「行政機構」カテゴリーアーカイブ

行政-行政機構

グローバル化が行政に与えるインパクト

大橋洋一執筆「グローバル化と行政法」(『行政法研究第1号』(2012年9月、信山社)所収)が、勉強になりました。この雑誌は、宇賀克也東大教授が創られた、行政法学のアカデミックな研究論文を掲載する雑誌です。また、大橋先生の論文は、2012年6月にソウルで開催された「東アジア行政法学会第10回大会」の報告の一部です。
詳しくは、論文を読んでいただくとして、私が参考にしたのは、次のような指摘です。
国家を中核的単位として発展してきた行政法学にとって、国家の境界を越えたグローバル化は、大きな変革要因になっている。
グローバル化には、次の3つが含まれている。
1 経済取引が地球規模にまで拡大したことに伴い発生する問題群、「市場のグローバル化問題」。
2 地球規模で人や物、資本ないしサービスが自由に行き来することに伴う問題群、「移動・移転に伴うグローバル化問題」。
3 国家の枠組みを超えて地球規模での対応を必要とする新規政策課題、「地球規模の政策課題としてのグローバル化」。

そして、グローバル化が地球規模の移動を持つ動態的概念であることから、国境という境界線を設定し、その内部での統治、支配、管理、規制といった要素に起源を持つ伝統的国家像に対して修正を迫る傾向を持つ。また、安定的秩序形成を基本的任務としてきた法律制度と法律学に対しても、緊張関係に立つことがある。
国際行政法では、国家の上位に超国家機関を設立して、そこに各国の行政権が持っていた権限を移譲するのではない。従前のように、各国が議会を持ち、行政機関を配置して、国内行政事務に加えて国際行政事項の執行も担わせるという基本形態を維持した上で、国際機関なり国家相互の協議で取り決めた基準や目標を国内において円滑に実現していく。つまり、国家相互間の制度調整問題が、中心的検討事項とされている。
すると、グローバル化は、行政のスタイルの変化も要請する。
例えば、従来の公法学では、行政主体間の調整原理として、官僚組織を念頭に置いた、垂直関係における階層性の調整が重視されてきた。これは指揮監督権に基づく調整ルールである。これに対し、国家相互間の調整や、国内にあっても地方分権や市民に近い行政過程が重視されるようになると、対等主体間の協議ルールや補完性の原則などが重要性を獲得する。従前のように、広域の主体が優位性を誇るといった調整原理ではなく、それぞれの主体が自己の利害や構想を主張する一方で、相手方の利害や立場に対しても敬意を払う相互配慮が調整原理として注目されることになる。

私たち官僚は、行政実務の先端で働いていて、自分が担当している事案や分野では、第一人者になろうと努力しています。しかし、私たちがおかれている環境や課題の変化とそれに対する理論について、全体像を見ることは困難です。マスコミや学者による、鳥瞰図や理論化は、役に立ちます。

行政の失敗と改善

消費者安全の確保に関する基本的な方針」(平成22年3月決定、25年4月改訂)の冒頭に、「消費者安全の確保の意義に関する事項」が書かれています。なぜ、消費者安全政策が必要になったか、その要因です。
そこには、
「食品表示偽装など食に対する消費者の信頼を揺るがす事件や、高齢者を狙う悪徳商法事案など暮らしの土台そのものを揺るがす問題」が起きていることのほかに、
「ガス湯沸器による一酸化炭素中毒事故にみられるように、消費者の権利を損なうおそれのある情報の収集やその情報の共有が不十分であったため、迅速に行政から消費者にこれらの情報が伝わらなかった結果、被害の拡大を防止できなかったという問題」
「エレベーター事故にみられるように、事故情報の収集について関係省庁間での緊密な連携協力及び情報の共有が不十分であり、また、事故当時、エレベーターについての事故原因を究明する常設の機関がなかったという問題」
「こんにゃく入りゼリーによる窒息事故のように各行政機関の所管する既存の法律にはその防止措置がない、いわゆる「すき間事案」に対する行政の対応の遅れ」
が指摘され、最後に「これらによって、消費者の間に行政への不信感が生じた」と反省が書かれています。
その結果、平成21年9月、消費者行政を一元的に推進するため消費者庁が設置され、消費者安全法が制定されました。消費者政策が一元化されました。

行政学教科書、曽我謙悟先生

曽我謙悟・神戸大学教授が『行政学』(2013年1月、有斐閣)を出版されました。これからの、代表的な行政学教科書になるでしょう。
これまでの標準(スタンダード)は、西尾勝先生の『行政学』(新版、2001年、有斐閣)でした。私たちは、これで育ちました。もっとも、私が学生の時は、まだ出版されていませんでしたが。もう一つの代表的教科書は、村松岐夫先生の『行政学教科書』(2001年、有斐閣)です。
曽我先生の本は、これまでにない新たな切り口で書かれています。まず、第1部は「政治と行政の関係」です。これまでの行政学は、官僚制を分析することが重点でした。政治と独立して、行政機構があるかのような扱いでした。政治との関係という、重要な視点が抜けていたのです。
第2部は「行政機構」です。これは従来の教科書の範囲です。第3部が「マルチレベルの行政」、すなわち地方行政と国際行政です。これまでの教科書は、地方行政は取り上げていました。第4部は「ガバナンスと行政」です。そこでは評価だけでなく、市場やNPOとの関係も書かれています。
こうしてみると、これまでの行政学教科書が、行政組織と官僚制に焦点を当て、狭かったことがわかります。
欲を言えば、政策についての記述が欲しいです。行政は、国民や住民が求める課題について、それぞれ政策を講じることで、求めに応じます。教科書ということで、抽象化は仕方がないことですが。行政が何のためにあるかを考えると、透明な空気の中で無色透明な蒸留水をはき出しているわけではありません。安全、福祉、産業政策、教育など、何を「産出」しているのか。それが問われるべきです。
この点に関しては、飯尾潤先生の『現代日本の政策体系―政策の模倣から想像へ』(2013年3月、ちくま新書)を挙げておきます。現在あるいは現代日本の行政(中央政府、地方政府)が行っている「政策」を網羅した本は、見当たらないようです。
まだ2冊とも読み終えていないのですが、忘れないうちに書いておきます。これらの本を読むことで、行政官として、改めて自分のしている仕事を、広い座標軸の中に位置づけることができます。早く読み終えなければ、いけませんね。

官僚機構、その場限りの対処、縦割りの弊害

松本三和夫著『構造災―科学技術社会に潜む危機』(2012年、岩波新書)に、「その場限りの想定を基にした対処療法の増殖の危険性」を取り上げたか所があります(p128)。日本における原子力発電を導入する当初のことです。放射線による障害防止に関する、各省の対応が紹介されています。

・・1955年10月16日、総理官邸で開催された超党派による原子力合同委員会で、・・放射性物質取締法案要綱が議論され、・・各省の見解が提示された。
厚生省は、X線などによる放射線障害の防止の問題と抱き合わせにして、医療法の中で扱いたいとする。通商産業省は、特殊危険物たとえば特殊高圧ガスの取り扱いに関する基準でじゅうぶん扱えるという見解を提示する。
労働省は、保健の問題も保安の問題も廃棄の問題も、いずれも労働基準法で扱えるという見解を提示する。人事院は、鉱石の粉じんの問題などに照らして、粉じんを集めた廃棄物の処理が必要との見解を提示する。文部省は、最終的には放射性物質の研究も使用も文部省で一括して行いたいとする。
・・関係各省が、みずからの所管担当業務のなかに放射線障害の防止の問題をとりこもうとする姿勢が見て取れよう。ここで重要なのは、その際に放射線障害は、X線、特殊高圧ガス、保健、鉱石の粉じんといった、各省が扱いなれたその場かぎりの実務例を想定して理解されている点だ・・その結果、放射線障害防止法案は、各省が扱いなれたその場かぎりの実務例を想定した対処療法として法案化され・・1957年6月10日に成立する・・

その場限りの対処と、各省の縦割りの弊害が、現れています。各省、特に各課に割り振られると、担当者は自らの所掌範囲内でしか答えが書けません。すると、「前例にあることはできる」「前例の拡大解釈の範囲内ならできる」=「それ以外はできない」となります。この答えをそのまま、内閣官房に提出すると、上のような結果になります。
このような弊害をどう防ぐか。また各省にまたがる課題を、どのように統合するか。担当窓口の一本化と、対処として漏れ落ちがないかをみる必要があるのです。
ただし、課題ごとに組織を新設するわけにもいきません。既存の組織と人員を活用しつつ、新たな視点で「統合する」。それが必要なのです。

シビリアンコントロール、専門集団の機能と管理

危機で試される制度と組織」、サミュエル・ハンチントン著『軍人と国家』(9月26日の記事)の続きです。

ハンチントン(ハンティントン)教授は、『文明の衝突』などで有名です。1927年生まれで、『軍人と国家』は1957年に出版されています。ということは、20代の若さで、この本を書かれたのですね。
実は、北岡伸一先生の『官僚制としての日本陸軍』(2012年、筑摩書房)のあとがきに、『軍人と国家』が紹介されていたので、読み始めました。あとがきには、次のように紹介されています。
「かつてサミュエル・ハンティントンは、しばしば類似した性格を持つとされる日本の軍隊とドイツの軍隊を比較して、実は両者の差はきわめて大きいと指摘したことがある。ドイツはプロフェッショナリズムによって特徴づけられるのに対し、日本の陸軍はその欠如によって際立っているというところが、そのポイントだった・・」
『軍人と国家』では、「第5章 ドイツと日本におけるシビル・ミリタリー・リレーションズの実際」で分析されています。北岡先生の本を読んでいる途中なのに、ハンティントンの本に手を出すという、私のいつもの悪い癖です。もっとも、北岡先生の本に手を出したのは、先生のファンであることととともに、日本の軍隊がなぜ国を滅ぼしそして自らの軍隊を滅ぼしたか、広い意味での官僚機構の一つとして軍隊組織がなぜ失敗したのかに関心があるからです。
国を守るべき軍隊が、戦争を引き起こし、さらに拡大し、結果として国を滅ぼした上に、自らの組織(軍隊)を消滅させたのです。

私のライフワークの一つは、官僚制です。官僚制を内側からどう改革するか、そして、日本の政治行政や社会の中でどのように位置づけ機能させるかを、考え続けています。
官僚制の欠点を改革するには、官僚機構の改革(内なる改革)とともに、政治との関係や社会の中での位置づけ(外との関係見直し)という視点が、必要です。その点で、『軍人国家』は、きわめて有用です。
「機能的に見て、いかに合理的なシビル・ミリタリー・リレーションズも、その国の大多数の国民の作り出すイデオロギー的環境と無関係には存在し得ないことを、ハンチントンの分析は明確に示している」(訳者まえがき)のです。
すなわち、シビル・ミリタリー・リレーションズを体系的に分析する際の基本的構成要素として、「政府における軍事組織のフォーマルで構造的な地位」「全体としての政治および社会に対する軍人グループのインフォーマルな役割と影響力」「軍人グループと非軍人グループのイデオロギーの性格」を挙げ、「これらの要素のうちどれか一つが変化すれば、かならず他の要素にも変化を引き起こす・・」(著者まえがき)のです。
著者は、この文章に引き続いて、次のようにも書いています。「たとえば、日本やドイツの将校団にみられるイデオロギーの差違は、それぞれの社会で彼らが行使した権威と影響力の差違、並びにそれぞれの社会のイデオロギー的局面の差違に直接関連していた・・」。

いつも繰り返しているように、「日本の官僚制が優秀と評価された後、この20年で評判を落としたこと。これは、日本の官僚が変わったというより、社会が変わっているのに官僚が変わっていないことに原因がある」というのが、私の主張です。