カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

わが国成功の負の遺産

3日の読売新聞は、読売国際会議「明日への責任」で、消費税の引き上げと社会保障のあり方を、大きく取り上げていました。4日の日経新聞は、国際シンポジウム「安保改定50周年、どうなる日米関係」を、大きく紹介していました。
私は、戦後日本が成功したことの「負の遺産」の代表は、国民に負担を問わなくて良かったこと=負担を考えないことと、戦争がなかったこと=外交と防衛を考えないことの2つだと考えています(拙稿「行政構造改革」では、負担を考えないこと、国際貢献を考えないこと、自分で考えないことの3つを上げました)。
経済成長がある時は、税負担を増やすことなく、行政サービスを拡大できました。成長が止まってからは、国債と地方債で行政サービスを続けています。そして、社会保障支出は確実に増えています。サービスを増やすには負担が必要。これができないのが、今の日本です。税負担だけでなく、貿易の自由化をすると農業に負担が来る、これをどう解決するか。これからの政治は、税制も社会保障も「負担の配分」です。国際貢献も、お金とともに人を出さないと、評価されません。「危険だから嫌です」は、通用しません。
近隣諸国は友好的で、善隣外交をしておれば平和が保てるという信仰も、幻想でした。いよいよ、日本の政治、国民の政治意識が問われる事態になりました。もっとも、バブルがはじけて20年が経ち、第一次湾岸戦争で巨額の資金を出しながら感謝されなかった時からも20年が経ちます。

国民の不満、政権批判

アメリカの中間選挙の結果を見て、考えました。各紙とも「民主党大敗」という見出しです。2年前に「チェンジ」を合い言葉に、オバマ大統領を選んだアメリカ国民が、今回はオバマ民主党にノーを突き付けました。オバマ大統領は、国民皆保険や大型景気対策など、実績を積み重ねています。しかし、景気が回復しないことを主な理由に、国民は批判しているようです(2010年10月5日の記事)。
振り返ると日本では、2009年に自民党から民主党に政権交代がありました。その1年後の参議院選挙では、国民は民主党政権にノーを突き付けました。新聞の見出しは、「民主党大敗」でした。
2009年の衆議院選挙では、国民は自民党政権にノーを突き付け、2010年の参議院選挙では、民主党政権にノーを言う。そこにあるのは、政策の選択ではなく、また野党が勝ったのではなく、政権党が負けるという構図です。もちろん、その他のいろんな理由もあるでしょうが。
日本にしろアメリカにしろ、2大政党間に、いまやそんなに大きな政策の違いは出せません。行政サービスを増やすには、あるいは維持するにも、国民負担を増やすしかありません。政府は景気対策を打ちますが、現在のグローバル経済、新興国の台頭の下では、政府が景気を制御することは困難です。そして、かつてのような経済成長はありません。
国民の不満といらだちが、現政権への批判となって現れるのでしょう。しかし、政権が変わったとしても、状況は変わりません。忍耐強く改革を続け、負担に耐え、政府を見守るしかないと思います。水戸黄門は現れないのです。
そうしてみると、日本はアメリカより、一歩先を行っているのかもしれません。また、長引くデフレ経済も日本が特殊なのではなく、日本がアメリカの先を行っているのかもしれません。課題先進国日本の一端と、見ることもできます。もちろん、その課題を克服してこそ、本当の課題先進国になるのです。日本人の力量が試されています。

日本農業・失われた50年

日本経済新聞が27日から、連載「ニッポンの農力、自立するために」を始めました。環太平洋協定(TPP)が政治課題になり、農業保護が問題になったのです。
その記事によると、農業就業人口は、ピークであった50年前から8割以上も減り、今年は260万人と全就業者に占める割合が3%台に低下しました。農業総産出額は8.5兆円と、最も多かった1984年に比べ72%に低下しています。農林水産業がGDPに占める割合は、1960年には13%でしたが、現在では1.5%です。記事では、「国内農業は失われた50年」と形容しています。
稲作は50年前に比べ、生産性が大幅に向上しました。これだけ農家が減っても、米は余っています。しかも、減反を4割もしています。その点では、成功したのです。しかし、国外産に比べ、まだ低いのです。問題は小規模なままで、大規模化が進まなかったことです。兼業農家が、片手間でできるようになったのです。日本の農業問題は、稲作とその他の作物に分けて考えなければならないこと、そして問題のカギは農地です(2007年6月23日の記事)。

国家のパワー再考・相手を動かす力と左右されない力

国際社会での国家の力を、もう一度考えてみました。
よく言われるのが、軍事力や経済力です。しかし、相手の国を動かすことについては、これにとどまらず、もっと広く考えるべきです。有名なところでは、ジョセフ・ナイのハードパワーとソフトパワーや、スーザン・ストレンジの関係的権力と構造的権力という考えがあります。これについては、かつて書いたことがあります。
次のように整理してはどうでしょうか。まず、国家間の力(パワー)を、相手の国を(こちらの都合のよいように)動かす力とします。もう一つは、相手の国から「攻撃」されても耐えられる力、左右されない能力です。後者が忘れられる時があります。しかし、日本の自衛隊は専守防衛ですから、相手を動かす力ではなく、相手に動かされない力です。あるいは、相手を動かさない力です。
さて、前者の動かす力には、1武力、2経済力(生産力、金融力、技術力など)、3文化力(相手の国にあこがれられる文化)、4ルール設定力などがあります。ソフトパワーは、3に当たります。構造的権力は、4に当たります。
後者の動かされない力には、1防衛力、2(自立できる)経済力、3(自立できる)文化力があります。
このほかに、国家を政府と置き換えれば、政府の強さとしては、企業や市場に対する国家の強さ、災害に対する強さ、国民の信頼への強さなどもあります。

民主制の機能、政治エリートの選別

10月17日日経新聞「民主主義を考える」は、宇野重規東大准教授でした。
・・代議制は国民の代表を通じて民意を反映させるためのものだが、同時に政治エリートを選別し、競争させる仕組みでもある。現在はまさにこの仕組みが機能不全を起こし、指導力のある政治家をうまくつくり出せないでいる。
問題は、政治エリートと呼べる人が今の日本にいるかどうかだ。政治学者はこれまで一部のエリートが政治を独占することを批判してきたが、今や批判する相手が見えにくくなっている。
政党が自らの価値観に沿って人材を養成して「さあどうですか」と人びとの前に差し出すのが政党政治だったのに・・ただ首相を替えていくだけでは、遠からず差し出す営業品目がなくなる・・
詳しくは原文をお読み下さい。