カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

コマツの被災地支援

日経新聞私の履歴書、4月はコマツ特別顧問の野路國夫さんです。
東日本大震災では、コマツも東北地方の工場が大きな被害を受けます。建機は復興に欠かせません。陣頭指揮で生産を再開させるとともに、被災地に建機を送ってくださいます。21日掲載の「郡山工場 建機生産を継続 安全データ共有 復興最優先に」に書かれています。

22日は「被災地支援 東北行脚1年 現場に学ぶ 保育所や診療所の設置で協力」でした。私も、コマツが復興支援に力を入れてくださっていると聞いていたのですが、保育所の設置などにも支援をいただいていたのですね。ありがとうございます。そして、お金だけでなく手を動かす支援をしてくださいました。
野路さんは「民間企業が得意分野の経営資源とマンパワーを提供できれば、迅速な復旧が期待できると思う。」と書かれています。

これは、東日本大震災で政府が学んだことです。私も企業や非営利団体との協働の有効性に気がつき、どんどん助けてもらいました。
課題は、支援を申し出くださる企業や資源を持っておられる企業と、行政や被災地が求めているものとをつなぐことです。これが重要です。しかし、意外と難しいのです。お互いのことを知らない、どこにどのような資源があるのか、どこで誰がどのようなことを求めているのかが分からないのです。

原発避難者の医療費支援段階的廃止

4月9日の朝日新聞に「復興庁、段階的廃止を発表 原発避難者の医療費支援 27年度までに」が載っていました。

・・・東京電力福島第一原発事故で避難を求められた住民の医療費支援をめぐり、復興庁は8日、2027年度までに一部を除いて段階的に廃止すると発表した。地元自治体からは「激変緩和の措置は評価したい」という声もあがった。
原発事故後、政府は避難指示などが出た福島県の13市町村の約15万人(11年8月時点)を対象に、医療・介護の保険料や窓口での支払いの全額または一部を免除してきた。支援廃止の対象は17年4月までに避難指示などが解除された11市町村。それぞれ解除から約10年後にむけて段階的に支援を打ち切る。帰還困難区域と原発がある大熊、双葉の両町では支援を継続する・・・

医療費無料化は、津波被災地では発災数年後に終了したのですが、原発避難者については、なお継続していました。避難指示が順次解除され、医療費を負担している人との不公平が問題になっていました。今回、段階的に廃止することとなったのです。関係者の理解も得られたようです。

震災復興、非営利団体への支援

古くなってすみません。東日本大震災から11年ということで、各紙が特集を組んでいました。今日紹介するのはNPOの活躍と、資金難で活動が細っていることです。

3月5日の読売新聞「復興の実像5被災者サポート 資金難
・・・宮城県七ヶ浜町の災害公営住宅で暮らす女性(36)の次女(5)は近くの交流施設「七ヶ浜みんなの家きずなハウス」の前に来ると、「遊んでいきたい」とだだをこねる。ハウスは、NPO法人「レスキューストックヤード」(名古屋市)が子どもの遊び場や住民の交流の場として運営してきたが、昨年3月末で閉鎖された。
理由は資金不足だ。活動費の大半を賄っていた寄付金は減少し、自治体からの助成金を充てても年約1000万円の費用を捻出できない状況が続いていた。同法人の横田順広さん(45)は「孤立しがちな人に手を差し伸べるなど、支援はまだ必要なのに」と唇をかむ。
東北の被災地には、NPOなどの団体が1000以上入ったともいわれる。それぞれの得意分野を生かし、「心のケア」「まちづくり」などの支援を行ってきた。マンパワー不足の自治体に代わり、行政の手が回らない部分を補ってきた面もある。だが、「震災10年を機に活動停止や規模縮小が増えている」と、支援団体でつくる「東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)」は指摘する・・・
・・・災害対策基本法が13年に改正され、国や自治体は支援団体を含むボランティアと連携するよう義務づけられた。だが、「支援団体の位置づけはあいまいで、国の援助も足りない」と、兵庫県立大の阪本真由美教授(被災者支援論)は批判する・・・

同「支援分担「石巻モデル」 団体同士で調整 官民で連携
・・・東日本大震災で最大被災地となった宮城県石巻市には震災直後、100以上の支援団体が駆けつけた。混乱の中、互いの顔も活動内容も知らない団体同士が集まって役割を調整し、市役所や自衛隊などと情報共有する仕組みを作り上げた。「石巻モデル」とも呼ばれた連携の形は、災害対応の「基本」として定着しつつある・・・

3月8日の日経新聞、菅野祐太・NPO法人カタリバディレクター(岩手県大槌町教育専門官)「学ぶ意欲、出会いが育む 被災地の岩手・大槌で学習支援」「2つの震災が残す課題 孤独死600人超、つながり構築に壁」、朝日新聞3月9日夕刊の「「支えられた私、今度は支える」 震災遺児ら癒やすレインボーハウス」も参考になります。

三陸鉄道の震災学習列車

このホームページの読者から、依頼がありました。復興支援の感謝の言葉とともに、三陸鉄道の震災学習列車を宣伝してほしいとのことです。
三陸鉄道は岩手県沿岸、すなわち東日本大震災で大きな被害を受けた地域を走っています。鉄道も寸断されたのですが、復旧しました。眺めがよいですよ。三鉄は、大震災津波の伝承や三陸地域の魅力発信に取り組んでいます。それを支援する仕組みです。クラウドファンディングによる寄付募集です。
岩手県のホームページをご覧ください。

大震災での仮埋葬

3月4日の読売新聞「東日本大震災11年」は「火葬の備え 広域連携 「追いつかず土葬」教訓に」でした。

・・・震災から3週間ほどたった2011年4月上旬、宮城県石巻市の広場。火葬率がほぼ100%の日本で土葬が行われた。深さ2メートルの地中に 棺ひつぎ が並べられ、遺族らが泣きながら土をかぶせた。・・・
・・・同県では全国最多の9544人(関連死を除く)が亡くなった。県には震災翌日から「遺体安置所がいっぱいになった」「棺が足りない。用意してほしい」「ドライアイスがほしい」と、沿岸市町の要望が相次いだ。竹内直人・県警本部長(当時)は5日後の3月16日、県災害対策本部で「おびただしい数のご遺体があり、保管が日増しに問題になっている」と報告した。
県内の火葬場27か所のうち、7か所は被災するなどして稼働できなかった。残りの火葬能力は燃料不足もあって1日50体程度と通常の4分の1で、遺体の数に追いつかなかった。搬送する車やガソリンも足りなかった・・・

・・・仮埋葬の期間は2~5年としていたが、数週間後には「早く火葬してあげたい」という遺族が重機を持ち込み、自力で棺を掘り起こし始めた。他県に搬送できるめども立ったため、6市町は予定を大幅に繰り上げ、棺を掘り起こして火葬する「改葬」を11月までに行った。
改葬も過酷だった。自治体の依頼で作業した葬儀会社の一つ「清月記」(仙台市)の西村恒吉さん(48)は石巻市を担当した。掘り起こした棺の中の亡きがらは、遺族に最後の対面をしてもらえるような状態ではなかったという。市は遺族の立ち会いを断らざるを得なかった・・・