い潰していくという「焼き畑」的な形になっています・・
長谷部さんのおっしゃるように政党を支えることが大事だという面はありますが、私たちは、テレビを買う時にそのメーカーを支えようと思っては買いませんよね。それと同じで、ごく短期的に自分の生活が良くなったか否かで政党を判断しがちです。それでいいとは思いませんが、政治以外の行動様式は全部消費者的なのに、政治に関してだけ違う振る舞いを求めるのは難しい。そこは、歴史や文化に根ざした形で政党が存在しているヨーロッパとの違いです。
1990年代の政治制度改革では政治システムをいじることに主眼を置きすぎて、有権者の側の問題を置き去りにした面があります。マニフェストを眺めて投票し、結果だけチェックしようという、レストランのお客にも似た消費者的な行動様式が強調され、自分たちの政治家であり政党なのだと説くことはなかった。政治家を選ぶまでが有権者の役割で、あとは「お任せ」でいいという考え方がはびこりましたが、問題です。状況は絶えず動いており、有権者は自分たちが選んだ政治家に対してもさまざまな回路で意見をぶつけていく権利と義務があります・・
この項続く。