カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

男女不平等、搦め手から攻める

2月19日の日経新聞「風見鶏」、大石格・編集委員の「「正当な差別」などない」から。

・・・差別をなくすにはどうすればよいか。3年前に亡くなった米最高裁のギンズバーグ元判事は弁護士時代にからめ手から攻めた。目標は女性の権利擁護なのだが、男性の権利を守れ、という訴訟を起こした。
当時、親などの介護にかかる費用を補う所得控除は独身男性には認められていなかった。結婚して妻に介護させればよい、と思われていたからだ。

男性に不利な制度はおかしいとの訴えはあっさりと認められた。最高裁は男女で扱いが異なる制度は憲法違反と判決に書いた。ギンズバーグ氏は以降、この判決を盾にして女性の扱いが不利な事例で次々に勝訴していく。戦略がまんまと当たったわけだ・・・

防衛費と子ども予算、増額は賛成、負担増は分かれる

NHKの世論調査(2月13日)に、興味深い結果が出ていました。

新年度・2023年度から5年間の防衛費の総額を今の1.6倍にあたる、およそ43兆円とする政府の方針について賛否を聞いたところ、「賛成」が40%、「反対」が40%でした。増額する防衛費の財源の一部を確保するため、増税を実施する政府の方針については、「賛成」が23%、「反対」が64%でした。

少子化対策をめぐり、岸田総理大臣は子ども予算を将来的に倍増する方針です。この賛否を尋ねたところ、「賛成」が69%、「反対」が17%でした。子ども予算を増額するため、国民の負担が増えることについては、「負担が増えるのはやむをえない」が55%、「負担を増やすべきではない」が35%でした。

国内人権機関がない日本

2月1日の朝日新聞オピニオン欄「「人権」日本の現実」、土井香苗さん(ヒューマン・ライツ・ウォッチ〈HRW〉日本代表)の「政策推進、国家機関が必要」から。

・・・人権の制度面でも「失われた30年」だと考えています。世界の動きから遅れています。主な原因の一つが、国内人権機関の設立ができなかったこと。「なんでないの」と、声を大にして言いたい。
国内人権機関は、政府から独立して、人権侵害からの救済と人権保障を推進する国家機関です。世界約120カ国が国内人権機関を持っています。国連からも度々、日本政府は国内人権機関を設立するよう勧告されていますが、いまだに作られていません。

環境であれば環境省という役所があり、環境政策に責任を持っています。でも、日本には、総合的に人権政策を作る機関がないのです。その結果、世界各国の政府に多数いる「人権政策の専門家」と同等レベルの国家公務員は日本にほぼいません。これでは、日本の人権政策が場当たり的で、政府高官のリーダーシップに欠けるのは必然です・・・

現代の国土計画

1月30日の日経新聞夕刊に、斉藤徹弥・編集委員が「令和の国土計画、今夏に策定 実効ある土地の管理体制を」を書いておられました。

・・・令和に入って初となる、国土計画の策定に向けた議論が佳境を迎えています。人口減少で必要とされない土地は増えており、それをどう管理するかは難しい課題です。かつて不要論もささやかれた国土計画が実効ある形に「復活」できるか。今夏のとりまとめ内容が注目されます。
日本で人が住んでいる土地は国土面積の半分ほどです。人口減少が進む2050年にはその2割が無人になり、3割は人口が半減すると推計されています。
日本は土地の所有権が強く、その権利には放置する自由もあるとされました。しかし、放置されて荒れた土地が周辺に悪影響をもたらすことも増えています。
こうした土地をきちんと管理するため、国は制度を見直し、適正な管理は所有者の責務としました。それでも管理が不十分な土地には、地域や自治体による改善を後押しする制度が相次いで動き出しています・・・

・・・国土計画は1962年の第1次全国総合開発計画からおおむね10年ごとにつくり、今回が8度目です。
当初は「均衡ある発展」を掲げ、地方にインフラを整備し企業誘致を進めました。21世紀に入ると都市の人口比率の高まりなどから都市再生が重視され「均衡ある発展」は合意を得にくくなります。国土計画は曖昧になり、不要論もささやかれました。
しかし近年、国土計画は世界的に見直されつつあります。望ましい将来像を定め、長期計画に基づいて取り組む国土計画の手法が、持続可能な開発目標(SDGs)や脱炭素などに広がっているためです・・・
電子版では、さらに詳しくドイツの例なども説明されています。

昭和の後半、経済成長期には、国土計画は大きな意義を持っていました。産業が集積した太平洋ベルト地帯と取り残されたそのほかの地域との格差が広がったのです。そこで「均衡ある国土の発展」が掲げられ、国土庁という役所も作られました。「開発計画」で、インフラ整備と産業誘致が中心でした。その手法が行き詰まり、国土計画の意義は低下したようです。他方で、東京一極集中は止まらず、地方創生などが大きな政策課題になっています。
新しい計画は土地の管理に重点を置くようですが、そのようなハードとともに、人の暮らしというソフト面を入れた計画や指針を作ることはできないでしょうか。

中国の「地方分権的全体主義」

1月27日の日経新聞オピニオン欄、呉軍華・日本総合研究所上席理事の「限界を迎えた中国の「地方分権的全体主義」」が、切れ味鋭かったです。

・・・米スタンフォード大学の許成鋼客員研究員は、この制度を「地方分権的全体主義」と定義する。中国共産党は50年代初期、政治と経済を含むあらゆる分野の支配権を中央に集中させる全体主義のシステムをソ連(当時)から移植した。だが、50年代半ば以降、中国は「郡県制」という伝統的な統治手法を加え、前述のシステムに改めた。
イデオロギーや個人崇拝で最高指導者の絶対的権威を確立する一方、行政と経済政策の立案・運営の権限のほとんどを、最高指導者が人事権を持つ地方の指導者に与える。この結果、最高指導者の権力をけん制する力を最も持ちうる中央官庁は無力化し、中国共産党はソ連よりも強固な一極集中の統治体制をつくり上げるに至った。
この制度で、地方の指導者は最高指導者の意向をくみ取った大胆な実験を競い、地方間で激しい競争が繰り広げられた。しかし、広大な国土と世界最大の人口を持つ国情のためか、地方と最高指導者の間での正しくタイムリーな情報伝達は難しく、権力のチェック機能はほとんど働かなかったようだ。結果的に「鶴の一声」は往々にして極端な結末を招いてしまった・・(1958年に始まった大躍進、1966~76年の文化大革命、最近のゼロコロナ)

・・・もっとも、この制度が生むのはネガティブな結果だけではない。「改革開放」以降の中国経済が、社会主義の仲間であった国々を凌駕する成長パフォーマンスを実現したのは、この制度によるところが大きいというべきであろう。経済成長を巡る地方間の激しい競争が、民間セクターの成長を可能にし、政治改革を伴わなくても中国は高い成長を実現した。
改めて強調するまでもないが、こうした競争は環境破壊や所得格差の拡大、不動産バブルといった問題ももたらした。明らかに、この制度のポジティブな効用はすでに限界を迎えたわけだ。
ゼロコロナ政策からの転換を機に、中国経済への期待が高まっている。しかし、目下の中国経済の減速の背景に、「地方分権的全体主義」に起因する構造的問題が大きく横たわっていることを忘れてはならない。筆者は、このような構造問題を抜本的に解決して初めて、中国経済に明るい未来が訪れると考える。