SDGs、うさんくさい

6月19日の朝日新聞オピニオン欄「SDGs、うさんくさい?」から。
・・・「持続可能な開発目標」と訳されるSDGs(エスディージーズ)。見聞きすることが増え、学校でも教えられています。ところが、目標が多岐にわたって分かりにくいうえ、我田引水も目立って、「うさんくさい」との指摘も出ています・・・として、アンケート結果が載っています。
「関係する記事や番組が増え、企業がこぞって貢献をうたうSDGsですが、なんだか「うさんくさい」と感じたことがありますか」という問に、281人中163人が「はい」と答えています。

斎藤幸平・東京大学大学院准教授の発言から
・・・アンケートで、SDGsの理念が薄められてしまっている、と危機感を抱いている人が多いことに驚きました。私がSDGsを「大衆のアヘン」と指摘したのは、マイバッグやマイボトルといった小手先の行動は資本主義が内包する根本的な問題から目をそらす役割をするのでは、と警鐘を鳴らすためだったからです・・・
・・・まず必要なのは、資本主義の過剰さを見つめ直すことです。年中無休や24時間営業、翌日配送、洋服や食べ物の大量生産と大量廃棄。終わりなき競争とそれに伴う環境負荷。こんなことを続けていて、私たちは幸せになるのでしょうか。科学技術の恩恵を「速く多く作る」ために使うのではなく、働く時間を減らして、趣味や社会貢献の時間、友人や家族と過ごす時間を増やすために向ける方がいいのではないでしょうか。
SDGsの危うさは、「金持ちの道楽」になりかねない点です。電気自動車を買えばいい、という話ではなく、そもそも車を買えない人もいる。一部の人たちの「頑張って良かった」で終わることのないよう、格差の問題に切り込む平等志向の社会ビジョンが必要です。世界的には、過去の植民地支配に起因する途上国の状況を改善しないといけません。
言葉はブームなのに、参院選の争点になっていないことも象徴的です・・・

私は、日本語に訳さず「SDGs」とそのまま使うことで、この言葉をうさんくさく思っています。多くの人に分かってもらい参加してもらうなら、中学生でも分かる言葉にしてください。「持続可能目標」ではいけないのですか。この点でも、「消費される言葉」と思えます。