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行政-政と官
政治の使用者責任
佐々木毅先生「政治は使用者責任をどう果たすか」月刊『公研』2007年6月号から。
・・政府が社会保険庁改革法案を提出し、その抜本的解体を試みるのは悪いことではないが、それを行えば責任問題は相殺できると考えているとすれば、これは見当違いである。民間の保険会社が未払い問題への応答を内部組織の変更で済ますわけにいかないように、政治が社保庁をどんなに叩いても国民は救われないからである。国民が怒るのは当然であるし、怒らない国民はどうかしている。
その結果として、役所を叩けば国民は溜飲を下げてくれるという固定観念に政治が訣別することにつながれば、これは不幸中の幸いである。国民は今や政治が役所を叩くことで政治の責任を果たせることができるかのような内輪の「古い物語」には、いささかうんざりしている。今年になってからも天下りの問題などでこうした手法は多用されたが、年金問題はそれを超えて政治の「使用者責任」へと国民の視点を向けさせた・・
この問題は何も今に始まった話ではなく、数年来の懸案であり、民間の保険会社であれば、金融庁から何度も業務停止命令を受け、廃業に追い込まれるような事態ではないか。このように「使用者責任」を役所叩きで代行させることはできないのである・・
公務員の採用から能力開発、評価と昇進、中途退職の扱い、退職と年金についてのシステム全体を掌握すること、そのための体制づくりが政治の任務になる。当然、現在の人事院の機能をどうするか、総務省や財務省などに拡散している諸権限をどう集中管理するか、有為な人材をどう集めるかといったことは、政治にしかできない仕事である。
この骨格部分の改革なしに、官民交流だとか、天下りの一元化とかいった事柄について、いわば「点」の議論をしても、その効果は所詮限定的である・・
政府とは誰か
非官僚政権
諮問会議審議の公開
15日の経済財政諮問会議の審議内容が、一部非公開になりました。各紙が、批判的に紹介していました。17日の朝日新聞では、大月規義記者が「公開してこそ諮問会議」として、大きく取り上げていました。
非公開の理由は、テーマである地球環境問題が、外交交渉に問題があるという理由です。ただし、会議後の記者会見や議事要旨では公表になりませんが、4年後には議事録が公開されるので、その段階で再度公開するかどうかが判断されると思われます。これまでには、2001年11月に、金融システム問題について非公開にされ、4年後の議事録では公開されています。
閣議は、内容は完全に非公開です。結論だけが公表されます。諮問会議は、非公開になると問題視されます。ここに、諮問会議の機能が表れています。諮問会議は、テーマを国民の前に見せ、民間議員から厳しい提言をだし、会議での議論の対立を見せることで、改革を進めています。関係者が一致したものだけを、議題にし承認する閣議との違いです。
一方、諮問会議は、閣僚間で実質的な議論をする「機能する閣議」という機能も発揮しています。閣議には、そもそも事前に一致していない議題はのせられないのですから、実質的な議論はありません。
またそれは、「少人数閣議」と言ってもいいでしょう。閣僚の全員一致が難しい事項・内閣の重要戦略を、限られた閣僚で議論する場です。そのほか、イギリスの内閣委員会やインナー・キャビネットとしての機能も考えられます。そのような場がないので、諮問会議がその機能も担っているのです。内閣の重要戦略を限られた閣僚で議論するのなら、それは多くの場合、非公開になるでしょう。国際交渉に限らず、手の内を見せるのが愚策の場合は多いです。ここに、議論を公開する諮問会議の原則と、衝突することになります。
このような機能は、諮問会議ではなく、別の場が必要なのでしょう。その場は、民間議員の入らない、少人数の閣僚による「小閣議」「内・内閣」だと思います。
しかし、日本政府が、地球環境問題について戦略的に対外政策を考えているということは、明らかになりました。これまでだったら、そういうことも国民の前にはなかなか明らかにならなかったのです。審議を非公開にしても、政策過程が見えるようになったという功績はあります。(5月18日、19日、20日)
(諮問会議)
月刊『自治研究』(第一法規)4月号・5月号に、小西敦東大教授の「諮問会議の誕生、成長、そして未来-内閣総理大臣の指導性を中心に」が載りました。議事要旨を基に、諮問会議が期待された役割や、総理大臣の指導性への寄与を、どの程度果たしてきたかを分析したものです。