24日の日経新聞夕刊「永田町インサイド」は、野党民主党がこれまでに提出した対案・修正案の、成果一覧を表にしていました。それによると、民主案が成立したものとして金融再生関連法案があり、民主案を取り入れて修正されたものとして、武力攻撃事態対処法案、裁判員法案、有事関連法案、国民投票法案があります。
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行政-政治の役割
国民投票
15日の東京新聞は、海外の国民投票制度を紹介していました。各国には、それぞれの歴史があるという観点からです。
ドイツはこれまでに、50回を超える基本法改正をしてきました。改正には、連邦議会と連邦参議院での3分の2以上の賛成が要件です。国民投票はしません。ナチスが国民投票を使って全権力を手中にし、国民投票で支持を確認して、破滅へ導いた体験があるからです。
アメリカは、全州の4分の3の賛成が必要です。その場合、州の賛成は州議会の判断で、国民投票ではありません。衆愚政治への警戒心があるともいわれています。EUが憲法を導入しようとしましたが、フランス・オランダの国民投票が否決し、成立していません。
韓国は、パク・チョンヒ大統領が国民投票で大統領への権限を強化し、チョン・ドファン大統領が国民投票で任期を延長しました。しかし、民主化でノ・テウ大統領を選んだのも、国民投票でした。
首相のリーダーシップと評価
イギリスのブレア首相が、退陣を表明しました。各紙は、ブレア首相の10年間の功績と失政を、評価しています。11日の日経新聞は、「ブレア政権で英国はこう変わった」という表を、載せていました。
失業率は、6.5%から5.5%へ低下。一人当たりGDPは、16,000ポンドから19,000ポンドへ上昇。政府債務のGDP比は、44%から36%へ低下。もっとも、インフレ率は上昇、住宅価格も高騰しています。
生徒一人当たり教育費は、年間3,050ポンドから4,730ポンドへ引き上げ。これについては、ブレア首相は、「イギリスには3つの課題がある。1に教育、2に教育、3に教育だ」という名言を吐きました。公的医療予算は、340億ポンドから940億ポンドへ膨張。移民の受け入れは、年間32万人から56万人へ拡大しています。
10年間首相の座にあり、強いリーダーシップを発揮すると、その間に多くのことができます。また、数字で評価することができます。もちろん、その間の失敗や不十分な点も含めて。
国の魅力競争
5月9日の日経新聞「東京市場競争力強化への提言」で、ポール・クオ国際銀行協会(在日の外資系金融機関の団体)会長が、次のようなことを発言しておられます。
・・魅力ある金融センターの条件として、市場関係者がこれまで一番重要と考えてきたのは、優秀な人材がいるかどうかだった。ところがシティーが実施した調査によると、最近は規制環境が最重要視されるようになっている。
規制環境で重視されるのは、行政の予見可能性だ。こういうことをすれば、当局の見解・反応はこうなると予測できることが望ましい。市場参加者が、萎縮せずに活動に参加できるようになるからだ。日本も規制・監督体制が、国際的に見て最良の実践体制だと、広く認識されることを目指すべきだ。
行政の予見可能性を高めるためには、民間との連携を強化することだ。新商品が相次ぎ登場するなど市場は常に変化しているが、今の行政はこれを後追いする形になっている。当局が様々なレベルで民間人を積極登用すれば、最先端の金融ノウハウを吸収することができ、変化に対して迅速かつ前向きに対応できるようになる。
イギリス金融サービス機構が採用している規制・監督手法を取り入れることも、一案だ。細かく定めたルール以外に、かくあるべきだという基本原則を設ける手法だ。速いピッチで進化を遂げる商品などには、現実問題としてルールが追いつかない場合もある。ルールが整うまでは、基本原則に沿って判断するという姿勢を示せば、市場関係者にも考え方が伝わり、予見可能性は高まる・・
憲法・現実と一致しない理想
5月1日の東京新聞夕刊「憲法とどう向き合うか」、長谷部恭男教授の「現実と一致しない理想、大原則のみ示す条文」から。
・・改正すべきだとよくいわれるのは、憲法9条、とくに「戦力を保持しない」とする2項である。自衛隊があるにもかかわらず、こんな条文を持っているのでは、条文と現実とが乖離していることになる。法を尊重するという精神を保つためにも、9条を改正すべきだというわけである。
・・憲法の条文と現実が乖離しているのは、9条に限ったことだろうか。21条は「一切の表現の自由」を保障するというが、わいせつ文書や名誉毀損、児童ポルノなど、自由に表現できないことは多い。これも「ただし、わいせつ文書や名誉毀損、児童ポルノなどは別である」と修正しなければ、条文と現実が乖離していることになるのであろうか。
普通そう考えられていないのは、こうした条文は何が大事か(表現の自由は大事だ)という原則を示しているにとどまるのだから、杓子定規に理解するのはおかしいからである。表現は一切自由なのだから、どんな表現も規制できないといのは非現実的である。それでは社会生活は成り立たない。
同様に、自営のための実力を備えないで国民の生命・財産を守ろうというのは非現実的なのだから、9条がいっているのも、過剰な軍備は戦争の引き金になりかねないし、コストも高くつくので、なるべく持たない方がよいという大原則を示すにとどまると理解するのが常識的である。非武装でも安全を維持できるというのは真摯な信仰ではあっても、信仰をともにしない人も納得できる理屈ではない。特定の信仰を人に押しつけるのは、控えるべきであろう・・