「行政機構」カテゴリーアーカイブ

行政-行政機構

行政の役割、育成と規制

1月8日の読売新聞が「保育改善指導公表1割」を大きく伝えていました(古くなってすみません)。
記事によると、保育施設への検査権限を持つ121自治体(都道府県、政令市、中核市)のうち、改善を指導した施設名と指導内容を公表している自治体は11団体で、1割に満たないことが、読売新聞の調査で分かったそうです。

保育施設での子供の事故が相次いでいます。そこで、市役所が調査に入り改善指導をします。問題は、ここからです。その指導内容を市役所が公表していないのです。
理由は、人手不足で余裕がない、保育施設の運営を妨げる、保護者の不安をあおるなどです。
しかし、改善指導をしているなら、それだけの事実と理由があるはずです。
子供を預けている保護者からすると、そのような情報は開示してもらいたいです。保育施設は、指導に対しどのような改善を行ったかを答えるべきでしょう。

業界を相手にした行政では、これまではその育成が任務でした。ところが、利用者の立場に立つと、育成とともに規制もしてもらわなければなりません。一定基準を満たすように、規制することです。
教育において、提供者側の学校や教師、学校法人を相手にするのか、利用者である生徒や保護者を相手にするのかで、視点が変わってきます。

提供者育成は、相手や業界団体があると比較的簡単です。補助金を出す、法令や指導を行うことです。ふだんからのつながりもできます。
それに対し、利用者は多数ですから、相手にするには違った行政手法が必要となります。

ボルカー元FRB議長、行政の重要性

11月1日の日経新聞オピニオン欄、ジリアン・テット、ファイナンシャルタイムズ米国版編集長の「ボルカー氏が残す警鐘」から。
この記事は、ポール・ボルカー元米連邦準備理事会(FRB)議長の回顧録についてです。
記事の前段は、金融政策が後退しているとして、3つを挙げています。これはこれで重要なのですが、それは原文を読んでいただくとして。ここで紹介したいのは、行政への期待です。

・・・驚くのは、彼が次世代に残したいメッセージとしてトップに挙げるのは金融や経済ではない点だ。それどころか「自分としては、パブリックサービス、つまり公務員の仕事の重要性を理解してくれることを何よりも望む」と強調する。
20世紀には、政府は価値あるものと社会が受け止め、人々の支持を受けるべきものだという考え方が浸透していたが、これが21世紀が進むに従い、特に米国で廃れてきていると同氏は感じている。「私が育った時代は、『良い政府』というのは皆が響きのいい言葉だと捉えていた」と話す。1950年代にはパブリックサービスは尊敬を集める仕事とされ、プリンストンのような大学では「行政」は重要な学問と見なされていた。

「しかし今や『良い政府』という言葉は、あざけりの対象でしかない」と嘆く。大学は実践的な行政教育を事実上、捨ててしまっており、代わりに「政策」に焦点を置いている。ボルカー氏のように何十年も行政に携わる仕事をして、高額報酬を得られる機会を棒に振るような学生は今はほとんどいない。
この風潮を変えようと、同氏は、行政に関する教育をもっと重要な位置づけにするプロジェクトを立ち上げたが、「うまくいっていない」と言う。「このプロジェクトのために超富裕層から資金を調達できると期待したが駄目だった。彼らは政府は小さい方がいいという考え方で、政府がどっちを向こうが気にもしていない。今の時代、必要なのに支持が得られない」

これは憂慮すべき事態で、ほとんど議論されることがないからこそ、ボルカー氏の警鐘は重要だ。実際、地球温暖化から教育まで様々な問題に対処するため、あるいは自由市場が抱える問題点の解決法を選ぶためだけにでも、力ある行政が米国に必要な時があるとしたら、それはまさに今だ・・・
原文をお読みください。

行政指導

個人情報保護委員会が、10月22日にフェイスブック社に対して、行政指導をしたとニュースがありました。例えば、日経新聞
「・・・個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号)第41条及び第75条の規定に基づき、次のとおり指導を行いました・・・」

第41条は、次のような条文です。
(指導及び助言)
第四十一条 個人情報保護委員会は、前二節の規定の施行に必要な限度において、個人情報取扱事業者等に対し、個人情報等の取扱いに関し必要な指導及び助言をすることができる。

「行政指導」という言葉を、久しぶりに聞きました。
ウィキペディアによると「行政指導とは、日本の行政法学で用いられる概念であり、行政手続法は、行政機関(同法2条5号)がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいうと定義している(同条6号)」

かつて、「行政指導」は法律に具体的根拠なく役所が行う指導(明示規定はないが、所掌事務の範囲で行うもの)で、行政学と行政法学では一つの論点でした。今回の行政指導は、法律に具体的根拠のあるものです。
第41条を見る限り、フェイスブック社は何もしなくても、不利益処分は受けないのでしょうか。

圧倒的に少ない日本の公文書保存

7月6日の日経新聞夕刊「公文書管理 遅れる日本」に、諸外国との比較が、わかりやすい表になって載っています。

・・・公文書の分野では、所蔵量を書架の長さで比較する。日本は62キロメートル。米国の1400キロメートル、韓国、フランス、ドイツの300キロメートル台、英国の200キロメートルより圧倒的に少ない。日本は保存の歴史が短く、対象の範囲も狭い。
公文書を管理する機関の職員数も圧倒的に少ない。欧州諸国は500~600人台、米国は3000人超に上るが、日本は188人だ・・・

職員の少なさにも気になりますが、保管量の桁外れの少なさに驚きます。もちろん、この背後には、公文書を大切にしない官僚をはじめとする「意識」があります。

予防接種、副作用のある政策のジレンマ

6月16日の朝日新聞オピニオン欄、「ワクチン後進国」、中山哲夫・北里生命科学研究所特任教授の発言から。

・・・日本のワクチン開発は1980年代まで、それほど遅れてはいませんでした。しかし70年代以降、天然痘ワクチン後の脳炎など、予防接種後の死亡や障害が社会問題になりました。国がその責任や補償をめぐり争ったため、各地で集団訴訟が相次ぎ裁判は長期化。国に損害賠償を命じた92年の東京高裁判決などで決着したのですが、国は予防接種に消極的になり、ワクチン政策は約20年間止まりました。
多くのメディアが被害者の悲惨な状況を報道したこともあって、子どもにワクチンを受けさせないという考えも広がりました。
ワクチンは国に導入の意思がなければ開発が進みません。政府は開発のみならず、海外から導入することもしませんでした。防げる感染症を防ごうとしなかった厚生行政の責任は重いのです。

欧米では感染症の発生動向を監視し対策を講じるという政府の戦略が明確ですが、日本はその姿勢が貧弱です。例えばおたふく風邪は90年ごろ、ワクチンによる無菌性髄膜炎の副反応が問題となり、自己負担で受ける任意接種になりました。その結果、接種率が下がり、15、16年の2年間で少なくとも348人がおたふく風邪による難聴になりました。国の調査ではなく、日本耳鼻咽喉(いんこう)科学会による調査で明らかになったのです。
おたふく風邪ワクチンが定期接種となっていないのは、先進国では日本ぐらいです。ワクチンによる無菌性髄膜炎の発生率は、おたふく風邪による発生率の25分の1という研究報告もあります。ワクチンの効果と副反応についてメディアの理解を深め、市民に正しい知識を普及させるためにも、根拠となるデータが重要です・・・

6月15日の読売新聞は、解説欄で「子宮頸がんワクチン勧奨中止5年」で、同様の問題を取り上げていました。

副作用を伴うワクチン接種を進めるのか、やめるのか。難しい判断を迫られます。しかし、伝染病のワクチンは、多くの人が接種することで、流行を防ぐことができます。個人の自由にするだけでは、目的を達しないのです。
この点については、手塚洋輔著『戦後行政の構造とディレンマ-予防接種行政の変遷』(2010年、藤原書店)が詳しい分析をしています。「行政の決断と責任