カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

震災復興、非営利団体への支援

古くなってすみません。東日本大震災から11年ということで、各紙が特集を組んでいました。今日紹介するのはNPOの活躍と、資金難で活動が細っていることです。

3月5日の読売新聞「復興の実像5被災者サポート 資金難
・・・宮城県七ヶ浜町の災害公営住宅で暮らす女性(36)の次女(5)は近くの交流施設「七ヶ浜みんなの家きずなハウス」の前に来ると、「遊んでいきたい」とだだをこねる。ハウスは、NPO法人「レスキューストックヤード」(名古屋市)が子どもの遊び場や住民の交流の場として運営してきたが、昨年3月末で閉鎖された。
理由は資金不足だ。活動費の大半を賄っていた寄付金は減少し、自治体からの助成金を充てても年約1000万円の費用を捻出できない状況が続いていた。同法人の横田順広さん(45)は「孤立しがちな人に手を差し伸べるなど、支援はまだ必要なのに」と唇をかむ。
東北の被災地には、NPOなどの団体が1000以上入ったともいわれる。それぞれの得意分野を生かし、「心のケア」「まちづくり」などの支援を行ってきた。マンパワー不足の自治体に代わり、行政の手が回らない部分を補ってきた面もある。だが、「震災10年を機に活動停止や規模縮小が増えている」と、支援団体でつくる「東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)」は指摘する・・・
・・・災害対策基本法が13年に改正され、国や自治体は支援団体を含むボランティアと連携するよう義務づけられた。だが、「支援団体の位置づけはあいまいで、国の援助も足りない」と、兵庫県立大の阪本真由美教授(被災者支援論)は批判する・・・

同「支援分担「石巻モデル」 団体同士で調整 官民で連携
・・・東日本大震災で最大被災地となった宮城県石巻市には震災直後、100以上の支援団体が駆けつけた。混乱の中、互いの顔も活動内容も知らない団体同士が集まって役割を調整し、市役所や自衛隊などと情報共有する仕組みを作り上げた。「石巻モデル」とも呼ばれた連携の形は、災害対応の「基本」として定着しつつある・・・

3月8日の日経新聞、菅野祐太・NPO法人カタリバディレクター(岩手県大槌町教育専門官)「学ぶ意欲、出会いが育む 被災地の岩手・大槌で学習支援」「2つの震災が残す課題 孤独死600人超、つながり構築に壁」、朝日新聞3月9日夕刊の「「支えられた私、今度は支える」 震災遺児ら癒やすレインボーハウス」も参考になります。

三陸鉄道の震災学習列車

このホームページの読者から、依頼がありました。復興支援の感謝の言葉とともに、三陸鉄道の震災学習列車を宣伝してほしいとのことです。
三陸鉄道は岩手県沿岸、すなわち東日本大震災で大きな被害を受けた地域を走っています。鉄道も寸断されたのですが、復旧しました。眺めがよいですよ。三鉄は、大震災津波の伝承や三陸地域の魅力発信に取り組んでいます。それを支援する仕組みです。クラウドファンディングによる寄付募集です。
岩手県のホームページをご覧ください。

大震災での仮埋葬

3月4日の読売新聞「東日本大震災11年」は「火葬の備え 広域連携 「追いつかず土葬」教訓に」でした。

・・・震災から3週間ほどたった2011年4月上旬、宮城県石巻市の広場。火葬率がほぼ100%の日本で土葬が行われた。深さ2メートルの地中に 棺ひつぎ が並べられ、遺族らが泣きながら土をかぶせた。・・・
・・・同県では全国最多の9544人(関連死を除く)が亡くなった。県には震災翌日から「遺体安置所がいっぱいになった」「棺が足りない。用意してほしい」「ドライアイスがほしい」と、沿岸市町の要望が相次いだ。竹内直人・県警本部長(当時)は5日後の3月16日、県災害対策本部で「おびただしい数のご遺体があり、保管が日増しに問題になっている」と報告した。
県内の火葬場27か所のうち、7か所は被災するなどして稼働できなかった。残りの火葬能力は燃料不足もあって1日50体程度と通常の4分の1で、遺体の数に追いつかなかった。搬送する車やガソリンも足りなかった・・・

・・・仮埋葬の期間は2~5年としていたが、数週間後には「早く火葬してあげたい」という遺族が重機を持ち込み、自力で棺を掘り起こし始めた。他県に搬送できるめども立ったため、6市町は予定を大幅に繰り上げ、棺を掘り起こして火葬する「改葬」を11月までに行った。
改葬も過酷だった。自治体の依頼で作業した葬儀会社の一つ「清月記」(仙台市)の西村恒吉さん(48)は石巻市を担当した。掘り起こした棺の中の亡きがらは、遺族に最後の対面をしてもらえるような状態ではなかったという。市は遺族の立ち会いを断らざるを得なかった・・・

3.11から11年

今日は3月11日。2011年3月11日の大震災から、11年目です。マスメディアが、これまでの成果と課題を報道しています。
津波被災地では、インフラ復旧がほぼ終わり、産業やにぎわいの再生が課題です。人口減少とコロナ禍で、難しくなっています。
原発被災地での復興は、まだまだです。息の長い取り組みが必要です。

それぞれの人にとって、長くそして早かった11年です。そして、続きます。

サントリーみらいチャレンジプログラム2021

サントリーが、東日本大震災復興支援を続けてくださっています。10年を経過して、新しく「みらいチャレンジプログラム2021」を始めました。このホームページでも紹介し、応募を呼びかけました。おかげで、3県で300件を超える応募がありました。

私も福島県分の審査員に指名され、100件余りの提案の中から10件を選ぶ作業をしました。数が多いのと、それぞれに「なるほど」と思い、応援したい企画ばかりです。この中から10に絞り込むのは、難儀な作業でした。
6月には、福島に審査員が集まって議論をしました。pcr検査をして出席しました。最終的には福島では14件を採択し、8月10日に発表しました。
福島県庁で記者会見して発表する予定だったのですが、コロナ感染拡大でそれは中止になりました。
今日15日の福島民報新聞に、大きく掲載されています。それぞれに社会問題や地域の課題に挑戦する企画で、簡単な事業ではありません。関係者と周囲の皆さんの理解で、うまく進むことを期待しています。行政も理解をしてほしいです。

私の感想を、再掲しておきます。
「社会や地域を良くしようと頑張っている人が、これだけたくさんおられることに驚きました。その分野の広さにも、驚くばかりです。 長く行政にいて、また東日本大震災で住民の困りごとに応え、地域の復興に携わりましたが、まだまだ行政の目が届いていないことを実感しました。残念ながら枠の関係で、拾えなかった企画が多いです。それらも含め試みが社会に認知され、場合によっては行政の施策に取り込まれることを期待しています。」