井上達夫著「法という企て」(東大出版会、2003年)、第10章「法は人間を幸福にできるか?」から。
・・現代社会において幸福追求権を実質化するには社会経済的基盤の保障だけですむかという、難しい問題がある。日本もかつてそうだったが、発展途上段階では国家の主たる関心は、国民生活の物的経済的向上に置かれる。しかし、いわゆる「豊かな社会」になると、経済的な豊かさ自体が精神の空虚化、人生の意味や目的の喪失を生むという問題が浮上する・・
そうすると、幸福追求権を実質的に保障するには、これからは単に社会経済的基盤だけではなくて、人々の精神的基盤をも国家は配慮しなければならないのだろうか。しかし、精神的基盤の保障となると非常に微妙な問題があり、一歩間違うと先述の卓越主義のように、邪教から青少年を保護するために国家が信教の自由に干渉するという怖い帰結を生む。
ここで、もう一度幸福の自律的探求という発想に立ち返る必要がある。人々が自分で挑戦し、失敗して、失敗から自分で学ぶとともに、他者からの批判や助言を受けとめつつ成長していく。そういうプロセスを実質的に保障することを、国家は自己の任務とすべきである。では、そのために、何が必要か。複雑な問題であるが、以下、二点だけ指摘して結びに代えたい。
・・もう一つ、最後に提案したいのは、日本を「やり直しのできる社会」にすることである・・
このあとに、再チャレンジに通じる議論が展開されています。私の研究テーマである、新しい時代の行政の役割を考える過程で、この記述を見つけました。あわせて、再チャレンジの法哲学的基盤も、見つけました。本は買ってはあったのですが・・。