政党を育てるか、消費するか

12月5日の朝日新聞オピニオン欄、長谷部恭男東大教授と杉田敦法政大教授との対談、「総選挙、選ぶ」から。
長谷部・・この混迷した政治状況は、選挙をいわば自分のうっぷん晴らしに使ってきた有権者の側にも責任があります。民主党政権が期待通りじゃなかったことはその通り。私もそう思います。しかし、期待通りじゃなくても、支持層として長い目で見てちゃんと支えていこうという人が一定数いなければ、民主的な政治制度はうまく機能しません・・
気に入らないところがあっても我慢して、特定の政党を支え続けるということがあってはじめて、その政党は魅力のある政治指導者をたくさん抱える政党になり得る。「不満はあるでしょうが、どこかコミットできる政党を見つけて支持し続けてください」。私の言いたいことはこれに尽きます・・
杉田・・福沢諭吉の言うとおり、政治とは詰まるところ「悪さ加減」の選択です。限られた選択肢の中からより悪くない方を選ぶしかありません。100%満足のいく政党でなくても。しかし今は有権者が消費者化していて、「既成政党にいい政党がないからうまくいかない」「自分たちを真に代表してくれる政党があるはずだ」と、2大政党がダメなら第三極、それもだめなら4番目、5番目……と、次々に支持を変えていきます。2大政党の間でスイングするのならともかく、既成政党を全部食い潰していくという「焼き畑」的な形になっています・・
長谷部さんのおっしゃるように政党を支えることが大事だという面はありますが、私たちは、テレビを買う時にそのメーカーを支えようと思っては買いませんよね。それと同じで、ごく短期的に自分の生活が良くなったか否かで政党を判断しがちです。それでいいとは思いませんが、政治以外の行動様式は全部消費者的なのに、政治に関してだけ違う振る舞いを求めるのは難しい。そこは、歴史や文化に根ざした形で政党が存在しているヨーロッパとの違いです。
1990年代の政治制度改革では政治システムをいじることに主眼を置きすぎて、有権者の側の問題を置き去りにした面があります。マニフェストを眺めて投票し、結果だけチェックしようという、レストランのお客にも似た消費者的な行動様式が強調され、自分たちの政治家であり政党なのだと説くことはなかった。政治家を選ぶまでが有権者の役割で、あとは「お任せ」でいいという考え方がはびこりましたが、問題です。状況は絶えず動いており、有権者は自分たちが選んだ政治家に対してもさまざまな回路で意見をぶつけていく権利と義務があります・・
この項続く。