「秋は日本酒」を読んだ福島県庁関係者から、「福島の酒まつり」を宣伝せよとの司令が来ました。
福島の酒は、おいしいですよ。
東京・新橋駅前SL広場で、次の期間です。
10月12日(木)16:00~21:00
10月13日(金)15:00~20:00
県内54蔵元のお酒104銘柄が勢揃いします。
6月12日の朝日新聞夕刊、大月規義・編集委員の「福島から550キロの本州最北の村、除染土受け入れに揺れる」から。
・・・青森県の下北半島にある風間浦村。津軽海峡の向こうに北海道が見える、本州最北の村だ。
5月下旬、東京電力福島第一原発に近い高速道の双葉インター(福島県双葉町)から車で550キロ離れた同村を訪れた。
双葉町から出発したのは、約3カ月前のニュースがきっかけだった。風間浦の冨岡宏村長(61)が、原発事故の除染で集められた土を再利用する実証事業について、受け入れの検討を明らかにした。どんな村なのか・・・
・・・2000年代後半、東隣のむつ市との合併構想があった。大きな市にのみ込まれる警戒心から、村民は住民投票で反対した。次に、西隣の大間町などとの合併を模索した。今度は大間町に拒否された。電源開発(Jパワー)の大間原発が立つ同町は、多額の原発交付金を独占し続けたかった。
むつ市にも、原発の使用済み燃料を一時保管する施設がある。風間浦村は、原発マネーで潤う2市町に挟まれる。
冨岡村長は一昨年の村議会で「(村内に)原発関連施設などの誘致の可能性を調査する」と答弁した。それが除染土を使った実証事業の検討につながった。
除染の土砂は15年から、第一原発がある双葉、大熊両町の「中間貯蔵施設」に集められている。4月末時点で東京ドーム11個分の1347万立方メートルに達した。除染土は30年後までに福島県外に運び出し、最終処分する。2町はそれを条件に施設を受け入れた。
処分量を減らすため、環境省は「除去土壌の再生利用」を考えた。土砂を放射能の濃さでふるい分け、「1キロ当たり8千ベクレル以下」の危険性が低い土を全国の公共事業などで利用してもらう事業だ。
試算では再利用できる土は全体の約4分の3。昨年末、東京の新宿御苑や埼玉県所沢市で実証事業をしようと試みた。だが、周辺住民や自治体が反対し、計画は凍結している。約5年前は福島県の南相馬市や二本松市で検討した。そのときも地元の反対で撤回した。
唯一、実証事業を受け入れたのが福島県飯舘村だ。これには事情がある。飯舘村の帰還困難区域について、政府はほとんど避難指示を解除するつもりはなかった。困った村は、除染土の実証事業の受け入れを「交換条件」に、避難指示の解除エリアを広げた。
一方、再生できない4分の1の危険な土については、受け入れ先の議論はまったくされていない・・・
・・・一番問題なのは、お金やリスク管理だ。除染と中間貯蔵施設の建設・管理にはすでに4兆円超が投じられた。除染土を同施設に閉じ込めている今の状態から、新たに巨額の費用をかけ、遠方へ拡散させる方法が賢明なのだろうか。
実は除染を始める際、環境省は福島県内に「最終処分場」を造るつもりだった。しかし、経済産業省が急きょ「中間貯蔵施設」と言い換え、「将来は県外搬出」と付け加えた。地元の了承が得やすいと考えたためだった。だが、経産省は県外搬出の責任を負おうとせず、環境省に押しつけたままだ。
5月下旬、避難指示が解除されたばかりの飯舘村長泥地区で、田植えが始まった。地下1メートルに再生利用の除染土が埋められ、地表に普通の土が敷かれる。これまで再生土で育てた野菜や花の試験栽培では、放射能はすべて安全基準を満たした。
地元復興組合の組合長、鴫原(しぎはら)清三さん(68)は「安全なのだから、使っても大丈夫だ」と言う。避難先の福島市から、長泥地区に週に3日ほど通って農作業をする。風間浦村のこともニュースで知っていた。
「そんな遠くへ持って行かなくても……」。長泥地区でもまだ東京ドーム約2個分の土砂を入れる余地はあるという。こう語った。
「将来にツケを回す前に、自分たちの世代で問題は片付けないといけない」
原発事故の問題や責任を押しつけ合う行政の人たちに、聞いてほしい言葉だった・・・
大月記者は「その場しのぎの繰り返し」など、長期に取材していなければ書けない記事を書いています。
仙台の有名企業アイリスオーヤマと仙台の農業法人舞台ファームが、原発被災地での農業復興を支援してくださっています。今年も、田植えが始まりました。
「福島中央テレビニュース」をご覧ください。
鮎の稚魚の放流も行われました。
5月1日に、福島県飯舘村の特定復興再生拠点の避難指示が解除されました。6町村で計画した復興拠点の避難指示解除はこれですべて完了しました。2日の朝日新聞は、大月規義編集委員が1面と、社会面で大きく解説していました。
・・・東京電力福島第一原発事故で立ち入りが規制されている福島県飯舘村の帰還困難区域のうち、国が除染や復興の対象にした「特定復興再生拠点」(復興拠点)の避難指示が1日、解除された。県内6町村で計画された復興拠点の避難指示解除はこれで完了した。朝日新聞の集計では6町村の復興拠点に戻った人口は計158人で、住民登録者数の1・2%だった・・・
・・・原発事故の当初、帰還困難区域は放射線量が避難基準の2・5倍超に上昇し、国は「将来にわたり居住を制限する」との方針を決めた。
しかし、放射線量がある程度下がっていることが分かり、政府は2017~18年、帰還困難区域をもつ7市町村のうち6町村の一部を復興拠点と認定し、除染後に避難指示を解除すると決めた。
復興拠点の面積は帰還困難区域の8%だが、集落だった場所を中心に認定したため、登録人口は約1万3千人と区域人口の6割を超える。国は拠点内の除染のほか、道路や田畑、産業団地の整備を進め、これまで約3200億円の復興予算を投じた。
ただ、いつ戻れるか分からない状態が長年続き、もとの家などの解体は4千件近くに達している。復興拠点に戻る住民や移住者は、拠点の解除から1年近くたつ葛尾村で1人、大熊町で60人。各地とも復興は厳しい状況だ。
復興拠点を国に申請した際、6町村はそれぞれ避難解除から5年後の居住人口目標を掲げた。その数は6町村で計7960人になるが、現時点では目標の2・0%。復興庁は拠点を認定し始めた約5年前、居住目標に近づけば拠点を広げる考えを地元に示していたが、「目標は遠く拠点の拡大はないだろう」(政府関係者)という・・・1面「復興拠点、戻った人1.2% 避難指示、福島6町村全て解除」
・・・福島県飯舘村にある特定復興再生拠点(復興拠点)の避難指示が1日に解除され、約5年前に計画された帰還困難区域の一部解除が県内6町村で完了した。戻った住民はわずかで、解除が進むにつれ厳しい現実が浮かぶ・・・
・・・復興拠点から外れた帰還困難区域は今後どうなるのか。
復興拠点がない南相馬市を含め、帰還困難区域を抱える7市町村は「早期・全域の避難指示解除」を国に求める。だが、政府は慎重だ。
復興拠点の整備にかけた約3200億円の大半は放射性物質の除染が占める。「除染をせず、放射線量が自然に下がるのをなるべく待ちたい」という政府関係者もいる。
長泥地区では1日、復興拠点外で初めて避難指示が解除された。従来、解除には除染が必要だったが、政府は2020年、自然に放射線量が年20ミリシーベルトを下回っていれば、人が住まないことを条件に「未除染」で解除できる方式を導入した。長泥の拠点外にある10世帯のうち1軒0・6ヘクタールは除染せず「公園」にして解除した。
ただ、除染を求める住民は多く、未除染解除の方式を受け入れる町村は飯舘村のほかにない・・・
・・・政府は昨年夏から、拠点外の避難世帯に調査を始めた。これまで4町村で実施し、「帰還を希望」と答えたのは26・7%で、「希望しない」の15・8%を上回った。
帰還希望が多い背景には、朽ち果てた自宅を公費で解体してほしい思いや、家が解体されないと、大規模災害時に適用される生活再建支援金(1世帯最大300万円)が受けられないことがあるとみられる・・・社会面「飯舘へ「通い復興」 避難指示解除、戻った住民1.2%」
3月3日の朝日新聞夕刊「飛びこんで12年、5」「災害住宅、つながり後押し」から。認定NPO法人「つながりデザインセンター」(つなセン、仙台市)事務局長の宮本愛さんの活動です。
・・・ 東日本大震災の被災者が入居する災害公営住宅には、共同住宅で暮らすのが初めてという高齢者が多く、おたがいにほぼ初対面というケースが多い。住宅会の設立や運営には外部の支援が欠かせない。
つなセンは18年度から、塩釜市の委託を受けて、錦町東住宅のコミュニティーづくり支援を始めた。直面していた課題は、住民組織の立ち上げだった。
市は当初、共用部分の電気代、水道代を出したが、入居3年目の19年度からは入居者の負担に切り替える方針だった。財源となる共益費を入居者から徴収する住民組織が必要だった。
18年12月、つなセンは共同住宅の管理で入居者が果たす役割などを説明し、意見交換する機会を設けた。だが、出席したのは数人にとどまった。
その後、ランチ会を開くなど住民交流の場を設けて19年3月、有志による世話人会設立にこぎつけた。翌月からは共益費の集金が始まった。
8月には住民組織設立に向けて世話人を務める住民ら約10人が集まった。宮本は「世話人会は暫定的組織。入居者全員の代表となっていない」と説明した。出席者の一人が「市に住宅設備に関して要望したら、『70世帯みなさんの希望がないとだめ』と言われた」と、組織化の必要性を訴えた。
2カ月後、錦町東住宅会が動き出した・・・