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行政-行政機構

組織の失敗・続き

昨日の続きです。
失敗学の中でも、私が関心のあるのは、組織の失敗です。企業や官庁です。広く捉えれば、国家、政治、軍隊などもあります。
組織の失敗には、いくつかの場面があります。一つは、アウトプットの失敗です。企業であれば、商品やサービスが売れなかったこと。それも、事故を起こしたとか不具合があったということではなく、社会で認められなかったことです。欠陥品でないのに、なぜ売れなかったかです。
行政の場合は、商品に当たるのが政策です。政策の場合は、市場競争がなく、売れる売れないという「ものさし」がありません。その政策が効果を上げたかどうかで、判断するのでしょう。あまり使われずに廃止された施設は、これに当たります。もっとも、ソフトな政策は、効果を上げたかどうかの評価は難しいです。
もう一つは、組織全体の失敗です。会社が倒産する場合などです。もちろん、商品が売れなくて、会社が倒産する場合もありますが、個々の商品の失敗とは区別しましょう。行政の場合は、倒産という「ものさし」がありません。別途、評価をしなければなりません。これが難しいのです。
前者は個別問題であり、後者は全体問題です。いずれにしても、組織の目標を達成できなかった場合です。
さて、「戦略の失敗」という表現がされますが、次のような要素に、分けることができると思います。
一つは、「課題の認識」です。
企業の場合は、どのような商品やサービスを売るのか。今の商品ではいずれ売れなくなるので、どのような新しい商品を開発するのかです。企業は、日々、競争にさらされているので、この検討は必死です。一方、行政の場合は、この点がおろそかになります。「坂の上の雲」(明治国家建設)の場合は、世界の大勢に日本が遅れている、このままでは植民地になるという危機感が、課題の認識になりました。
私がことさら、「課題の認識」を一番の要素に取り上げるのは、成功した組織がその後失敗するのは、課題の認識をおろそかにするからです。ヒット商品にあぐらをかいて、その後負けた会社。日露戦争に勝って、その後の失敗に落ち込んだ日本海軍と日本国。経済成長に成功して、その後停滞した現在の日本と行政。そして、社会が変化していることを認識し、これからも変化することを予測する必要があるのです。
二つ目は、「対策」です。
「戦略の失敗」と呼ばれることは、ここに当たります。課題に対して、対策を立てる。戦略と戦術です。もちろん、この適否が、成功するか失敗するか、成否を分けます。
三つ目は、「責任者」です。
課題はわかっている。対策もわかっている。なのに実行できない。そのような事例は、ままあります。
戦略を実行するには、困難が伴います。資金が潤沢にあり、職員も優秀、時間もたっぷりある、技術も万全。なんてことは、まずありません。限られた資金と職員を集中させることが、必要になります。それ以外の部門を切り捨てる、後回しにする必要があるのです。優先順位をつける。そして劣位の部門を納得させる。これが難しいのです。責任者の「意思」「決断」「説得」。これらが、重要になります。民主主義の場合は、有権者の理解が必要です。故に、民主主義の場合は、大きな改革が困難となります。
このほかに、組織の失敗としては、事故を起こした場合、欠陥商品を売った場合、職員が不祥事を起こした場合、職場がうまく運営できていない場合、さらには下位組織が目標を達成できない場合、などがあります。これらも、組織にとっては重大なのですが、これらは「戦略の失敗」ではなく、「内部管理の問題」です。もちろん、両者はつながっていることが多く、分別できないこともあります。

失敗学

知人に教えてもらって、森谷正規著「戦略の失敗学― 経営判断に潜む「落とし穴」をどう避けるか」(2009年、東洋経済新報社)を読みました。「組織の失敗」は、私のライフワーク?の一つです。経営学の教科書や成功した人の伝記も参考になるのですが、失敗事例も勉強になります。先輩の成功談や武勇伝とともに、失敗談は、後輩には役に立ちます。
有名なものでは、戸部 良一ほか著「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」(1984年、ダイヤモンド社。中公文庫に再録) があり、日本軍の失敗についてはいくつもの本が出ています。しかし、これは軍隊での話であり、また半世紀以上も前のことです。最近では、畑村洋太郎先生が、「失敗学のすすめ」(2000年、講談社。講談社文庫に再録)などで、失敗学を唱ておられます。ただし、主に工学の分野です。
「戦略の失敗学」は、戦略の失敗という観点から、いくつもの具体事例を取り上げています。良い製品なのに売れなかった、成功していた分野で負けてしまった、というような例です。薄型テレビ、半導体、携帯電話など。そして、企業の失敗や、政治での失敗も取り上げています。
かつて、NHKに「プロジェクトX(エックス)」という、好評番組がありました。困難な課題に打ち勝って、成功した物語を取り上げた番組です。本にもなっています。当時、成功だけでなく、失敗した事例を取り上げる「プロジェクト×(ペケ)」があればと、思ったものです。しかし、失敗事例は、関係者もしゃべりたくないでしょうから、番組や本にするのは難しいでしょうね。成功談は読んでいても楽しく、失敗談は元気が出ません。しかし、リーダーにとっては、失敗事例こそ勉強しておかなければならないことです。行政の世界でも、事故の原因調査報告書は出されますが、自らの組織がやった施策の失敗は、調査報告書が出されることは希です。
具体事例が、わかりやすいです。しかし、そこから教訓を引き出す必要があります。ところが、あまりに一般化すると抽象的で、これまた役に立たなくなります。

行政訴訟を使いやすく

9月10日に最高裁判所が、土地区画整理事業の計画取り消しを求める訴訟を、認める判決を出しました。これまでは、計画段階では実際の権利侵害が生じていないという理由で、訴えが認められなかったのです。判例が変更されました。
その背景には、司法制度改革で、公権力の行使をチェックする行政訴訟を使いやすくしようとする流れがあります。これまでは、「行政のすることはひとまず間違いない」という前提だったのです。しかし、土地区画整理事業などは、実行されてからでは元に戻せない、戻そうとすると膨大な費用と期間がかかるので、事実上戻せなかったのです。

政府の民間委員

13日の朝日新聞「政治不全、経済界からの直言」、葛西敬之JR東海会長の発言から。
・・企業の経営者を政府の委員会や懇談会のメンバーに入れて政策立案する手法が増えている。しかし、民間人の力を借りればいい知恵が出るなどということは、実際にはあり得ない。
・・民間人は政策の起承転結のすべてを自分でやる力はない。また、そうすべきでもない。
政府の側から「どうしたらいいでしょうか」と聞かれることもあったが、それではダメだ。責任をとるのは政府であり、与党であるという覚悟がいる。それがないから、私が関係した社会保障や教育、安全保障政策でも、同じような組織が立ち上がったは消えることを繰り返している。
民間人が入った有識者会議のようなものは、世の中のコンセンサスを得るためのツールと割り切るべきだろう・・

プロセス管理からパフォーマンス管理へ

9月1日の日経新聞「領空侵犯」は、市川真一さんの「指導要領、根本から見直せ」でした。
・・今の制度の問題は、プロセス管理中心で、パフォーマンス管理ができていないことです。学習指導要領は学年ごとの年間総授業時間数や各教科で何を何時間教えるかなどを、細かく定めています。これがプロセス管理ですが、それで、どんな成果が得られたかを検証するパフォーマンス管理がほとんどない。これでは公教育の問題点や改善策が見えません。
・・最も重要なのは、中教審ではなく文科省が責任を持って、明確な教育目標を設定することです。確かに今も目標らしきことは書いてありますが不十分です。例えば英語教育は外国人とコミュニケーションを取れることが大切なのに、大半の大学生は英会話ができない。英語教育の目標設定や教え方、カリキュラム自体が間違っているのです。
・・総授業時間数や教科の時間配分などのプロセス管理は、地方の裁量に委ねます・・