カテゴリーアーカイブ:政治の役割

吉田裕著『日本軍兵士』

2018年5月20日   岡本全勝

吉田裕著『日本軍兵士』(2018年、中公新書)が勉強になります。太平洋戦争において、日本軍の兵士がいかに劣悪・過酷な状況にあったかが、数字と証言とで明らかにされています。

戦争を書いたものには、いくつかの分野があります。戦争の推移。戦闘の記録。軍の指導者による戦記もの。戦艦や戦闘機の闘いの記録。戦略や戦闘の成功と失敗。これらの「戦記」でなく、兵士や国民の状況を明らかにした、社会史的なものが増えています。
前者は指導者層から見たものが多く、軍事作戦が主な対象となります。そしてしばしば、負け戦については詳しくは書かれません。その点、戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(1984年。1991年、中公文庫に再録)は、日本軍の失敗を分析した名著です。
後者にあっては、沖縄戦、本土での大空襲、原爆被害などが、非戦闘員である国民の悲劇を明らかにしています。戦争では、政治指導者や軍人は功績を求め、兵士や国民は過酷な状況に追い込まれます。政治や軍事的観点から見ていると、戦争の本質を見失います。

それらに対し、この本は、勇ましいかけ声の下で、十分な食料も与えられず、医療や衣服なども不十分なままで死んでいく兵士の実態を、明らかにしています。栄養失調や伝染病だけでなく、精神を病む兵士が続出します。また、足手まといになる傷病兵を、自殺に追い込んだり殺害します。

客観的事実に基づかない精神主義、無謀な突撃、長期戦を想定していない戦略、食糧を補給せず「現地徴発」という名の略奪・・・。これらの戦争指導の下で、多くの兵士がそして一般民が、犠牲になるのです。
読んでいて、気分が暗くなります。戦争映画や漫画が、いかに一面的に描いているか。勝者の立場から見ていると、敗者や被害者の立場を忘れてしまうことがよくわかります。もちろん、映画や漫画は娯楽であり、楽しくなるように描くのでしょうが。そのようなものだけを見ていると、戦争の実態を見失います。

新書版という軽い形の書物ですが、内容はとても重いです。戦争を学ぶ際の、入門書の一つだと思います。

原発事故の責任とその後

2018年5月15日   岡本全勝

5月14日の日経新聞、経済教室、橘川武郎・東京理科大学教授の「エネルギー基本計画の論点」から。

・・・日本の原子力開発は「国策民営」方式で進められてきた。福島第1原発事故のあと、事故の当事者である東電が福島の被災住民に深く謝罪し、ゼロベースで出直すのは当然のことである。ただし、それだけですまないはずである。国策として原発を推進してきた以上、関係する政治家や官僚も、同様にゼロベースで出直すべきである。しかし、彼らはそれを避けたかった。そこで思いついたのが、「たたかれる側からたたく側に回る」という作戦である。
この作戦は、東電を「悪役」として存続させ、政治家や官僚は、その悪者をこらしめる「正義の味方」となるという構図で成り立っている。うがった見方かもしれないが、その悪者の役回りは、やがて東電から電力業界全体、さらには都市ガス業界全体にまで広げられたようである。一方で、政治家や官僚は、火の粉を被るおそれがある原子力問題については、深入りせず先送りする姿勢に徹した

このように考えれば、福島第1原発事故後、政府が電力システム改革や都市ガスシステム改革には熱心に取り組みながら、原子力政策については明確な方針を打ち出してこなかった理由が理解できる。熱心に「たたく側」に回ることによって、「たたかれる側」になることを巧妙に回避しようとしたのである。誤解が生じないよう付言すれば、筆者は、電力や都市ガスの小売り全面自由化それ自体については、きわめて有意義な改革だと評価している。
結果として、福島第1原発事故後7年余りが経過したにもかかわらず、原子力政策は漂流したままである・・・

異論の統一、国会の役割

2018年5月6日   岡本全勝

朝日新聞、5月6日の社説は「エネルギー計画 この議論で決めるのか」です。

・・・経済産業省が、今年夏に改定する「エネルギー基本計画」の骨子案を審議会に示した。国内外で逆風が強まる原発と石炭火力発電を基幹電源と位置づけるなど、4年前に決めた現行計画をほぼ踏襲する内容だ・・・
・・・国民の声に耳を傾けるプロセスも軽んじられている。
経産省は、ネットなどで受け付ける「意見箱」を設けた。原発の賛否は分かれ、再エネは大幅拡大を求める声が目立つが、そのまま印字した分厚い紙を審議会に配るだけで、議論の材料になっていない。エネルギー分野のNPOや消費者団体から、国民各層との対話の場を求める声も相次いだが、黙殺された・・・
・・・どんなエネルギーをどれだけ使うのか。望ましい方向に変えるには、個々の消費者や企業に適切な行動を促すことが欠かせないのに、こんなやり方で社会の理解が進むだろうか。
今からでも遅くない。市民やさまざまな団体、幅広い知見を持つ専門家らと意見交換する場を設け、活発な議論につなげるべきだ。重要な政策を鍛え直す機会を逃してはならない・・・

原発については、国民の間で意見が分かれています。今後のエネルギー政策をどうするのか、安定供給、安全、環境保全などの観点で、これが正しい唯一の答というものはないでしょう。しかし、どれかに決めなければならない。その際にどのような手順で決めるか。それは、国会です。国民の間にある異論を集約する機能と責任は、国会にあります。

この社説では、経産省、それも審議会が決めるかのように読めます。
かつて、審議会は、国民の意見を聞く、有識者の意見を聞く、関係者の意見を聞く場として活用されました。しかし、そのお膳立てを官僚がすること、結論もあらかじめ決められているのではないかという批判がありました。「官僚の隠れ蓑」とも言われました。
2001年の省庁改革の際も、官僚主導から政治主導に変える一つとして、審議会の数や役割の見直しをしました(方針は決まっていて、その実施が私の役割でした。「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』(良書普及会、2001年2月号、7月号にまとめておきました)。

エネルギー政策や原発のありようが重要政策なら、経産省や審議会に任せるのではなく、それらの議論も踏まえ、国会で議論すべきことでしょう。
案の提示とその長所短所の説明は、官僚の役割です。しかし、異論がある時に、結論を出すのは、国会です。
国民の声を聞く、国民の声を反映させるのは、審議会ではなく、国会です。

法律を守る

2018年5月1日   岡本全勝

「憲法9条を守れ」と主張があります。ところで、この「9条を守れ」と「法律を守れ」とは、内容が違う場合がありますよね。

「法律を守れ」は、例えば「未成年者は飲酒してはいけない」とか、「自動車は制限速度を守れ」という意味であって、法律の規定を遵守しろです。
他方、「9条を守れ」は、
A「9条を履行して、戦力を持つな」という意味のほか、
B「9条を改正するな」という意味で主張する人がいます。

憲法第99条に、次のような規定があります。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

これについて、衆議院議員からの質問主意書に対する、内閣の答弁書があります(H18.10.10内閣衆質165-27対辻元清美議員答弁書)。
問九 日本国憲法第九九条の憲法尊重擁護義務により、安倍首相は日本国憲法を尊重し擁護する義務があると考えるが、安倍首相の見解はどうか。
答弁 政府としては、憲法第九十九条は、日本国憲法が最高法規であることにかんがみ、国務大臣その他の公務員は、憲法の規定を遵守するとともに、その完全な実施に努力しなければならない趣旨を定めたものであって、憲法の定める改正手続による憲法改正について検討し、あるいは主張することを禁止する趣旨のものではないと考えている。

尊重するとか擁護するということが「改正するな」という意味なら、第96条の国会が憲法改正の発議をする定めが意味をもたなくなります。
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

もちろん、9条を改正しようとする立場と、改正しないでおこうという立場があります。

『ベルルスコーニの時代』その2

2018年4月16日   岡本全勝

ベルルスコーニの時代』の続きです。

多くの政治家が、自らの勢力拡大と生き残りをかけて、様々な策謀を巡らします。まさに権謀術数の世界です。権力闘争と内部分裂。少数政党が乱立し、合従連衡が繰り返されます。選挙目当ての呉越同舟は、すぐに破綻します。
そして、政治のゲームは、参加者の思ったような筋道では進みません。
一方で、有権者の投票は、意外な結果をもたらします。EC加盟の条件を整えなければならないという外圧も働きました。なかなか実現しなかった、税制改革や財政改革も実現します。平時ではできないことが、危機の時代、混乱の中で実現するのです。
あまりにたくさんの政治家と政党が出てきて、なじみのない日本人が読むのは一苦労です。

同じような近代立憲民主主義、代表制であっても、各国の歴史と国民意識、社会構造によって、その運用は異なっています。
政治が、政治家たちの活躍の場(それは政策実現という建前の世界と、利益や権力の追求という本音の世界を含みます)であるとともに、国民の意識、国民の経済の上に成り立つ、それを反映したものだということを改めて考えさせられます。
政治学の教科書や政治を書いた本、新聞の政治報道は、場を政治家たちの言動に限定していることが多く、国民が出てきても投票結果だけというのが多いです。国民、有権者、社会や文化を視野に入れていないのです。

ところでもう一つの主題である、ベルルスコーニ首相です。不動産業、マスメディアで成功を収め、政界に打って出ます。その過程は、まさに立身出世の成功物語です。
政治家としては、社会の不満を捕まえ、既成政党と政治家を敵に仕立てる。昨今の欧米のポピュリズムの先駆者です。
選挙宣伝と戦略に成功し、一度は政権に就きますが、短命で崩壊します。不正蓄財やマフィアとの関係で、刑事訴追の身ながら、2001年に首相に返り咲きます。
当時、イタリアの労働人口の3分の1は独立自営業者であり、上場企業は240社に対し零細企業が500万社だったことは驚きです。家族経営で働く人たちが、ベルルスコーニを支持します。
ところで、彼のスキャンダラスな言動は、読んでいてあきれます。