「政治の役割」カテゴリーアーカイブ
行政-政治の役割
政府の売り込みと、企業の売り込み
佐々木毅先生・衆参ねじれ、国会動かす改革協議を
19日の読売新聞「地球を読む」は、佐々木毅先生の「衆参ねじれ、国会動かす改革協議を」でした。
・・言うまでもなく、政党政治は政党間の競争を大原則としつつ(それを通して国民に選択の可能性を与えつつ)、他方で統治能力も実証しなければならないという独特の構造を持っている。競争がなくなれば大政翼賛会的状況になるし、「動かない政治」では統治能力は麻痺してしまう・・
旧来のノウハウに囚われることなく、どうしたら政治を動かすことができるかという問いに、与野党は答えなければならない。端的に言えば、それは与野党全面対立と大連立との間の中間領域の開拓にほかならない。
「動かない政治」を現出している最大の原因は、国会運営についての固定観念を改めようとしない政党政治家たちの怠慢にある。彼らはほとんど何の努力もしないのみならず、しばしば根拠のない議論を動かしがたいものと(時には、わざと)誤解し、自縄自縛状態を作り出している・・
詳しくは、原文をお読みください。
野党の役割
11日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生の「全面対決と大連立の間」でした。
・・民主党が参院選で勝利した「にもかかわらず」というよりは、むしろ勝利した「ために」、民主党は与党との不断の接触、責任の分有を求められることになった・・。与党が衆参両院で多数を支配していた時期には、こうした厄介な関わりに巻き込まれる必要はなかった(野党が全面対決姿勢でも与党は困らなかった)。
与野党全面対決では国会は動かなくなり、政治は停滞する。他方、今のままでの大連立ということになれば、政治から競争が消え、結局のところは政治は生気を失ってしまう、今回の出来事から考えさせられるのは、与野党全面対決か大連立しかないのかという素朴な疑問である・・
政党政治の工夫のしどころは、むしろ全面対決と大連立という両極の間でさまざまな競争の場面をつくり、必要に応じて妥協や協力をさまざまな段階で演出することにある。もちろん、目指すところはそこでの自らの得点である。
全面対決か大連立かという発想しかないということは、こうした発想能力と演出能力が、極端に貧困であるということにほかならない・・
教育バウチャー
5日の日経新聞「教育」は、渡辺美樹さんの「教育バウチャーの意義」でした。その主張は、原文をお読みください。私もバウチャー導入論者で、渡辺さんの論旨に賛成です。競争のない世界は、進歩しません。
「教育に競争はなじまない」という反論もありますが、既に、学校では満足できず、多くの父兄が子供を塾に行かせています。また、都会では私立学校を選んでいます。教員の競争なのか、生徒の競争なのか、曖昧にした議論はおかしいです。バウチャーの趣旨は、生徒によりよい教育を提供するために、教員と学校が競争するのです。そして、公私立間の公費格差も解消できます。
さらに、「田舎では選ぶだけの学校がない」ということを、反論にされる方がいます。そのようなところまで、導入する必要はないのです。このような反論は、意味がないですね。(11月5日)
昨日、「教育バウチャー」を書きました。現在では、公立学校と私立学校への公費補助は、大きな差があるのです。学校への補助でなく、生徒(保護者)への補助にすれば、この格差は解消します。
6日の東京新聞に、「冷遇、外国人学校に光を」が載っていました。日本には既に200万人の外国人が住んでいて、その子供たちの教育が問題になっています。公立学校でなく、外国人学校に行く子供もいます。この子供と学校には、公費は投入されていません。さらに、授業料に消費税もかかるのだそうです。
「国民」じゃないから、というのが理由だそうですが、税金は取っておきながら・・。これでは、「法の下の平等」なんていっても、むなしいですね。