カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

魅力ある国を作る

20日に、経済財政諮問会議のグローバル化改革専門調査会、金融・資本市場ワーキンググループが、第一次報告「真に競争力のある金融・資本市場の確立に向けて」を出しました。「はじめに」に、次のような文章があります。
「世界の2大国際金融センターであるロンドン市場とニューヨーク市場の間の市場間競争はますます激化しており、アジアにおいても、シンガポールや香港は、国家的な優先課題として金融・資本市場の競争力強化に取り組んでいる。ところが、こうした市場間競争から我が国は遙かに立ち後れた位置にあり、東京はアジアの金融センターとしての地位さえも脅かされようとしている。
東京が十分な金融サービスを提供できていないがゆえに、我が国を含むアジアの貯蓄が一旦は欧米に流出し、欧米でリスクマネーに変換されてアジアの投資をファイナンスするために還流するという資金循環の構造が生じている。この結果、日本は単なる資金提供者の地位にとどまることになって、資金仲介の過程における金融サービスの提供が生み出す利益を享受できないでいる・・」
これを読んで、政府の役割について、いろいろ考えました。
まず、現在の国家間競争についてです。かつては、それは領土や資源を争う戦争でした。次に、よりよい工業製品を作って売ることでした。この点について、日本は大勝ちしました。今や、そのような競争もありますが、もっとも先端部分では、サービスや情報を売る競争になっています(これは富が歴史的に、農業→商工業→サービス・情報に変化していることによります)。
この提言にあるように、金融市場は、お金を呼び込む競争になっています。お金を持っている国はもちろん強いのでしょうが、それを有効に使えるかどうかです。日本は1,500兆円という家計金融資産を持ちながら、それを使って利益を上げているのは欧米です。それは、「金融サービス競争」「魅力ある金融市場作り競争」に、日本が負けているということでしょう。
その次に、外国からの投資を呼び込む競争があります。国際的な金融資本は、よりもうけが出る国、魅力ある投資先に金をつぎ込みます。日本は海外に大きく投資しながら、海外からの投資を呼び込むことに失敗しています。これまた、「魅力ある投資先としての国作り」に負けています。
次に、このような国家戦略は、だれが考えるかということです。日本政府にあっては、どの行政機構がそれを担うかです。このHPでも書きましたが、霞ヶ関には企画部がありません(「新地方自治入門」p68)。各省には政策立案部門がありますが、それぞれの所管業務に縛られ、また発想もそれに縛られます。ここに、内閣府・経済財政諮問会議が、国家の司令塔=企画部の役割を果たす「余地」があるのです。

外国政府によるインターネット検閲

22日の日経新聞夕刊が、インターネット検索の「グーグル社」が、世界各国の政府から、情報の削除や利用情報の提供などの要請を受けた回数を公開し始めた、と伝えていました。
2009年7月から12月の間に、削除要請はブラジルが291件、ドイツが188件だそうです。中国については、要請件数自体が中国の機密情報とされ開示できません。日本からの要請件数は、10件未満だそうです。政府からの要請内容は、児童ポルノなど違法な内容の削除や、犯罪捜査のための情報提供などです。
このようなことが、問題になるのですね。ここには、表現の自由と制限、検索エンジンの公共性、国際的な検閲など、いくつもの論点があります。

ねじれは異例ではない

(ねじれは異例ではない)
21日の日経新聞経済教室は、曽根泰教先生の「ねじれ国会、活性化の契機。合意形成へ方法模索急げ」でした。
現在の衆参ねじれ現象を異例と考える向きも多いが、二院制に限らず、大統領選挙と議会選挙のように二つの異なる選挙を独立に行えば、かなりの頻度で多数派が異なること。また、政権交代が起きる場合は、必ずねじれが生じることを、指摘しておられます。
衆参同日選挙でない限り、起きるのですよね。政権交代が起きる時は、民主党が衆議院で多数を取るまで、現在のねじれは続きます。その次に、再度政権交代が起きて、自民党が衆議院で多数を取る時には、参議院で先に自民党が多数になるか(その時は、今とは逆のねじれになっています)、参議院では民主党が多数で現在のようなねじれが復活するかどちらかです。

日中韓共通歴史認識

18日の読売新聞「地球を読む」は、北岡伸一東大教授の「共同歴史研究。『侵略』認め、日中攻守逆転」でした。
2006年、安倍首相と胡主席の合意によって始められた日中歴史共同研究は、今年1月に報告書を発表しました。しかし、研究の途中から、中国側が公表に消極的になり、一時はすべての不公表を求めたそうです。先生は、興味深い指摘をいくつもしておられますが、ここでは一つだけ紹介します。
・・・極端に隔たって手のつけようのない問題に、両方の中道の歴史家の考え方を示すことで突破口を開くことが目的であって、パラレル・ヒストリーとは、そのための積極的な手法だった。
中国では、日本は侵略を認めていない、反省していない、謝罪もしていないと考えている人が少なくない。これに対し、日本側は日本の侵略は認めているが、中国側の主張は一方的で誇張されていると考えている。それを相手に読ませたかったわけである。
ここに攻守は逆転するのである。日本に侵略を否定する声が大きいうちは、中国は、日本は反省していないと主張し続けることができる。しかしわれわれが非を認めると、それがどの程度の非なのか説明せざるを得なくなり、守勢に回った。各章の「討議の記録」の削除を求め、戦後編の非公表を求めたのは、中国が受け身に立ったからである。
・・東アジア共通の教科書を考えても良いと思う・・また、外交だけでなく、内政にも目を向けるべきである・・第三国の学者の参加も歓迎すべきだろう。真理が直接的当事者にしかわからないというのはおごりであり誤りである。このようにして、歴史学の大原則に立って、東アジアの歴史を共同で書くことを、日本から提案したらどうだろう。中国や韓国が積極的に応じないだろう、という人もあるだろう。それでも一向にかまわない。その場合は、歴史を直視していないのがどちらか、世界に明らかになるわけだから。
詳しくは、原文をお読みください。

普天間移設問題

沖縄の普天間基地を移設する件が、大きな問題になっています。月刊『文藝春秋』5月号に、岡本行夫さんが、「ねじれた方程式 『普天間返還』をすべて解く」を書いておられます。経緯、なぜ難しいか、難しくなったかなどについて、非常にわかりやすく解説されています。
インターネットでは、2ページだけ、「立ち読み」できます。最近は、こんなふうに、なっているのですね。