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小泉改革
政と官の関係変化
今日は午後から、ドイツの研究者のインタビューを受けました。日本の大学院に留学中とのことです。彼の研究テーマは、日本の政策形成、特に経済外交についての変化、それも行政改革や政と官との関係から見た変化です。私は経済外交は専門外なのですが、行政改革、政と官との関係から、指導教官(大学院の教授。私もお世話になっている方々)の推薦とのことで、お受けしました。
ドイツ語または英語で、英語の通訳を連れてくるとのことでしたが、復興庁にドイツ語のプロがいることを思い出して、彼に通訳をお願いしました。政府要人の通訳を務める彼に通訳してもらうのは、すごくぜいたくなことです。でも、専門外の通訳を連れてこられるより、背景を知っている彼の方が、ずっと円滑に伝わるでしょう。ありがとうF参事官。
事前に質問項目をもらい、それに合うように私の考えをメモに整理しました。政と官の変化については、かつて「行政構造改革」を連載し(惜しかったですね、本にしておけば良かったです)、またこのホームページでも「政と官」の分類を立ててあります。私の近年の主要研究テーマです。それを引っ張り出したり、行政改革のプロの官僚に問い合わせたり、主要紙の政治部記者に問い合わせて、メモを整理しました。私の独自の見解が、大勢とずれていてはいけないので。久しぶりに、この4半世紀の日本の政治と行政改革を考え直しました。
そのメモもドイツ語に翻訳してもらって、事前に研究者に渡しておきました。私もその翻訳をもらったのですが、残念なことに、見出しの数字番号しか分かりませんでした。今日は、そのメモを前提に、質問にお答えしました。制度改革が変化を生んだのか、運用が変化を生んだのか。私はその前提に、国際、経済、社会環境の変化が、日本の政と官の変化を生んだ一番の要因だと考えています。
8月15日
今日は、8月15日。日本武道館で行われた全国戦没者追悼式に、出席しました。
第2次世界大戦で亡くなった日本人は、約310万人。うち軍人・軍属が約230万人、民間人が約80万人(うち内地で50万人)です。アジア各国でも、多くの人がなくなりました(約1,900万人)。(これらの数字は、細谷雄一著『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か』(2015年、新潮社)p214、p267による。なお吉田裕著『アジア・太平洋戦争』(2007年、岩波新書)からの引用とのこと)。また外地からの引き揚げ者は、軍人と民間人を合わせて約630万人です(厚生白書昭和36年版、第2部第3章第8節)。そして、国の内外で戦時中と戦後、混乱した社会で飢餓や不安に苦しめられました。それは、数字では表すことができません。
武道館での式は厳粛で、終わって出てくると田安門の桜並木は蝉の声がしきりでした。どちらも、8月15日を思わせる雰囲気でした。
政と官の関係変化、縦割りと前例踏襲主義で「官」は衰退した
日経新聞8月12日「戦後70年、変わる政治の軸。政と官、強まる首相主導」から。
・・・政と官の関係は様変わりした。竹下内閣から村山内閣まで7人の首相の下で事務の官房副長官を務めた石原信雄氏(88)は、「長らく政策立案の現場は広い意味での『官僚』が仕切っていた」と振り返る。広い意味での「官僚」とは現役に加え、官僚出身の政治家も含む。戦後の復興と発展を担った岸信介、池田勇人、佐藤栄作と続いた首相はそれぞれ戦前の商工省、大蔵省、鉄道省の出身だった。閣議にかける案件を事前に審査する週2回の事務次官会議が重要な政策決定の舞台だった。事務の官房副長官をトップに官僚機構が政治家をお膳立てした。
だが強力な官僚組織も次第に制度疲労を露呈する。1990年代に入ると、バブル経済が崩壊。護送船団方式で金融機関への管理を重視してきた官僚の対応は後手に回り、金融機関の不良債権拡大への処方箋づくりに悩んだ。「日本の官僚機構は守りに弱かった。問題を先取りして対応する力に欠けた」と石原氏は振り返る。縦割りと前例踏襲主義で「官」は衰退した。
代わりに主導権を握ろうとしたのが「政」だ・・・
全文は、原文をお読みください。政と官との関係は、このホームページでも、一つのジャンルを立てていました。世界一優秀だと言われた日本の官僚が、国民の信頼を失ったことには、様々な要因があります。かつて、「行政構造改革」として連載をしていたのですが、途中で中断したままです。いずれ、まとめたいと思っているのですが。