「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

ねじれ国会が見せる国会の機能

12日の朝日新聞opinionで、飯尾潤教授が「給油法案、再議決。国会の課題、ねじれで露呈」書いておられました。
・・参議院で否決された補給支援特措法案が衆議院で再議決されたことを、「ねじれ国会」という特殊な状況における異常事態であるかのように考える人もいるが、日本国憲法を前提にすれば十分にあり得ることだ・・
また、混乱を制度的問題のせいにばかりもできない。「ねじれ」に至る前も、国会が本来の機能、つまり与野党が国会審議の中で、よりよい法案を作り上げるという当たり前のことが、長年にわたって軽視されてきた・・
では、なぜ日本の国会に徹底審議の文化が育たなかったか。それは、与党が国会上程の前に官僚に頼って法案をほぼ完成させてしまい、後は与野党とも安易に党議拘束をかけ、修正を嫌う慣行が関係している。長年、内閣提出法案に関しては、自民党の事前審査を通じて、議会外で事実上の立法作業を完成させてしまい、完了した立法作業が議会で蒸し返されるのは好ましくないと考える本末転倒した状況があった・・

政治の役割14

政治の役割13から続く

16日の日経新聞「成長を考える-識者に聞く」は、佐々木毅教授でした。「個別の業界にかかわるような狭い利益であればあるほど、必死になって守ろうとする傾向がある。広くみんなにかかわることは、だれも熱心にならない。これは民主主義の一つのパラドックスだ。少数者の利益が無視されるとよく言われるけども、実際は案外、多数者の論理の方が後ろに退き、狭い利益にものすごく関心の強い一部の人たちが大きな影響力を持つ」
「政治家は人々を説得して票を獲得しないといけないから、国民にいろんな便益を提供する必要があるという気持ちが強かった。でも、小泉純一郎前首相の時代から、便益を提供しなくても票が入ってくるようになった。日本の政治の感覚も、何かをやってあげないと票が出ないという利益政治から、ニュートラルな方向にシフトしつつある」
格差問題について、「問題は地域間格差だ・・・地方に成長の余地を与えることが大事だ。従来型の公共事業は難しく、中央と地方の関係を整理しなければならない。地方に権限と税財源を与え、腰を落ち着けて問題に取り組めるようにするべきだ」(2006年12月17日)

佐々木毅先生の「政治学は何を考えてきたか」(筑摩書房、2006年)を読みながら、いろいろ考えました。いつもながら、先生の議論は射程距離の大きな議論で、目を開かされることが多いです。20世紀の政治は何だったかという観点から、今日は、これまでの日本政治・行政とこれからの日本政治・行政について少し書きます。
日本の20世紀が追いつけ追い越せだったこと、そして官僚制と中央集権がそれによく適合したことは、「新地方自治入門」の主題でした。行政の成功を支えたのが経済成長であり、経済に特化した日本が、成長が止まったことで混迷していることも。その続きと思ってください。
(日本だけが優秀ではない)
石油危機後、欧米各国が低成長に陥る中、日本だけが「特殊」だともてはやされました。ジャパン・アズ・ナンバーワンと、喜んでいたのです。でも、今から考えると、これも、国際条件の中でのことでした。欧米先進国は成熟化し、所得が高くなり高齢化で社会保障も大きくなったのです。その時に日本はまだ若く、社会保障も小さくて済みました。ここまでは、いつも書いていることです。
最近の講演会では、もう一つ、アジア各国のことも言っています。それは、彼らが経済発展に目覚めるのが遅かったので、日本は先行者利益を享受できたのです。すなわち、韓国が北朝鮮と対峙していなかったら、中国がもっと早く改革開放路線に進んでいたら、ベトナム戦争がなかったらです。昨今の産業の国際競争を見ると、当時アジア各国が経済発展に参加せず、そのおかげで日本が恵まれていたことを物語っています。
日本は、欧米の後、アジアの前を走ることで、優位になったのです。そして、成熟して欧米に追いついたこと、アジアが追いかけてきたことで、「日本特殊論」は終わりました。
(新保守主義・市場主義と官僚日本)
経済と政治の関係で言えば、20世紀はケインズの時代でした。国家が、経済に介入し、景気を制御することが責務となりました。しかし、サッチャー・レーガンに代表される新保守主義は、それを放棄し、国家の役割を限定しました。それぞれ、経済運営に失敗したことが背景にあります。また経済のグローバル化が進むと、国家ではコントロールできないのです。しかし、日本では、同時期にこのことは意識されず、1990年代にもいいえ1990年代こそ、景気浮揚のために、盛んに公共事業をしていました。ケインズ政策の放棄は、小泉内閣まで持ち越されました。
それは、経済成長の成功体験、ジャパン・アズ・ナンバーワンのおごりで、目が曇っていたからでしょう。さらに、官僚以外に政策の担い手がなかったことによります。政権交代を経験していない、政治が政策を競うものだという経験のなさが、「官僚の言うことが正しい」という信頼をつくっていました。残念ながら官僚も、理性的存在でなく、過去との連続を尊重する(政策の転換ができない)だけでなく、利益集団の一つであるのです。公共事業関係官僚に、公共事業を減らすことを期待する方が間違っています。
もっとも、政治は経済運営から、全く撤退したのではありません。レッセ・フェールの19世紀に戻るのではなく、国際競争に負けないだけの市場基盤をつくることが、新しい責務になっています。この点、日本の政治と行政は、まだ任務の方向転換に遅れているのでしょう。
(世界で競争する)
産業にしろ文化にしろ、世界で戦えるかが、グローバル化の基準でしょう。自動車産業だけでなく、小さな町工場でも世界一の技術を持っているところもあります。銀行は日本ではメガバンクといっていますが、世界ではそれほどの存在ではないようです。農業は輸出している果物をのぞいて、防戦一方です。観光も、観光客の呼び込みに負けています。投資も、海外への投資が大きく、海外から日本への投資は小さいです。それは、日本の魅力を表しています。
文化は、アニメ以外は輸入超過。スポーツは、野球が近年がんばっていますが、サッカーなどももう少しですね。相撲と柔道は、国際化に成功しました。学問では、自然科学系は世界でがんばっていますが、人文社会部門ではあまり活躍を聞きません。高等教育は、日本のチャンピオンである東大しかり。世界で勝負していませんよね。留学生の受け入れでも、負けているでしょう。官僚は、一部アジアへ制度を輸出していますが、世界市場では輸入ばっかり。こうしてみると、日本は何に成功し、何がもう一つだったかが、見えてきます。世界で戦わなかった分野が、弱いのです。
人の輸出入は制限しているので、まだ顕在化していません。移動が自由になると、非熟練の労働者は、所得の低いアジアから入ってくるでしょう。しかし、問題は能力の高い人たちが、日本を選ぶかどうかです。他国に比べ魅力ある国をつくる。これが、国際化した21世紀での、国家の役割の一つでしょう。(2007年1月4日)

(小さな政府)
朝日新聞7日別刷りbeの「あっと、データ」は、大学の学費負担割合の先進各国比較でした。日本は、親の負担割合が最高で、公費負担割合が下から2番目です。公費負担はGDP比でも最低、これは小中高校を含めても、先進国で最低だそうです。この点では、日本は小さな政府を実践しています。
こう書いたのは、私は「小さな政府論」に、疑問を持っているからです。もちろん、同じことをするなら、安上がりの小さな政府の方が良いです。ところが、人口あたり公務員数で比較すると、先進国の中では、日本は図抜けて少ないのです。防衛も含めていますから、軍隊の差でもないのです。「外郭団体を利用している」との指摘もありますが、それを入れたとしても、そんな大きな数でないでしょう。
私が問題にしたいのは、どの分野で日本が少ないかです。例えば公共事業は、日本が多くやっています。すると、逆にどの分野で日本は手を抜いているか、それが問題だと思うのです。
さて、初めの議論に戻すと、「日本は教育に熱心な国だ」といっています。でも、この数字を見ると、それは一部の家庭が熱心であって、国や地方団体は熱心ではないようです。年金も小さいほど、小さな政府を実現できます。でも、それが良いことでしょうか。財政規模比較では、今の日本は、支出では中くらいの政府、国民負担では小さな政府です。これを実現している「魔術」については、いつも批判しているので、繰り返しません。(1月7日)

9日の朝日新聞私の視点は、木村陽子先生が「生活保護、政府全体で取り組む課題」を書いておられました。このHPでも紹介した、全国知事会と市長会による「新たなセーフティネットの提案」です。(1月9日)

(消費者行政)
朝日新聞は、「消費者の時代へ」を連載していました。この分野は、新しい行政の役割として、私が関心を持っている分野です。9日は、松本恒雄教授へのインタビューでした。日本の消費者政策を3つの時期に区分して、第1期が1960年代で、行政が事業者を規制する形での消費者保護の時代。第2期が1990年代からの司法重視の時代で、製造物責任法や消費者契約法などで民事や裁判のルールが整備された。第3期がここ数年で、市場を利用して消費者の利益になるよう、企業行動を誘導する政策です。そこでは、金融商品取引法など企業に法令順守を求め、意識の低い企業は消費者の支持を得られず衰退する、という効果をねらっているとのことです。
新しく始まる消費者団体訴訟制度は、消費者団体が行政の代行的な役割を担うので、この第1、2、3のそれぞれの要素を含んでいるとの位置づけです。日本の行政の変化を考える際に、新しい分野とともに新しい手法としても、参考となります。また、自治体の果たす役割に、大きな期待をしておられます。(1月9日)

(政治の役割)
11日の日経新聞経済教室「07年の進路」は、佐々木毅先生の「雌伏の時代、政治を変革。全体最適を目指せ」でした。
小泉政権の5年間で、政治の課題は明確に変わったが、政治の体質が本当に変わったかどうかは、なお不透明だ。ここに構造的なリスクがある。このリスクをコントロールすることが、政治全体の基本的なテーマである。政治の課題の変化とは、野放図な利益政治の構造を維持できなくなったことである。自民党内の権力構造の変化は、その従属変数というべきものであった。部分最適が見えざる手によって全体最適に通じるという利益政治の神話を、もはや誰も信じない。新たな全体最適は、首相を中心に集中的に計画され、適切に管理実現されるべきものとなった。
先に述べたリスクは、これにかかわる。利益政治には一つの深刻なパラドックス逆説がある。それは強い政治的意思で支えられた狭い利益ほど最も強力であるということである・・・。
スキのない政権運営にとり、慎重な配慮が必要な最大の問題群は、中央と地方の関係である。この関係は、かつての部分最適全盛時代は、おのずからスムーズに動いていた。そうした時代が終わり同時に分権が進んでくると、両者の関係の管理運営は難しくなる。中央政治の使命は、中央政治の管理運営に加え、この両者の関係を管理することにある・・

政治の役割13

10日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅教授の「小泉政権を見送る」でした。
「何よりも、この政権は経済の構造的停滞によって自信を喪失し、すっかり内向きになった日本社会の生み出した政権であった・・・政党政治をほとんど一人で演じ、首相のリーダーシップに対する国民の飢餓感をいやし、それへの手応え感を与えるのにかなりの程度成功した政権であったといえよう。ここに首相と世論との太いパイプの源泉があったと考えられる」
「この政権が最もその精彩を放ったのは、『政府は何をしないか(すべきでないか)』について語るときであった。それは結果として民間部門の構造改革や活性化につながったが、『政府は何をするのか(すべきか)』については青写真も乏しかったし、アイデアも乏しかった」
「三位一体改革が課題を残したと言わざるを得ないのも、結局は中央政府の役割のツメができなかったからであろう。公務員制度改革という政権の最も直接的な所掌課題も、ようやく政権末期になって登場したのであった。かくして、政府はかつてなかったほど極めてあいまいな存在と化したままで、次の政権に引き渡されることになったのである」2006年(9月11日)

(総理の条件)
自民党総裁選に関して、記者さん何人かとの会話です。
(公約の優先順位)
記:総裁・総理は、その人の政策で選ぶんですよね。
全:そうだろう。だから、それぞれ公約を発表しているじゃない。良い傾向だと思うよ。
記:でも、ある新聞が書いたように、項目の羅列だったり、すべてに良いことを言ってます。すべての項目に取り組むというのは、どれもできないということですよ。
全:それはわかるね。総理だって、時間と力は限られている。まず、どれをしたいか。また、時間をかけても、これだけはしたいとかね。小泉さんは、その点はっきりしていたね。
記::そうです。その代わり、小泉さんは他のことを切り捨てました。何かをするということは、何かを切り捨てることです。八方美人は、何もしないという結果になります。
(これまでの言動)
記:もう一つは、これまでの言動との整合性です。
全:お三方とも、問題ないじゃない。それぞれ、信念に基づいて発言しておられるよ。
記:違います。公約は何とでも言えます。しかしこの3人は、新人議員ではありません。小泉政権の中枢におられました。白地ではありません。これまでの実績があるのです。例えば地方分権です。
全:3人とも、分権に積極的なことをおっしゃっている。どなたがなっても進むと、僕は期待してるよ。
記:思い出してください。三位一体改革の時に、3人とも当事者でした。一人は総務大臣として推進派、もう一人は財務大臣で税源移譲に反対、もう一人は官房長官で審判役でした。
全:これからに期待しよう。
(実行力の実績)
記:もう一つは、実行力です。
全:新聞の採点では、それぞれ実行力はあると採点されているじゃない。
記:いろんな政治決定の場で、どのようなリーダーシップを発揮したかです。例えば経済財政諮問会議の場で、どれだけ発言したかです。ただし、官僚の用意したメモを読むのは零点、どれだけ自分の言葉でしゃべったかです。そして議論をリードしたかです。
全:諮問会議は議事録が公開されているから、点を付けたらいいじゃない。
記:そう思っているんですがね。
全:3人とも実行力があると評価されているし、小泉さんを見た国民は、目が肥えているよ。日本の首相像は、間違いなく変わったと思うけどね。
(人を使う)
記:総理や政治主導者には、人を使うという能力も必要です。
全:それは当然。かつて、アメリカのクリントン大統領が、凡庸な大統領と批判されたときに、「そうかもしれないが、私には有能な人を使う能力がある」と反論したことがあった。私はそれを聞いてなるほどね、と思ったよ。
記:そうです。いかに有能な人でも、すべてのことはできません。それぞれの道に優れた人をうまく使うかどうかです。
全:人を使うためには、人の話を聞くことも、重要だよ。
記:ええ、しかし人の話を聞くだけでは、だめなんです。八方美人にならないように、話を聞くけど採用するかどうかは、別なのです。その際には、側近も重要です。政策の優先順位、時間配分の優先順位を、進言できる人です。それは、最初に述べた「何を切り捨てるか」を判断できる人です。そのような側近を持っているかどうかも、重要です。もちろん、最後の決断は、その政治家がするのですが。(9月15日、16日)

9月25日の日経新聞経済教室「新政権への視点」は、田中直毅さんの「政治再設計で成長確かに」でした。
「小泉内閣の5年半で、『回顧の次元』から『期待の次元』へと政策目標は切り替わり、自己統治の理念に発する財政規律の確立が緒についた。安倍政権では費用分担の仕組み作りという行政色の強い政治空間から離脱し、政治関与をリスク制御に絞り込むのではないか」(9月25日)

(小泉改革の評価と継承)
このHPでは、小泉改革を日本の政治の改革として、取り上げてきました。その点から、次の政権が小泉改革をどのように評価し、どのように継承するのか関心を持っています。もちろんどなたがなられても、改革は進められるでしょう。しかし、そのまま発展させるのか、一部修正するのかを知りたいのです。そのためには、小泉改革をどう位置づけ、どう評価するかが必要なのです。今日の安倍総理の所信表明演説では、改革を進めるとの記述はありますが、小泉改革の文字はないようです。(9月29日)

19日の朝日新聞「保守とは何か」で、原彬久教授は次のように述べておられました。戦後保守の特徴は、米国による占領下で生まれ左傾化されたこと、米ソ冷戦構造の下で自民党イコール親米・社会党イコール親中ソという構図になったこと、政権交代が保守と革新の間で行われず社会主義的な政策を採り入れたこと。外交・憲法面では吉田政治が保守本流だったが、経済政策面では岸政治がむしろ主流だった。
保守は、人間への懐疑がその根底にある。その意味で現実主義と重なる。したがって現状肯定に流れやすい。しかし面白いのは、時に保守が大きなパラダイム転換を成し遂げるという逆説だ。ニクソンの米中和解、サッチャーの英国病克服、岸氏の安保改定、佐藤栄作の沖縄返還、田中角栄の日中国交樹立・・保守は行き詰まった現実を前に、その現実に内蔵された矛盾のエネルギーをむしろ逆手にとって現状打破を果たそうとする。(10月21日)

27日の毎日新聞「世界の目」は、クラロス世界経済フォーラム主任エコノミストの「競争力向上へ8つの教訓」でした。自国の競争力を上げ、貧困減少や国民所得向上につながる資産を生み出すにはどうすれば良いか。
1 分不相応はいけない。税収不足、公共支出の統制不能、あるいはその双方による巨額の財政赤字は、競争力上昇のカギとなる教育、公衆衛生、社会基盤への支出を抑制する。
2 低税率は奇跡の治療薬ではない。北欧のように最も競争力の高い国々は、多額の歳入を十分効果的に運用している。
3 汚職は経済成長を止める。透明性が高く、公共の利益のために働き、支持に値すると認知された政府だけが、国民に犠牲を求めることができる。
4 司法の独立は貴重である。
5 官僚主義の弊害。
6 教育は大黒柱。
7 成長の新しいエンジンは、インターネットと携帯電話。
8 女性に力を。競争力とは、人的資源を含む資源の効率的利用のことだ。
発展途上国だけでなく、日本にも当てはまりますね。(10月27日)

(保守主義)
24日の読売新聞、佐々木毅教授のインタビューから。
「日本の場合、戦後は長く保守対革新の構図だったから、欧米の流れとはまたズレがある。自民党が、諸外国であれば社民主義政党がやった利益配分などを、機能的に代行した・・自民党政権の背後には、経済成長とナショナルプライド(国民の誇り)の合致があった。その合致がバブル経済の崩壊でズタズタに切り裂かれて、ナショナルプライドをどこに定めていいか分からなくなった。他国の保守主義とは異なり、いろいろな要素を積み込んだ自民党保守主義は終わった。今、自民党はどこに向かえばいいか分からなくなっている。ナショナルプライド探しをめぐる議論がいろいろ出てくれば、次の保守、非保守のステップにつながるかもしれない」

軍事侵攻の経済的影響

ロシアがグルジアに軍事侵攻して以来、経済が大きな打撃を受けていることが、ニュースになっています。15日の読売新聞は、国外投資家がロシアから資金を引き揚げ、その額は約3兆円になると伝えています。ロシアは1998年に金融危機に陥りましたが、その後、エネルギーの高騰で好調な経済を維持してきました。しかし、今回の事件で、株は半分近くになり、通貨は10%近く下落しました。
軍事力を使うと、どのような影響があるかの例だと思います。(2008年9月15日)
(指導者の育成)
14日の日経新聞「風見鶏」に秋田浩之編集委員が、「短すぎる助走期間」として、次のような主張を書いておられます。
中国では、胡錦涛国家主席の後継者として、習近平副主席(55)と李克強副主席(53)とを競わせている。民主的ではないが、2012年の共産党大会まで、指導者の選抜試験が続く。アメリカでは、大統領予備選挙などを通じて候補者が鍛えられる。
ひるがえって、日本はどうか。公約なら、有能なブレーンを駆使し、体裁を整えられるかも知れない。だが、総裁候補がどこまで首相に求められている胆力を備えているのかは、約2週間の総裁選挙ではわかるものではない・・

政治の役割12

9日の朝日新聞連載「小泉時代とこれから・中」は、竹森俊平教授の経済でした。
景気回復は構造改革の成果だと政府は強調します、との問に「不良債権問題を片付け、『失われた10年』に決着を付けたのが最大の貢献だ・・経済財政諮問会議に情報を集中し、経済政策で指導力をはっきり示したのは小泉首相の功績だ」。
構造改革の評価については、「経済を停滞から脱却させたが、構想力、長期的なビジョンが欠けていた。例えば、国民が安心できる徹底した社会保障制度の改革ができなかった。もう一つはアジアの経済外交だ。経済連携協定(EPA)を中国やインドに広げるなど経済ネットワークを構築できなかった。従来の政治手法や制度を壊すことに存在意義があったから、その意味では過渡期の人と言える」
「格差を是正する所得再分配政策をどうするのかは世界的な問題だ。どの国にも解決策はなく、思考停止状態・・むしろ、小泉政権は再分配政策と決別する方向に動いた・・政府は財政赤字で余裕がないと、再分配を事実上放棄した」
「いまや国内総生産の8割はサービスセクターで生産され、特に金融・情報など都市部で作るサービスが重要だ。他方、製造業はグローバルに展開され、次々アウトソースされる。政府は官主導でなく資本の論理や力を借りて経済の転換、調整をする方向に変えたが、小泉首相でなくてもそうなっただろう」
「首相の指導力が発揮できる政策決定プロセスが意識されてきた。しかし、状況が変われば元に戻る可能性もある」

日経新聞は8日から連載「日本を磨く、小さい賢い政府を」を始めました。第1回は行天豊夫氏でした。
「民にできない仕事は極端にいえばない。国防を民に任せるケースさえある。国民が料金を払い民に任せるか、税金を払い官にやらせるか。どちらが費用対効果に優れているかで、官と民の分担を決めればいい。官の役割は『国民が必要とすることだが、民にはできないこと』に尽きる。今の日本で必要なのは経済、外交、軍事、理念、文化、技術(知識水準)の各分野のバランスを取って、国の競争力を高めることだろう」
「官尊民卑は国民にとって幸せではない。明治以来、あるいは戦後の官僚主導の国家運営に、現状では大きなプラス点は付けられない。政は国民に働きかけ、指導力を発揮する。官は戦略を効率的に実行し、国益を実現するのが望ましい」(2006年8月9日)

10日の日経新聞「小さく賢い政府を」第2回は、佐々木毅教授の「イフ重ね政策に深み」でした。
役所中心の従来型の政策決定でこれからもやっていけますか、という問には「高度成長期のように少々無駄をしても大丈夫という時代ではなくなった。今までは部分最適の積み上げみたいな政策で、体力に任せてなんとかやってこれた。今は目標のはっきりした政策を効果的に出すことが必要になっている。これまでの調整型の決定の仕組みを相当変えないといけなくなる」
「政策を作るには、いろいろなイフ(IF)、もしもを重ねながら、綿密に詰める作業をしないといけない。それを政府も与党もしているように思えないのが、極めて深刻なことだと思う」
「本当の政策論議は思い切った議論をしなければならないのに、外に出すことを前提にすると議論に深みがなくなる。一つの発言の背後に百、二百の発言があるべきだろう。いざという時のいろいろなことを考えているように見えない。だから『想定外』の領域が大きくなる」
「大目標を作ろうとしてもいつの間にか限りなく些末になる。細分化してあちこちに投げ、役所が料理して出しているのが実態だ」

10日の朝日新聞「小泉時代とこれから・下」は、藤原帰一教授の外交・安保でした。
アジアで中国の求心力が飛躍的に高まった間、日本は何をしていたのでしょう、という問に、「空白だったと思う。各国が前より豊かになり、日本の経済協力が行き詰まった。経済援助に頼るアジア外交に代わるものを作らなければならなかったのに、政策の空白が続いた」
「ASEAN諸国との連携強化も必要。日本は債権国として各国の経済に直接的な影響力を持っている。直接投資の規制緩和、日本の労働市場の開放などで主導権を取ることで、ASEANを引き戻せる。ASEANは中国を恐れてもいる。ASEANとのパイプを利用し、中国を牽制する力に使うべきだ」(8月10日)

11日の日経新聞「小さく賢い政府を」第3回は、北城かく太郎さんの「挑戦の機会いつでも」でした。
「ここに至るまでに小泉政権が果たした役割はやはり大きい。財政出動に期待しないでくれ、民自身の努力で立ち直ってくれと発信し続け、民間に覚悟を決めさせて経営改革の背中を押した」
「創業支援では民間がお金を出すのを後押しする税制をつくってほしい・・・国や自治体からもらう税金で出資してもらうのでは、創業者は痛みを感じにくい。一般の個人からの出資ならその人の顔が思い浮かぶので懸命に努力する・・」(8月11日)

12日の第4回は、田中直毅さんの「優先順位国民に示せ」でした。
「先進国の政府の機能に大きな変化が生じている。米国も一国の経済情勢だけで金融政策を決められない。グリーンスパン前FRB議長の市場との対話は、ウォール街との対話ではなく、国際社会の重要な意思決定者に米金融政策の目標や優先順位について伝えることを意識していた・・・日本もグローバル経済のなかで、財政規律や金融秩序でこれだけは満たさなければいけないというものが出てきた」
「政治家も磨かれたが、企業も国民も磨かれている。政府に依存してはいけない、要求してばかりいるといずれ我が身に跳ね返る、という因果関係がわかった・・霞ヶ関が作った案に永田町が粉をふりかけるだけの昔ながらのメニューは、完全に排除されるだろう」
「政府のぜい肉がとれたと国民が認定して初めて、どういう形で政府の規模を決めるのか、どこまでを民間の自助努力に求めるのかの議論ができる」(8月12日)

17日の日経新聞経済教室「回顧・日本経済」は、加藤寛教授の「小泉改革、背後に公共選択。政府の失敗を是正」でした。(8月17日)

先日書いた「30年後の日本」について、ある人との会話です。
「30年後を考える前に、今のおれたちは、何を次の世代に残しているのかなあ」
「まずは、巨額の借金。これはひどい贈り物です。プラス面では、世界有数の工業力、社会資本ですかね」
「うまくいっていないアジアとの関係も、引き継ぐぞ」
「でも、それは僕らの前の世代もでしょ。親父たちの世代から引き継いだ負の遺産です」
「そうだな、お金は出すが人は出さないという評価は、前の世代がつくった。ただし、経済大国、工業国家という実績と評判もつくってくれた」
「そうですね。メイド・イン・ジャパンを、安物でないブランドにしたのは親父たちの世代です。それで言うと、その世代は、二度と戦争をしないといって、実際半世紀の間戦争をしなかったんですがね。アジアからの評価はそう見てくれませんね。そちらの方は、努力の割には、ブランドを作り上げるのに成功しなかったと言うことですかね」
「半世紀の間、戦争をしなかったけど、それは努力の成果ではないと見られているんだな」
「もう一つ前、じいさんたちの世代は、何を残してくれたのですかね」
「焼け跡と孤児、食うや食わずの生活。アジアの人たちを巻き込んだ悲惨な戦争、日本はひどい国だという評価だな」
「どこまで考えて、やっていたのですかね」
「そこが問題だね。でも、次の世代から、おれたちもどう言われるか」(8月18日)

21日の日経新聞経済教室は、青木昌彦教授の「資源・環境対応で世界主導」「技術・価値観を革新、市場・民主制と同時進化へ」でした。
「ここ10年ほどの間、日本の政治、経済、社会には、個々には小さくとも多様な変化が生じ、その累積効果は社会システムの質的変化を予感させうるほどのものとなった。
従来のシステムの下で人々は、生涯帰属する組織、それを業界・職業ごとに包括する団体、関連する監督官庁と族議員とタテに連なる関係に包み込まれて、自分の社会的位置や生活水準の生涯展望にある程度安定した予想を持ちえたのだった。
今、「改革」の政治的宴がおわり、にわかに格差社会の懸念が一部の政治家、マスコミ、学者などから声高に発せられるようになったのも、そういう安定化の仕組みの揺らぎを反映するのだろう」
「従来のシステムが感覚的に保障した安定性はそれなりに好ましいものであったが、それはまた行き過ぎると個人のモチベーションを弱め、外部環境変化に対するシステムとしての適応力を弱める」
「むしろ移りゆく環境に適応する個々人のチャレンジを側面から助け、組織の設計やガバナンスのありかたに関し多様な組織のあいだの自律的な競争を促し、行政府はそうした競争の当事者から一歩退いた公正なレフェリーの地位にとどまるという仕組みが、増大する複雑性と不確定性によって特徴づけられるこれからの社会の一つの行き方だろう」
「そして、政党は、将来世代と現在世代の間の利益裁定という意味合いを持つ財政の再建、中央と地方の間の規律ある関係の構築、競争のルールづくりとセーフティネットのデザインなど、国のかたちづくりのプログラムをめぐって、選挙民の支持獲得を争う役割に徹するべきだろう」。

22日の経済教室は、吉川洋教授の「人間力で不断の価値創造」でした。「新しい付加価値はどこから生まれるのだろうか。情報力といい技術といい結局のところそれを生み出すのは人間である。こうした「人間力」を経済学では「人的資本」と呼んでいる。歴史をふり返っても、人口規模の大きさが国際競争力の源泉になったことはない。重要なのは人の数ではなく、国民一人ひとりの力、すなわち「人間力」なのだ」