カテゴリー別アーカイブ: 行政機構

行政-行政機構

自己改革できない組織は続かない

先日(2月5日)紹介した、カー著『危機の二十年』(岩波文庫)に、次のような文章があります。
・・政治的変革の必要性を認めることは、どの時代のどんな考えをもつ思想家たちにとって、別に珍しいことではない。バークの有名な言葉に、次のようなものがある。「何らかの変更の手段を欠く国家は、自己の保存のための手段を持たない」・・(p393)
確認したら、確かに。エドマンド・バーク著『フランス革命についての省察(上)』(邦訳2000年、岩波文庫)に、書かれています。その記述の後には、次のような文章が続きます(p45)。
・・かかる手段がなければ、それは自分が最も入念に保存を念願する、憲法の肝心要の部分を喪失する危険をさえ引き起こすだろう・・
そして、バークは、イギリスの王政復古と名誉革命について言及し、イギリス国民は、国王をなくしても王政と議会を解体せず、イギリス国家(政治)を再生させたことを述べます。もちろん、王政を廃止し混乱に陥ったフランス革命との対比です。

保守主義の父と言われる、バークの発言だから、重みが違いますね。
大きくは政治の要諦、身近なところでは組織の維持に必要なことは、既存秩序の維持と変革の組み合わせです。変化は、既存社会・組織の秩序や構造から逸脱する行為です。目に余る逸脱は排除しなければ、既存秩序は揺らぎます。組織は維持できず、政治は信頼を失います。しかし、環境の変化や構成員の考えの変化を取り込まなければ、組織は維持できず、構成員の支持を失います。新しい変化のうち、何を排除し何を取り込むか。そして、それをどのような過程で処理するか。処理の仕組み(プロセス)を組み込まない組織は、弱いです。

ず~と、こんなことを考えているのですが。その気になって読まないと、何が書いてあっても、頭に残らないということですね。反省。馬の耳に念仏。

内閣官房の年始の挨拶

今日、官邸大会議室で、内閣官房職員に対して、官房長官から年始の挨拶(訓示)がありました。このホームページで何度か紹介しているように、内閣官房には、たくさんの組織があります。この図のうち、3人の副長官補の下にある各種の事務局や室を数えると、今日現在では25あります。これらをご存じの方は、そう多くないでしょう。
内閣官房は独立して職員を採用していないので、各省からの出向者からなっています。何人いるのかは、私は知りません。今日集まった職員だけでも、大変な人数でした。
また、内閣に直接属する組織は、このよう(行政機構図、内閣の機関)になっています。内閣法制局、人事院、各種本部です。復興対策本部は内閣直属の組織であり、事務局はこの表に出てくるとともに、事務局職員は官房副長官補の下にある「東日本大震災復興対策室」に属しています。
官房長官は、別に内閣府を統括しておられるので、例年、内閣府職員へも年始のご挨拶があります。さらに内閣府には担当大臣がおられるので、その方々も挨拶されます。なお、行政機構図は、こちら

審議会の責任

14日の読売新聞1面から2面にかけて「検証9か月原発危機」で、放射線審議会が取り上げられています。
・・だが、同審議会の法的権限は、省庁からの諮問に対し意見を述べることに限られている。2001年の省庁再編に伴い「審議会が省庁の隠れみのになっている」として、各審議会について必要最小限の機能のみを残すことになり、放射線審議会もそれまで持っていた提言機能を失った・・
省庁改革の際に、審議会の見直しを担当しました。この記事に書かれているとおりです。審議会を、審査決定を行う審議会と、提言を行う審議会に分けました。そして、後者については省庁の隠れ蓑にならないよう、大臣からの諮問に答える以外は、提言する権限を絞り込みました。拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』(良書普及会)2001年2月号、7月号

行政権の責任を明確化するという観点からは、この記事の論理は、少し変ではないでしょうか。行政の責任を明確にしたので、この場合は、省庁の不作為について、「放射線審議会が提言しないからだ」と言えないようにしたのです。審議会は、あくまでも省庁の一機関です。提言が必要なら、大臣が審議会に諮問するのが筋でしょう。またメンバーが専門的知見から提言をしたいのなら、審議会という場でなく別の方法で意見を発表することも可能です。
さらに、行政が、民間人の知見を集めることは、悪いことではなく、奨励されるべきことです。それを、メンバーが固定した審議会という形をとるのか、テーマごとに大臣が意見を聞く場を設けるかは、別の話です。

第三者委員会

企業の不祥事が続き、その事実と原因を究明するために、第三者委員会が設置されることが多いです。12月7日の朝日新聞オピニオン欄は「不祥事と第三者委員会」を特集し、8日の日経新聞経済教室は、国広正弁護士の「第三者委員会、機能の条件」を載せていました。
それによると、企業の第三者委員会は、欧米から輸入された制度ではないそうです。1998年に破綻した山一証券の調査委員会から、10数年かけてわが国独自の第三者委員会が形成されたとのことです。刑事事件になると捜査機関が捜査しますが、それは犯罪を構成するかどうかという観点であって、不祥事の原因やなぜ防げなかったかの究明までは、期待できません。また、内部調査では、客観性が確保でず、真実が究明されずに、世間の信頼が得られないこともあります。
日本弁護士連合会では、昨年「第三者委員会ガイドライン」を制定しました。弁護士が、調査委員に依頼されることが多いのです。そして、依頼者である経営側は、真実を全て明らかにされることを好みません。そこで、このガイドラインが、経営者からの圧力に対して「盾」になるのです。

また、行政機関でも、第三者委員会が設置されています。10日の読売新聞は、政府(各省)が依頼した第三者委員会の、外部有識者へ払う報酬が適正かどうかを、取り上げていました。そこに、8件の第三者委員会が載っています。原発事故、汚職、裏金問題、ヤミ専従問題などです。
このホームページでも、行政の失敗を検証することの必要性を、何度か取り上げました(2007年11月1日、2日5日など)。イギリスのイラク戦争を検証する独立調査委員会も、紹介しました(2010年2月20日)。私の関心は、行政の失敗を検証し、そこから教訓を蓄積することです。そのためには、このような検証実績をまとめる必要があります。
もっとも私の関心は、官僚の汚職などの不祥事でなく、行政の失敗や政策の失敗です。
なお、地方行政では、市民による監視として、オンブズマン制度が導入されているところもあります。

行政の失敗と政策の転換

11月12日の朝日新聞夕刊「昭和史再訪」は、昭和52年(1977年)2月26日の、知床100平方メートル運動開始でした。
知床の乱開発への危機感を持った町長が、離農者8人の所有する120ヘクタールの土地を、どのように「買い取るか」から始まります。町の財源では無理、北海道も国も援助してくれない。そこで思いついたのが、全国の人に分譲する=寄付金を募ることです。これには、イギリスのナショナルトラスト運動が、参考になりました。
私が紹介したいのは、このあとです。1986年に林野庁北見営林支局は、この土地に隣接する国有林の6%、1万本を切る計画を打ち出します。これに対して、運動参加者から抗議が殺到しました。翌年4月には町長選挙があり、この問題が争点になります。選挙の12日前に、北見営林支局は、まず530本を伐採。「これで風向きが変わり」、伐採賛成の現職町長が負け、反対派が当選しました。
これを機に、林野庁は林野行政を大転換し、国有林を切って売る方針から、伐採を認めない保護地域をつくることになります。それが、後に世界遺産の知床、白神山地になります。
当時の林野庁課長補佐の証言も載っています。記事をご覧ください。