カテゴリーアーカイブ:社会

落第のない日本

2022年7月24日   岡本全勝

7月8日の日経新聞1面「成長の未来図 知で越える危機」「異能が呼ぶ革新、果実に ギフテッド封じる平等主義」は、飛び級がないことを指摘した記事です。
各国の15歳時点での在席する学年が割合が図で示されています(経済協力開発機構調べ)。日本は、飛び級がないのに対し、各国では標準より上の学年に在籍する生徒が結構な割合でいます。

ところで、私が注目したのは、その逆の場合です。本来の学年より下の学年に在籍する生徒です。「落第」などです。日本は、この生徒もいませんが、外国には結構いるのです。
でも、すべての小中学生が、きちんとその学年に学ぶことを身につけることができるか。授業が成り立たない荒れた学校や、先生の言うことを聞かない生徒もいます。それでも、全員進級進学できるのです。おかしいですよね。学校からすると、面倒なことはせずに、早く出ていって欲しいのでしょうね。
ここにも、きれい事ですませる「教育現場」が現れていると思います。

舞田敏彦「飛び級、落第を許さない日本の「横並び」主義が生む教育の形骸化」(ニューズウィーク日本版2021年1月6日)

学校教育ベルトコンベア型システムの弊害

2022年7月23日   岡本全勝

7月5日の日経新聞教育欄、苫野一徳・熊本大学准教授の「学校の存在意義 自由を尊重、経験積む場に」から。

・・・私自身、これまで長らく、公教育の誕生以来ほとんど変わることのなかった教育システムを大きく転換する必要を訴えてきた。すなわち「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」システムの転換である。
この約150年間続いてきたベルトコンベヤー型のシステムこそが、いわゆる「落ちこぼれ」やその反対の「吹きこぼれ」、不登校やいじめなど様々な問題の元凶になっているのだ。
みんなで同じことを同じペースで勉強していれば、それについていけない子が構造的に生み出される。自分のペースで自分に合った学び方で学んでいれば、落ちこぼれることなどなかったかもしれないのに。
「同じ年生まれの人たちだけからなる集団」は、学校のほかにはおそらくほとんど存在しない・・・その意味で「誰もが、いつでも誰とでも学べる社会」の実現は、確かに目指すべき近未来の教育のビジョンである。私たちは必ずしも、みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で学ぶ必要はないのだ・・・

・・・人類は、1万年以上の長きにわたって、凄惨な命の奪い合いや、ごく一部の人が大多数の人々を支配する時代を生きてきた。今日の民主主義は、そのような歴史を何とか終わらせるために、最近になってようやく登場したアイデアである。
もし、人類が平和に、自由に生きたいと願うのならば、私たちはまず、お互いの自由を認め合う必要がある。そして、一部の支配者ではなく、対等な市民たちの手によって共に社会を築いていくほかにない。
これを「自由の相互承認」の原理という。現代の民主主義の最も根幹をなす考えであり、人類史上最も偉大な発明の一つであるといっていい。実際、人類の多くは今日、政治的・社会的自由を手に入れ、そして意外かもしれないが、この2~3世紀を通して戦争は確実に減少したのだ。
この「自由の相互承認」を実現するための、最も重要な制度。それこそが学校教育にほかならない。お互いの自由を尊重し、この社会を共につくり合うこと。学校は本来このことをこそ、子どもたちに教える場でなければならないのだ・・・

変な人たち、男性社員編

2022年7月11日   岡本全勝

今回もまた、このホームページで定番のお話しです。

電車の中や駅で、変なおじさんやお兄さんを見かけます。この夏は例年にまして暑いです。なのに、黒や紺の背広上下を着て、汗をかいている人です。
暑い夏に、黒の背広はやめませんか。上着を着たいなら、もっと涼しいのがあるでしょう。あるいは、上着をやめてシャツだけにしませんか。ネクタイは締めないのだし(中には、ネクタイをしている人がおられますが、何か事情があるのでしょうね)。

私は夏は、薄い青色やネズミ色系の上着にしています。シャツは青の縦縞模様が多いです。ボタンダウンで、ネクタイをしません。
後輩たちが黒の背広で来たら、「君たちが貧乏でスーツをたくさん持っていないことは分かるけど、夏に黒はやめてくれ。夏用の上着を持っていないなら、黒の上着を着てくるなよ」(笑い)と忠告します。

女性がさまざまなおしゃれをしているのに、男の人はなぜこんな暑い格好をしているのですかね。「熱帯地方」の日本に、黒の背広上下は罪です。

気配り破壊器

2022年7月10日   岡本全勝

「変な人たち、地下鉄編」の続きにもなります。
混み合った車両に、無言で人を押しのけて乗ってくる人。その多くは、スマホを操作しながら、前の人に声をかけることなく、乗り込んできます。周囲の人に気配りができない人たちです。そんなに、スマホが重要なのですかね。それとも押し入る際に、ばつが悪くスマホを見ているのですかね。
周囲を見渡して、混雑した場所を避ける、通路を確保することはできませんか。混み合っているときは一声かける、「お願いします」とか。

私は、スマホを「猫背・近眼製造器」「脳力低下装置」「時間泥棒」と呼んでいますが、「周りが見えない人製造器」「気配り破壊器」という名称も加えましょう。
新技術は、悪いことも普及させます。「スマホ使用による脳の低下」「現代社会の時間泥棒」「テレビとスマホ、低俗?の程度」「スマホの副作用」

SDGs、うさんくさい

2022年7月10日   岡本全勝

6月19日の朝日新聞オピニオン欄「SDGs、うさんくさい?」から。
・・・「持続可能な開発目標」と訳されるSDGs(エスディージーズ)。見聞きすることが増え、学校でも教えられています。ところが、目標が多岐にわたって分かりにくいうえ、我田引水も目立って、「うさんくさい」との指摘も出ています・・・として、アンケート結果が載っています。
「関係する記事や番組が増え、企業がこぞって貢献をうたうSDGsですが、なんだか「うさんくさい」と感じたことがありますか」という問に、281人中163人が「はい」と答えています。

斎藤幸平・東京大学大学院准教授の発言から
・・・アンケートで、SDGsの理念が薄められてしまっている、と危機感を抱いている人が多いことに驚きました。私がSDGsを「大衆のアヘン」と指摘したのは、マイバッグやマイボトルといった小手先の行動は資本主義が内包する根本的な問題から目をそらす役割をするのでは、と警鐘を鳴らすためだったからです・・・
・・・まず必要なのは、資本主義の過剰さを見つめ直すことです。年中無休や24時間営業、翌日配送、洋服や食べ物の大量生産と大量廃棄。終わりなき競争とそれに伴う環境負荷。こんなことを続けていて、私たちは幸せになるのでしょうか。科学技術の恩恵を「速く多く作る」ために使うのではなく、働く時間を減らして、趣味や社会貢献の時間、友人や家族と過ごす時間を増やすために向ける方がいいのではないでしょうか。
SDGsの危うさは、「金持ちの道楽」になりかねない点です。電気自動車を買えばいい、という話ではなく、そもそも車を買えない人もいる。一部の人たちの「頑張って良かった」で終わることのないよう、格差の問題に切り込む平等志向の社会ビジョンが必要です。世界的には、過去の植民地支配に起因する途上国の状況を改善しないといけません。
言葉はブームなのに、参院選の争点になっていないことも象徴的です・・・

私は、日本語に訳さず「SDGs」とそのまま使うことで、この言葉をうさんくさく思っています。多くの人に分かってもらい参加してもらうなら、中学生でも分かる言葉にしてください。「持続可能目標」ではいけないのですか。この点でも、「消費される言葉」と思えます。