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社会

最も多いのは、単身・無職世帯

9月24日の日経新聞に「単身・無職が最多 しぼむ4人家族」が解説されていました。
・・・ 日本の「世帯」の姿が大きく変化している。夫婦と子ども2人の家族構成は今や少数派で、もっとも多いのは単身世帯だ。さらに仕事の状況も合わせて分析すると、直近では「単身で無職」の世帯が2017年に最多になったとの調査もある・・・

・・・大和総研の是枝俊悟研究員は、世帯と仕事との関係を時系列で分析した。世帯を人数だけでなく、働いている人がいるかどうかによって分類した。すると17年は「単身・無職」が最多になっているという結果が出た。30年前には全体の7%にすぎなかったが、17年には17%まで上昇した。5世帯のうち1世帯は「働いていない人の一人暮らし」になったという・・・

記事には、人数別、有業者別の世帯数割合が、グラフになって示されています。もう一つ衝撃なのは、1974年、1988年、2017年の変化です。この40年間の急速な変化に驚きます。
例えば、単身・無職世帯は、1974年には4%でした、それが2017年には17%になっています。4人世帯で1人が働いているのは、1974年は15%あったものが、5%に減っています。2人でともに無職という世帯も、14%に急増しています。
このような変化は、日本の社会を大きく変えることになります。それは、税収や財政支出という財政への影響や消費行動だけでなく、社会の活力、地域の力をです。
詳しくはグラフをご覧ください。

台風対策、交通機関とお店

非常に強い台風24号が、日本に近づき、縦断しそうです。西日本から順次、鉄道が運転を取りやめています。
今日30日午後に、新宿に出かけました。JR東は、20時から在来線の運行を止めると予告しています。紀伊國屋では、18時で閉店すると館内放送をしていました。他のお店も、「18時で閉店します」と予告していました。
そうですよね、店を閉めて、交通機関が動いているうちに、職員が帰宅しなければなりません。

突然、鉄道が止まると、利用者は大変です。大震災の時に、帰宅難民が大量に発生しました。台風の接近は予報できるので、事前にこのような対応を取るのは、賢明です。
また、NHKニュースでは、英語ニュースを紹介しています。そうですよね、駅などでのお知らせも、日本語です。外国からの人には、わかりませんわね。

日本人は忖度好きか

スマートでないスマートフォン」の続きです。

一時、忖度(そんたく)という言葉がはやりました。そして、日本人は忖度する民族だというような指摘がありました。おもてなし上手で、気配りもできるという指摘も。
私は違うと思います。辞書では、忖度とは「他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること」と説明されています。
このページでしばしば批判するように、電車内や通路でスマートフォンやゲーム機に熱中している人がいます。ちっとも、周囲の人を配慮していません。多くの日本人は、忖度好きどころか、忖度できない人なのです。
では、なぜ、公務員や社員の忖度が取り上げられたか。それは、次のように説明することができます。

日本社会は、「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。
身内には強い信頼関係を築きますが、世間一般では信頼関係はそれほど強くないのです。だから、役所や会社の中では、(特に)部下が上司の顔色をうかがいます。それは、日本に限ったことではありません。
違いは、日本における、ソトの人に対する配慮のなさと、身内への忖度との差が大きいことでしょう。

忖度の定義を、「身内や組織内の他人の心情を推し量ること、そして相手に(過度に)配慮すること」とすべきです。
同じように、おもてなしや気配りがよいという説も、身内と顧客に対してです。

女性校長が変える教育現場

先日、「教員と校長の違い」と「日本の教育改革」を書きました。9月17日の日経新聞女性欄に、女性校長の活躍が載っていました。
・・・小中学校の教員の女性比率は高まっているが校長の大多数が男性。仕事と家庭の両立やキャリア構築に悩んだ女性校長らが自らの経験を生かし、学校教育の質の向上にもつなげようと働き方改革を目指し、奮闘する・・・
・・・原点は「ブラック職場だった」と振り返る新任で赴任した千葉市内の中学での経験だ。会議に合わせて教職員は早朝から出勤し、夕方に頭を下げて職場を後にする子育て中の女性教員が陰口を言われた。「深夜まで働ける男性優位の職場で、早く帰宅する女性は黒子だった」。47歳で小樽市立中学で初めて女性教頭になり、今は市内唯一の女性校長。「大人が楽しく生きる姿を生徒に見せて人生に希望を持ってほしい」と願う・・・

詳しくは、原文を読んでいただくとして。長時間労働が普通になっている教育現場、それを変えるにはこれまでにない考えが必要です。女性校長が経験を生かして、変えて欲しいですね。

次のような指摘もあります。
・・・教員が疲労感を覚えるのは、児童のトラブルや保護者への対応がほとんどだ。校長室の扉を開けて職員室の様子がいち早く分かるようにし、校長と教頭、教務主任らが教員からの相談や報告を一元的に把握する・・・

そうですね。大学では、これらの問題に対処する具体的研修は受けていないでしょう。経験少ない若手教員のみならず、教員を教育に専念できるように、これらの問題は校長や教頭が率先して対応すべきです。

日本の教育改革、教育行政の改革

日本の教育改革」(9月15日)の記事で、教師の役割も変わる必要があることを紹介しました。
学校現場ととともに、教育行政の仕組みも、それに適合していました。すなわち、教員は教育委員会の指導の通り、検定済み教科書と指導要領に沿って授業をします。教育委員会は、文部科学省の指導に従って、教員を指導します。ここに、教育現場、教師・校長の自主性や創造性は、狭められます。

最近も、「文科省の指導」を象徴するような出来事がありました。
一つは、大阪北部地震で学校のブロック塀が倒れ、生徒が死亡した事件です。これについて、文科省が危険ねブロック塀対策の通知を出しました。
もう一つは、ランドセルが重すぎるので、軽くするようにという指導です。

もちろん、それぞれ重要なことなので、文科省が関与することは理解できるのですが。学校の塀や、ランドセルの重さについて、国家が指導しなければならないことでしょうか。それぞれ、市町村役場と教育委員会、教師と校長が責任を持つべきことです。
このような国からの指導が来ることが、教育現場、市町村での国依存、通達待ちの姿勢を増幅します。

また、文科省は、通達を出すことで、「仕事をした」になっていないでしょうか。通達を出しただけでは、現場は変わりません。しかし「やりました」と言え、「やった感」があるのです。通達行政の負の面です。
そして、文科省には、このようなことで市町村を指導することより、もっと取り組まなければならないことがあると思います。