「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

日本のこれまで100年間の外交政策

フォーリン・アフェアーズ・リポート』3月号、ジェラルド・カーチス教授執筆「岐路にさしかかった日本の外交・安保政策」から。
・・・こと自国の外交政策に限っては、日本は19世紀後半から現在にいたるまで、非常に似たとらえ方をしてきた。 1868年の明治維新後に権力を掌握した指導者たちは、欧米列強が突きつける国の存亡に関わる脅威から国を守ろうと大戦略の構築に着手した。明治の指導者たちは、アメリカの指導者たちのように、自国の「明白な運命」を信じていたわけでもなければ、フランス人のように、自国の文化の美徳を世界に広めようとも考えてはいなかった。日本が直面し克服した課題は、「よりパワフルな大国が構築し、支配している国際システムでいかに生き残るか」にあった。
国際社会で生き残ることへの渇望が、いまも日本の外交政策を規定している。アメリカやその他の大国とは違って、日本が、国際アジェンダを規定し、特定のイデオロギーを標榜することで国益を模索することはない。この国は、外部の国際環境を所与のものとみなすことで、日本人が「時流」とよぶ国際的な流れに乗るために、現実的な調整を試みる。
第二次世界大戦以降、日本はそうしたプラグマティズムに導かれてアメリカと同盟関係を結び、これによって軍事的役割を防衛に限定できるようになった。しかしいまや中国が強大化し、北朝鮮は核開発を続け、しかも、アメリカは経済的苦境に陥っている。・・・
詳しくは、本文をお読みください。

政治と経済

AIJ投資顧問が預かっていた、2,000億円もの年金資産の大半が消失していたことが、大きなニュースになっています。3月2日の日経新聞が、アメリカでも同様な事件が起きていることと、投資家を保護するための動きを伝えています。
一つは官による規制の強化です。米商品先物取引委員会が、先物業者が顧客資金で海外の国債に投資することを規制する方針を決定しました。また、議会では銀行預金を一定額保護する「預金保険」に似た制度の創設を検討しているとのことです。
もう一つが民間主導の動きです。シカゴ・マーカンタイル取引所グループが約5億5000万ドルの資金を破産管財人に拠出し、同様の事件の被害に備え1億ドル規模の基金設立を決めました。
また、証券取引委員会は、2003年に投資信託会社の情報開示強化などを進め、今回は不正の内部告発に多額の報奨金を支払う制度の導入を決めました。
不正な行為が起きないように予防策を打つこと、また起きた場合には取り締まること、被害が生じたときの救済策を準備しておくことが、対策でしょう。それを、民間の同業者で行うか、政府が行うか。政治と経済の関係を分析する良い事例です。

国民の政府への信頼

今日、あるところで、復興の課題について、お話をする機会がありました。質疑応答の際に、政府に対する国民の信頼についての、質問がありました。今回の大震災、特に原発事故対応のまずさから、国民の政府への信頼が大きく損なわれたのではないか、という趣旨の指摘です。
御指摘の通りだと思います。発災以来、そのことを考えていたのですが、あまりに大きな課題であることと、胸に思うところがあって、今日はうまくお答えすることができませんでした。

会社が商品やサービスを売る際に、その会社や商品の信頼は、価格や品質とともに、いえそれ以上に重要な要素です。中味がわからないときに、私たちは発売元の会社を信用して選択します。
行政サービスはほとんどの場合、選択の余地がありませんが、国民の地方自治体や国への信頼は、日常の行政執行の際に現れると思います。 住民に信頼されない政府は、政策実行に大きなコストがかかります。この点については、拙著『新地方自治入門』p269で、述べました。

信頼を築くには長年の積み重ねが必要ですが、それを失うのはあっという間です。明治以来、先人たちが積み重ねてきた日本政府への信頼、官僚や行政機構への信頼を、この20年で私たちは大きく損なってしまいました。
政府への信頼については、いくつもの研究が出ています。今回失われた信頼を取り戻すには、多大な努力と時間が必要でしょう。情報を公開すること、良いこともまずいことも。そして、一つ一つ課題を解決して、国民の信頼を回復するしかありません。

農業保護、EUと日本の違い

古くなりましたが、2月12日の日経新聞「TPP農業再生の条件・下」に、次のような指摘がありました。
・・経済協力開発機構(OECD)によると、2010年の農業生産に対する農業補助の比率は日本が5割で、欧州連合(EU)が2割。内外価格差も「補助」とみなした試算だが、日本の農業補助の水準は、決して低くない。だがEUは農業先進地と称され、日本農業は危機が叫ばれる。
分かれ道は1992年にあった。ウルグアイ・ラウンドが大詰めを迎え、農産物貿易の自由化がテーマとなった。EUは公的機関が介入して作物の値段を下支えする仕組みを改め、農家に補助金を出して収入を補填する制度を作った。
農業保護には変わりはない。だが価格を市場に委ねることで、輸入農産物に対抗する力は強まった。ドイツの小麦販売価格は2005年までに4割下がり、恩恵は消費者に及んだ・・
翻って日本。農林水産省も1992年に「市場原理を導入し、競争を促す」と宣言した。だが実際にやったのは、6兆円に及ぶ農村のインフラ整備などだ・・・日本も農業にお金を投じてきた。問題は使い道だ・・

政治の理想と現実

ようやく、E.H.カー著『危機の二十年』(邦訳2011年、岩波文庫)を、読み終えました。布団の中で読むには、難しい本ですが、文庫本なので挑戦しました。とはいえ、500ページを超えます。読みやすい訳ですが、寝転がって読む本ではありません。
原著は、1939年に出版されました。国際政治学の基本文献です。第1次大戦と第2次大戦の戦間期の国際政治(ヨーロッパ政治)を対象としつつ、ユートピアニズム(アイデアリズム、理想主義)とリアリズム(現実主義)のせめぎ合いを分析したものです。国際連盟などの理想主義の限界を指摘した本として有名です。
私の本棚には、1952年に岩波書店から出た、井上茂訳が並んでいます。久しぶりに取り出したら、変色したパラフィン紙(グラシン紙。若い人は知らないでしょうね。かつて岩波新書をはじめ、多くの本に被さっていました)がかかり、箱に入っています。買った日付が奥書に、1975年10月と記入されています。定価は、800円です。20歳の時に買ったのですね。内容は、ほぼ忘れていました(反省)。
ところで、新訳では、解説にもあとがきにも、旧訳について言及がありません。どうしてでしょうね。

今回読んでみて、改めてその分析の鋭さに、感心しました。訳者による解説もわかりやすいです。世間を知らない学生時代に読むのと、官僚として政治と付き合ってみてから読むのとでは、得るところが違いますね。
カーは、イギリスの政治学者で、『歴史とは何か』(岩波新書)が、有名です。