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行政-行政機構

閉ざされた組織が、知の創造を断つ・その2

引き続き、野中郁次郎先生のインタビューです。
「経営の近代化とは、暗黙知をマニュアルのような形式知にして科学的に経営することだ、と多くの人は考えていませんか」という問に対しては。
・・それは間違いだと思います。全部チェック、チェックと過剰にやったらチェックリストになってしまう。これでは、「マニュアルに書かれていないものがあるのではないか」「このようなマニュアルになった背景は何か」などと、現場で状況や文脈に応じて適時適切に判断する「実践知」が働かなくなる・・
すべてを科学的に分析し、経営することは不可能でしょう。
私もかつては「経営は科学だ」という旗を振っていた一人でした・・いまでもこの考え方は主流で、ビジネススクールでも客観的に分析的にルールやモデルを作らなければいけないと教えています。しかしそこから何が起きるのか。
人としての倫理、会社な何のために存在するのか、といった主観の部分が抜け落ちてしまいます・・

ご指摘の通りです。マニュアル化できる部分は、できる限りマニュアル化すべきです。「私も先輩のやり方を見て、見よう見まねで覚えたから、あなたもがんばってね」という「体育会系後輩育成論」は、私の最も嫌いな流儀です。
しかし、マニュアルの限界は、明らかです。マニュアルに沿って仕事をしている人は、それを外れた事態に対処できません。そして、新しいマニュアルは、書けないのです。さらに、その仕事は何のためにやっているのかという、目的意識がなくなります。
決められた仕事をする従業員は、マニュアルに沿った仕事で良いのです。しかし、管理職やリーダーは、マニュアルにない事態が生じたときそれを処理すること、マニュアルを書き換えること、マニュアルにないことを考えることが仕事です。法律に基づいた仕事をすることと、問題が生じたので法律を書き換える仕事の違いです。「前例がありません」と言うのか、「前例がないので、こうします」というのかの違いでもあります。

閉ざされた組織が、知の創造を断つ

9月1日の朝日新聞オピニオン欄は、野中郁次郎さんの「よみがえれ日本の経営」でした。
「優秀な人材を集めていたはずの東京電力が、原発事故に十分に対応できませんでした。東電の失敗の本質は、どこにあるのでしょう」という問に対して。
・・オープンな知の総動員体制を、つくれなかったことだと思います。政治や役所を忖度し、現場の判断をあまり尊重しなかった。原子力村にこもり、自分たちにない知を活用する開かれた姿勢もなかった・・
東電は木川田一隆さんが社長だった1960年代から70年代初め、他社に先駆けて「社会貢献」をめざし、現場での教育も含めて、総合的な研修体制を整えた。現場を回る人たちは電信柱に登り、地域に密着し経験を重ねた。そうした現場感のある人が、経営陣になっていったのです。
ところが、霞ヶ関との交渉がうまいとか、論理的に正しい経営計画をつくるとか、総務、企画の能力にたけた人が出世する構造に変わっていった。
こうした能力は、言語化できる知識、すなわち「形式知」が基本です。一方、言葉にうまく表せない現場経験から得られる「暗黙知」がある。私は、形式知と暗黙知を相互に変換させながら、新たな知を生み出すことが重要だと考えます・・

私の周囲でも、思い当たることが、いくつかあります。私が指摘するのは、企業とともに行政組織です。
内に閉じこもった時から、組織の発展や創造は止まります。なぜ、内に閉じこもるか。それは、業績を達成し、日本一や世界一といった評価を得た時からです。「俺たちのやり方が正しい」「俺たちの仕事の仕方と組織が、日本一なのだ」と考えるからです。慢心とも、いえるでしょう。
先輩たちは、試行錯誤して、組織と仕事の流儀を作り上げました。その組織を取り巻く環境や社会が変わらず、競争相手がいなければ、その「一番」は保てるのですが。そうは、いきません。日本一になったところで、目標は変わっているのです。社会も変わっていきます。
なぜ、転換できないか。それは、次のような構図です。しばらくは、日本一が続きます。そして、やっかいなことに、マスコミや世間が、しばらくの間、高く評価してくれます。後輩たちは、その評価に安住してはいけません。後輩たちがしなければならないことは、先輩の流儀を守り続けるのではなく、新しい目標とそれに適合した流儀を探し、挑戦することです。
これは難しいことです。先輩たちは「なぜ、変えるのか」と非難します。先輩にかわいがられた主流派は、総務や企画部門で先輩の教えを守り、保守本流=守旧派になります。改革派は、傍流になります。これが、成功した組織が陥る「失敗の構図」です。そして、成功が大きいほど、転換は難しくなります。
この項続く。

科学者の知見の活用

イギリスやEUには、政府に首席科学顧問(Government Chief Scientific Adviser)が置かれているとのことです。イギリスのThe Government Office for Scienceのホームページ。どのような仕事をしているかは、リンク先をご覧ください。
8月2日の朝日新聞オピニオン欄は、EUの首席科学顧問のアン・グローバーさんのインタビューを載せていました。

原発事故について。
・・私は英国の首席科学顧問のジョン・ベディントン氏と一緒に対応にあたりました。情報収集はきわめて困難だった。理由の一つは、日本に首席科学顧問がいないから。もしいたら、即座に科学者のネットワークができ、情報交換や情報の批判的検討もできた。日本にとっても、助けになったと思います。世界中から最良の知識を持った科学者を探し出し、力を貸してもらえたでしょう・・

ベディントン氏が、事故直後に東京の英国学校長に学校閉鎖の必要はないと明言したことについて。
・・私たちは誰もが意見を言える場を作り、影響について議論しました。ベディントン氏がその情報を政府に持って行き、首相が証拠に基づいて決断したわけです・・

英国で狂牛病が広がったとき、政府は当初、人には感染しないと言ったが、後になって間違いだとわかった。このときは、英国の科学者も信頼を失った。どうやって、信頼を取り戻したのかについて。
・・私は、間違いを認めることによってだと思います。正直さがとても大事です。そして透明性です。当初は人に感染する証拠がなかった。それは事実です。その後の研究で、感染しうるとわかった。それで、我々は間違っていたと正直に伝えたわけです・・

政府は信用できない組織?

古くなって恐縮です。7月21日の朝日新聞オピニオン欄で、小浮正典さん(PR会社経営)が、次のようなことを指摘しておられました。
・・福島県産品の消費回復の足取りが重い。放射性物質の検査が強化され、市場に流通する商品については、消費者が心配すべき状況は一応、脱しているはずなのに、思うように売れないのは、いくら「安全」だといわれても、「安心」でないからだ。「安全」は科学的な根拠に基づく客観的な事実であるのに対し、「安心」は情報の受け手が理解し、納得した主観だ。要は、「安全」と「安心」が乖離しているのである。
困ったことに、福島県産品のブランド回復に向けて、政府がいま何をやっても効果は期待薄だ。問題の発端である東京電力福島第一原発事故、それに続く放射性物質に関する政府の情報の混乱こそが、「安全」と「安心」の乖離をもたらした元凶だからだ。消費者にとって、政府は理解も信用もできない組織になっている・・

各府省発行のメルマガ・その3

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(2012年6月29日)

(厚労省の自己検証)
厚生労働省が、東日本大震災の際の対応を検証した結果を公表しました。民間出身の調査員が、調査・検証し、反省点を踏まえた今後の対応策を示しています(報告書概要本文)。
原子力災害現地本部への職員の派遣が遅れたことや、義援金の配分が遅れたことなどを率直に反省し、次回への改善を提言しています。
良いことだと思います。多くの組織において、自らうまくいかなかった点を検証し反省することは、なかなか行われません。また、身内での検証は甘くなりがちで、外部の者による検証は実態に踏み込めない欠点があります。
少し古くなりますが、官僚機構の失敗とその検証について、連載「行政構造改革」(2008年1月号、2月号)で解説しました。