カテゴリーアーカイブ:政治の役割

三谷太一郎先生「首相統治」

2019年4月2日   岡本全勝

3月29日の朝日新聞オピニオン欄、三谷太一郎・東京大学名誉教授の「平成から新時代へ 冷戦後デモクラシー」から。このインタビューには様々な重要な論点が含まれているのですが、ここでは2つだけ紹介します。

・・・これは日本だけの変化ではありません。私は、日本にも「首相統治」の時代が来た、と考えています。まずそれが出現したのは、第2次世界大戦後の英国です。大戦の影響もあって、英国では立法と行政が非常に強く結びついた首相統治が生まれた。政治学の教科書でいうような権力分立制ではなく、真の権力はダウニング街10番地(首相官邸)にある。大戦中の英国の首相はカリスマ的指導者のチャーチルですが、そのあと、労働党のアトリーになっても首相統治は続いた。指導者のカリスマや個性の問題ではないのです・・・
・・・小選挙区比例代表並立制という現行制度が、首相統治を支えているのは間違いない。党内権力が少数の幹部に集中し、選挙候補者の選任や政党助成金の配分に、首相が大きな力を持った。加えて、内閣人事局による行政への支配が強まり、立法と行政の権力分立が縮小し、癒着問題が生まれた・・・

私は、その原因について、少々違った見方をしています。「首相統治」は、それを要求する、現代国家における世界共通の背景があります。他方で、それを容認する仕組みも必要です。そしてなにより、首相の運営方法によります。これについては、別の機会に書きましょう。

「現在もまた、議会制民主主義の危機がいわれています」との問に。
・・・重要なのは、個別の政党の影響力を拡大する以前に、「個々の政党の利益を超えた価値」を維持するメカニズムを構築することです。議会自体の持つ「公共性」を考えるべきでしょう。社会の中で注目されていない意見を、党派を超えて取りあげる。議会が選挙民を啓蒙する教育的機能も大事です。党派と関係なく議会が持っている「公共性」というものがないと、実は政権交代も円滑には進まないのです・・・

平成は政治と行政の改革の時代

2019年3月10日   岡本全勝

3月2日の日経新聞連載「平成の30年」は、「二大政党 なお道半ば」でした。野田佳彦・前首相と砂原庸介・神戸大学教授がでておられます。

坂本英二記者の解説から。
・・・選挙制度改革、政党助成金、中央省庁再編、内閣人事局――。平成の時代は膨大な政治エネルギーを消費して、重要な制度改革がいくつも行われた。しかし「政権交代が可能な二大政党制」や「首相官邸の大幅な機能強化」も一つの手段にすぎない。本当の目標は各党が国家的な課題への処方箋を競い合い、重要な政策を迅速に実行していくことだったはずだ。
平成の初めにバブル経済が崩壊し、少子高齢化時代の到来によって財政が加速度的に悪化する兆しが見えていた。東西冷戦の終結は、日本に国際貢献のあり方を含めた安全保障政策の見直しを迫った。「政官業のトライアングル」といわれた既得権益型の社会構造を大きく変えるには、二大政党による競い合いが不可欠だと思われた。その方向は間違ってはいなかった・・・

日本の政治行政から見ると、平成の30年は改革の時代でした。さて、それがどの程度目的を達したか。どの程度成功したか。何が残ったか。
次の時代に進むためにも、この評価が重要です。

日本の中国援助

2019年2月21日   岡本全勝

2月15日の日経新聞夕刊に「40年の対中ODAに幕 友好象徴 発展の礎築く」が解説されていました。
・・・中国への政府開発援助(ODA)が40年の歴史に幕を下ろす。安倍晋三首相は新規を停止すると表明し、進行中の6事業が最後だ。かつては中国の発展を後押しし日中友好の象徴と位置づけられたが、中国が国力をつけるとともに日中の火種が増え、事情が変わった・・・

1979年から始まった、中国への政府援助。北京空港や鉄道などの建設を支援しました。
このような援助以外にも、パナソニックによるテレビ製造、新日鉄による製鉄所、新幹線技術など、技術支援も行いました。
経済開発に後れを取った中国を支援することとともに、戦争で被害を与えた中国への支援という意味も合ったと思います。
問題は、記事でも指摘されているように、中国の国民がこの事実を知らないこと、日本との友好につながらなかったことです。

平成時代、改革の時代

2019年2月8日   岡本全勝

東京財団政策研究所「平成を読み解く――政治・外交検証 連載第1回「平成デモクラシーと財政・社会保障改革」、清水 真人・日本経済新聞編集委員の発言から。

・・・第一に、「平成デモクラシー」とは何か、です・・・しかし、それら以上に、平成という時代の政治、つまり「平成デモクラシー」は、この時代に行われたさまざまな統治構造改革こそが実は主役であって、それによって初めて強い首相が出現したことが最大のポイントといえます。そこで、制度改革という眼鏡をかけて、平成の政治を振り返ってみます。
1月7日に平成に改元された1989年を思い起こすと、対外的には冷戦終結とグローバリゼーションのスタートという激変がありました。少し遅れて国内的にはバブル崩壊や少子高齢化の進展という今日の人口減少、財政赤字をもたらす事態に直面します。これらにより、従来の政策や資源配分を大胆に変えなければ駄目ではないかという危機感が強くありました。個々の政策を大きく変えるためには、まず政策の決め方そのもの、政治や行政の仕組みから抜本的に変えなければ駄目だという気分に支配されていたのです。1990年代には政治改革と橋本行革の2つの大きな改革が行われました。さらに司法制度改革にまで進みます・・・

・・・政策を大胆に変えようとして平成の統治構造改革は進められた。結果、強い首相が出現した。考えどころなのは、それによって政策決定の質は向上したのかどうかです。「政治は劣化した」「改革は失敗だった」という議論もあります。私はそこまでいいきる自信はありません。平成の諸改革には政治的な妥協の産物となった中途半端な部分もあれば、段階的に実施されて整合性を欠く部分も併存しますが、現状は「改革の失敗」なのか、それとも「改革の不足」なのか。両論がありうるでしょう。政策決定の質は向上したのかどうかも難しい問いです・・・

・・・最後に、もう一度総論に戻ります。この30年でわかったことは何か、これからどうするか。
ここはメディアにも大きな責任があると自覚していますが、2大政党とか政権交代とかを論じるときに、「対立軸」といいすぎたのではないか。この30年、そういう議論をしている間に外交・安全保障も、財政・社会保障も日本の採りうる選択肢が狭まってしまった。むしろ、政権交代を超えた「共通の基盤」は何か、をもっと重視して議論しなければいけなかった。そのことが、3党合意とその崩壊をみてようやくわかったように思います。

政権交代すれば、何でも自分たちの思いどおりに政策を変えられる、というものではありません。政権交代は野党の勝利ではない、与党が負けただけだ、と冷めて考える必要があります。与党ガバナンスの崩壊や権力者のスキャンダルで時の政権が信頼性を失ったときが受け皿、野党の出番なのです。その政策は前政権と8割方変わらないかもしれない。それでも「絶対的権力は絶対に腐敗する」以上は政権の選択肢が複数あり、期間限定で責任を取らせて代えうること、有権者が一票を投じて政権を選べること自体に意味があると考えています・・・

政府専用機

2019年2月7日   岡本全勝

NHKのネットニュースで、政府専用機を紹介しています。一般の方はご覧になることが少ないと思います。ご関心ある方は、ご覧ください。
陛下や総理が乗られるお部屋(先頭の部分)以外は、紹介されています。
総理秘書官が乗るのは、その後ろの部屋です。1年間の総理秘書官務めの間に、10回ほど乗りました。

「乗り心地はどうですか(きっとすばらしいのでしょうね)」と聞かれますが、そんな気持ちにはなりませんでした。皆さんは、飛行機は旅行の際に乗るもの、わくわくするのでしょうが。これは「空飛ぶ官邸」と呼ばれるように、秘書官にとっては仕事の場です。
日経新聞のコラム(2018年2月22日)に書いたように、機中でも仕事をしているので、残念ながら「旅行した」という感想はありません。0泊3日のような出張がある、優雅とはほど遠い場所です。