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行政-行政機構

政府の企画部

先日、経済財政諮問会議が果たしている、政府の「企画部」としての役割に触れました(魅力ある国を作る)。それについて、少し解説します。
日本政府(霞ヶ関)には、人事部と企画部がありません。この二つは、企業であれ地方団体であれ、少し大きい組織なら必ずあるものです。各省にはあるのですが、政府全体の人事部と企画部がないのです。その企画部不在を埋めたのが、経済財政諮問会議です。

まず第1に、各省間の政策の調整、優先順位付けがあります。これまでも、各省間で、あるいは内閣官房が各省の政策を調整することはありました。しかし、それは優先順位付けまで行かず、「寄せ集め」に近いとの批判があります。かつての総理所信表明演説・施政方針演説も、各省から出された「短冊」=パーツを寄せ集めただけとの批判もありました。
省庁改革の際に、省庁間政策調整システム(「省庁改革の現場から」p39)が定められましたが、十分機能していないようです。また、財務省の予算編成も、この点では十分な機能をしていないようです。
すべての省の意見を盛り込むだけなら、楽です。右肩上がりの時代なら、伸び率に差がつくことはあっても、すべてを飲み込むことができます。しかし、削減しなければならない場合、優先順位をつけなければならない場合は、どれかに泣いてもらう必要があるのです(参照、拙稿「予算編成の変化」月刊『地方財務』2003年12月号)。
県庁や市役所では、知事や市長がそれを判断します。しかし霞ヶ関システムでは、それはできないのです。小泉首相は、国債発行上限を30兆円とし、それに収めるために、公共事業や地方交付税を削減しました。その際に、諮問会議が機能を発揮したのです。

第2に、これに関連しますが、他省の政策にくちばしを挟む、しかも批判することが始まりました。これまでは、それぞれの省が縄張りを持ち、他省はそれには口を挟まないという不文律がありました。もちろん、各省は「分担管理事務」を持ち、それぞれが仕事の範囲を決められています。
しかし、というか、だから、政府全体の立場に立って、ある省の仕事に文句を言う仕組みがなかったのです。諮問会議は、有識者ペーパーという仕組みを使って、他省の政策にくちばしを挟むことを可能にしました。
内閣・閣議は、全会一致が原則です。省間で対立すると、「次官会議で反対するぞ」という脅しで、止めることができたのです。これでは、改革などは進みません。

第3に、政府全体の政策を、明示するようになりました。「骨太の方針」で、政府がどのような政府を目指しているかが、分かるようになったのです。県や市町村は「総合計画」を作っています。それで、その団体の政策の全体像が分かります(もちろん、総花だとの批判もありますが)。日本政府の場合は、それがありませんでした。各省は、それぞれ政策パンフレットを作っていますが、政府全体のパンフレットはありません。もちろん、諮問会議は経済財政が守備範囲なので、安全保障などは含まれてはいません。

第4に、政府全体から見た政策で、各省が取り組まない政策を、取り上げるようになりました。各省は自分に都合のよい政策には取り組みますが、都合が悪い政策・面倒な政策には取り組みません。各省にまたがっても、メリットのある政策なら取り組みます。例えば、ITでは、総務省と経産省が功を競います。しかし、日本を魅力ある投資先にする、FTAのために関税引き下げに取り組むなどは、どこも取り組まない、あるいは進まないのです。各省の分担管理事務・問題関心事項から漏れ落ちた政策課題は、取り上げられることがなかったのです。

今回も、大胆な単純化ですが、私はこのように考えています。今日は、行政組織論からの議論を書きました。このほかに、諮問会議の議論の過程で、霞ヶ関内の「利害の対立」を見える形にしたといった功績もあります。また、今の諮問会議が問題ないのかということにも触れる必要がありますが、これらについては日を改めて書きましょう。

国家公務員の配置転換

国家公務員の本格的配置転換が、始まりました。まず、約700人が、食料管理・農林統計・北海道開発局から、刑務所刑務官・国税職員などに配転になりました(3日付け読売新聞ほか)。慣れない職場で苦労される方もおられると思います。また、何人かの方は、引っ越しもあったと思います。
このHPでも指摘しましたが、地方団体や民間企業では当たり前に行われてきたことが、これまで行われていなかったのです。今後、行政の役割変化に従って、さらなる配置転換が必要になると思います。かなり以前から、予想されていたはずなのですが。
かつて、公共事業部局の人事担当の先輩に、「将来、事業が減って、職員数削減が必ず来ますよ。後輩のためにも、採用人数を減らした方が良いのではないですか」と言ったら、「全勝は簡単にそういうけど、私の代に人数は減らせないよ」と言われたことを思い出しました。

業界行政から消費者行政へ

22日の朝日新聞は、「経産省、消費者行政に本腰」として、製品安全課をとりあげ、産業振興を掲げてきた経産省が、消費者行政に力を入れていることを解説していました。
「戦後の欧米に追いつけ追い越せの時代に、旧通産省はニッポン株式会社の主要な牽引役だった。だが、日本が世界第2位の経済大国になって経済が成熟すると、不要論もつきまとうようになった。旧大蔵省の護送船団方式の金融行政が批判され、そこから分かれた金融庁が業界とドライな関係となって投資家保護を唱え始めたように、経産省も産業界寄りのままではいられない時代だ。・・・とらえどころのない消費者相手。それでも、行政ニーズは今後、伝統的な産業行政部門より、むしろ大きくなる可能性がある。省庁再々編論議では、消費者行政庁構想も取りざたされる・・・」
この切り口は、私が唱えている、これからの行政のあり方=「業界振興から生活者保護」そのものです。「行政の役割変化」(2月8日11日をお読みください。このように、このアイデアが共有されると、次の改革につながりますね。

行政委員会

記者さんとの会話
記:教育委員会とか公安委員会も、行政機関ですよね。
全:そうだよ。行政機関には、独任制と合議制があって、委員会は合議制の機関。その二つは意思決定とか執行をする機関だけど、審議会のように意見を述べるだけの機関もある。
記:教育委員会が独任制でなく合議制なのは、政治的中立性を確保するためと習いましたが。
全:僕もそう習ったけど、疑問に思っているのよ。地方団体の場合、教育委員会や公安委員会は、首長から独立して=指揮監督を受けないことで、政治的中立性を確保するといわれている。でも、その機関が合議制であるかどうかは、別の話だわな。監査委員は複数いるけど、一人で行動できる。監査委員「会」ではない。
逆に、首長の指揮監督を受ける合議制の行政機関もあり得る。国家公安委員会は委員長が国務大臣で、内閣の一員。内閣総理大臣の指示に従うことになる。
記:なるほど。しかし、私が問題にしているのは、今議論になっている地方の教育委員会に対する文科大臣の指示です。首長からの独立性を確保するために委員会制度を取っているのに、それに対し指示をするなら、何も委員会制度でなくてもいいんじゃないですか。
全:ぼくも、そこが疑問なのよ。ただし、私の整理では、委員会制度にしたままで、首長の監督を受けるという方法もあるけどね。でも、それなら首長の監督を受ける独任制機関にした方がわかりやすいわ。
記:それは知事部局に入って、「教育部」になるということですか。
全:その通り。いつも言うように、国は教育委員会制度でない。文科省であり文科大臣。問題は、地域の教育について、誰が誰に対して責任を負っているか。今の委員会制度は、責任が不明確。さらに、首長でなく国が指示を出すとなると、教育委員会は住民でなく、国に対し責任を負うことになる。私の言うように、首長の元に置けば、責任ははっきりする。そして、それは国ではなく、住民に対して責任を負うことになる。
記:文科省でなく、首長がまずは指示をすべきではないですかね。いずれにしても、わざわざ行政委員会制度を取っていながら、国が指示をするということの意味について、行政法学者、行政学者の意見を聞きたいですね。
全:そうやね。ぼくの見解だけで記事を書くと、危ないよ。

教育委員会制度

明治以来の日本の学校教育が大成功したことは、多くの人が認めます。効率的に、これだけの質の高い国民をつくったのですから。世界に例を見ないでしょう。この成果は、評価されるべきす。
しかし、それは発展途上国の時代に、欧米に追いつく、そのために中央集権型・画一的に行うという形で成功したのです。帝国大学が輸入し、文部省が企画し、県庁に示達し、市町村が実行する。これは、明治から戦前まででなく、戦後も同じでした。教える目標が、「富国強兵」から「経済成長」に変わっただけでした。
日本が成熟国になり、複線型=各人が自由に発想し、自己実現をするという社会には、不適合な仕組みでした。発展途上国時代には最適だった教育システムが、成熟国には不適合になったのです。日本の教育が悪くなったのではなく、環境が変わり、使命が変わったのです。これについては、先日書きました(2月24日の項)。
日本が欧米に追いついたのは、経済から見ると1970年代でしょう。しかし、社会の仕組みは、転換に遅れました。行政も、その一つです。それが顕在化したのが、1990年代です。金融行政、薬務行政、公共事業など、順次国民の前に失敗・時代遅れを露呈しました。成功したが故に、転換に遅れたのでしょう。
私が専門にしている地方行財政制度も、いくつかの部分においてそれが当てはまります。効率的な発展途上国システムを支えたのが、国庫補助金と地方交付税です。そして効率的に日本の行政水準を引き上げました。しかし、それは負担と責任を問う自治とは、違ったものです。これが、「新地方自治入門」の主題でした。
いつの時代でも、お金を持っている、そしてお金を配る、人と組織が権威・権力を持ちます。行政でいうと、補助金を配る、予算を配ることです。しかし、社会が変化するとき、その既存権威が転換に遅れるのです。それは既得権益であり、今風にいえば「守旧派」になるからです。
でも、社会で最も力を持つのは、知識であり、新しいことを考える人と組織です。特に、社会が変化するときには、知識と改革する力が求められるのです。その時に、お金を配っている組織は現状に安住し、時代の変化を考えよう、先取りしようと考えません。
私が三位一体改革で主張したのは、文科官僚は日本中の小中学校の先生70万人の給料の2分の1(現在では3分の1)を計算することに労力を使うのではなく、教育の内容を考えて欲しかったのです。それは、その他の補助金を配っている省・官僚も同じです。かつては、日本にないモノ(道路、教育、衛生、産業・・)を日本に広めるために、補助金を配ることは意味がありました。しかし、それがある程度行き渡ったときに、まだ補助金配りに能力を使っているようでは、国民は評価してくれません。それは、最先端の仕事・有能な人がする仕事ではないのです。