カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

かさ上げ事業の検証、読売新聞

1月10日の読売新聞1面に、「東日本大震災10年秘話 復興事業」「かさ上げ 歯止めなく 陸前高田」が載っていました。
・・・巨大津波と原発事故。東日本大震災は、誰も経験したことのない未知の複合災害だった。2011年3月のあの日から間もなく10年。いまも記憶に残る象徴的な出来事をたどり直してみた。語られたことのない秘話と真相が浮かんできた・・・

私の発言も、紹介されています。
・・・この春、ようやく終わる土木系の復興事業がある。岩手県陸前高田市のかさ上げだ。東京ディズニーランド2個半分の広大なエリアに、東京ドーム9個分の土を盛り、海抜10メートルの街に造りかえる。被災地で群を抜く規模の事業だが、初期構想はわずか2メートルだった。2年余の間に4段階で5倍に膨れあがったのだ・・・
・・・当初1201億円だった事業費が1657億円に膨らんでも、痛みは感じない。政府は復興増税などを財源に、自治体負担をゼロにしたからだ。復興庁次官を務めた岡本全勝氏は「事業規模を抑える誘因を摘んでしまった」と指摘する。復興計画に携わった学者は「ブレーキのない車みたいだ」と感じていた・・・

24ページには、より詳しく経緯が検証されています。
・・・かさ上げが拡大したことについて、市復興対策局長を務めた蒲生琢磨さん(64)は「津波の恐怖が消えない人は多く、二度と被災しない安全な街にするというのが、復興に携わる者の共通認識だった」と強調する。
ただ、裏方メンバーだったコンサル担当者は「今後、さらに人口が減る陸前高田で、こんな大きなかさ上げをして、活用される見込みがあるだろうかと疑問に感じた。だが、『一日も早く』『より安全に』という雰囲気で、意見を言い出せなかった」と振り返る。
一方で、検討委員の多くは被災者でもあった。ある男性委員(76)は「周りの委員は家などを失い、どう家族を養うかということで頭がいっぱい。市の方針に、住民が異論を挟めるような状況でなかった」と話す。
委員を務めた学識経験者の一人は「陸前高田は被災範囲が広く、他自治体より復興計画の策定が遅れた。市は計画作りを急いだが、大規模な都市計画を作るノウハウはなく、コンサルなど専門家の提案が通ってしまった」と解説する。「地元が意見を言えないなら、自分たち外部の者が『身の丈に合った計画に』と言うべきだったのかもしれない」・・・

大震災から10年が経つので、各紙が検証を始めています。私たちは、前例のないことに取り組んだため、そして一日でも早く復興させるため、走りながら考えました。その時点時点では、良いと考えて進めました。復興事業がほぼ完成した今、改めてどこが良かったかどこが足りなかったか検証することは、良いことです。今後の政策の教訓にして欲しいです。
地方負担については、「朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」」「復旧事業費地方負担なし、関係者の声」。

大震災から10年

今年の元旦の新聞1面は、あまり明るい記事は見当たりません。各紙とも、新年にふさわしい話題を探したのでしょう。新型コロナウィルス、経済、政治、社会。悲観しているだけでは、良くならないのですが。

日経新聞は特集で、大震災から10年を取り上げてくれました。「生活再建 歩んだ10年 インフラ復旧にメド
・・・2万2000人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災は3月11日、発生から10年となる。今も4万人以上が避難生活を送る一方、津波で壊滅的な被害を受けた岩手、宮城、福島各県の沿岸部は、道路や鉄道など交通インフラがほぼ復旧。基幹産業の水産業の再生などに加え、東京電力福島第1原子力発電所事故が重なった福島ではロボットの開発拠点が全面開所し、関連産業の集積が進む。復興の現状と課題を整理した・・・
写真付きで、インフラや産業の復興を解説しています。

2021年3月から、10年になります。今年は、その振り返りの記事が、多くなるでしょう。私たちの取り組んできた仕事が、評価されるということでもあります。

村井宮城県知事「震災10年の復興政策」

12月22日の朝日新聞オピニオン欄は、村井嘉浩・宮城県知事のインタビュー「震災10年の復興政策」でした。

―来年3月で震災から10年になります。復興政策をどう総括しますか。
「阪神・淡路大震災(1995年)と比較したら、びっくりするくらい特別な支援をしてもらいました。ただ、立場によって見方は変わると思います。被災者の立場からは『まだまだやってほしかった』、私の立場からは『非常によくやってくれた』、国の立場からは『税金を使いすぎた』、となると思います」

―税金の使いすぎ、ですか?
「国から見たら、やはり非常にぜいたくに見えるんじゃないですか。三陸縦貫自動車道を、一気に岩手まで引っぱってくれました。私が生きている間に行くなんて思っていませんでした。それが9年、10年で。防潮堤もそうです。国の財務省の目線で見ると、非常にぜいたくに見えるかもしれません。ただ、我々からすると、必要な財源で、必要なものをやりました」

―残された課題は何ですか。
「ソフト面の支援です。心のケアが必要な人には個人差があり、個別の対応が求められます。災害公営住宅でのコミュニティーづくり、人材の確保や販路開拓、子どもの不登校率の高止まりなど、課題が積み残っています。市町村やNPOと一緒に、一つ一つ取り組んでいくしかありません」

原文をお読みください。

原子力災害伝承館が伝えることと残っていること

朝日新聞ウエッブニュースのアナザーノート、大月規義編集委員の「伝承館に残る故・吉田所長の言葉 そして双葉病院」(9月20日配信)を紹介します。
20日に開館した、東日本大震災・原子力災害伝承館の展示についての解説です。展示を見るだけではわからないことを、解説しています。要点を書き出します。

1 オフサイトセンターが役に立たなかったことと、解体されてしまったこと。
2 原発事故後に避難指示が出た際に、置き去りにされた人たちがいたこと。しかも、病院の入院患者です。また記事には書かれていませんが、避難した人たちも、寝たきりの病人が行き先も決めず、バスで運ばれました。そして、死者が出ました。この運送方法と死者が出たことは、もっと反省されるべきです。
3 吉田所長の責任。記事に書かれていることの他に、NHKの検証では、所長のとった水の注入はほとんど届いていなかったとのことです。
4 経産省のけじめについてです。この記事では、「責任とっていない経産省」と書かれています。

このうち2と4については、このホームページでも取り上げてきました。次回、それを整理して書きましょう。