仙台の有名企業アイリスオーヤマと仙台の農業法人舞台ファームが、原発被災地での農業復興を支援してくださっています。今年も、田植えが始まりました。
「福島中央テレビニュース」をご覧ください。
鮎の稚魚の放流も行われました。
カテゴリー別アーカイブ: 復興10年
復興拠点の避難指示解除
5月1日に、福島県飯舘村の特定復興再生拠点の避難指示が解除されました。6町村で計画した復興拠点の避難指示解除はこれですべて完了しました。2日の朝日新聞は、大月規義編集委員が1面と、社会面で大きく解説していました。
・・・東京電力福島第一原発事故で立ち入りが規制されている福島県飯舘村の帰還困難区域のうち、国が除染や復興の対象にした「特定復興再生拠点」(復興拠点)の避難指示が1日、解除された。県内6町村で計画された復興拠点の避難指示解除はこれで完了した。朝日新聞の集計では6町村の復興拠点に戻った人口は計158人で、住民登録者数の1・2%だった・・・
・・・原発事故の当初、帰還困難区域は放射線量が避難基準の2・5倍超に上昇し、国は「将来にわたり居住を制限する」との方針を決めた。
しかし、放射線量がある程度下がっていることが分かり、政府は2017~18年、帰還困難区域をもつ7市町村のうち6町村の一部を復興拠点と認定し、除染後に避難指示を解除すると決めた。
復興拠点の面積は帰還困難区域の8%だが、集落だった場所を中心に認定したため、登録人口は約1万3千人と区域人口の6割を超える。国は拠点内の除染のほか、道路や田畑、産業団地の整備を進め、これまで約3200億円の復興予算を投じた。
ただ、いつ戻れるか分からない状態が長年続き、もとの家などの解体は4千件近くに達している。復興拠点に戻る住民や移住者は、拠点の解除から1年近くたつ葛尾村で1人、大熊町で60人。各地とも復興は厳しい状況だ。
復興拠点を国に申請した際、6町村はそれぞれ避難解除から5年後の居住人口目標を掲げた。その数は6町村で計7960人になるが、現時点では目標の2・0%。復興庁は拠点を認定し始めた約5年前、居住目標に近づけば拠点を広げる考えを地元に示していたが、「目標は遠く拠点の拡大はないだろう」(政府関係者)という・・・1面「復興拠点、戻った人1.2% 避難指示、福島6町村全て解除」
・・・福島県飯舘村にある特定復興再生拠点(復興拠点)の避難指示が1日に解除され、約5年前に計画された帰還困難区域の一部解除が県内6町村で完了した。戻った住民はわずかで、解除が進むにつれ厳しい現実が浮かぶ・・・
・・・復興拠点から外れた帰還困難区域は今後どうなるのか。
復興拠点がない南相馬市を含め、帰還困難区域を抱える7市町村は「早期・全域の避難指示解除」を国に求める。だが、政府は慎重だ。
復興拠点の整備にかけた約3200億円の大半は放射性物質の除染が占める。「除染をせず、放射線量が自然に下がるのをなるべく待ちたい」という政府関係者もいる。
長泥地区では1日、復興拠点外で初めて避難指示が解除された。従来、解除には除染が必要だったが、政府は2020年、自然に放射線量が年20ミリシーベルトを下回っていれば、人が住まないことを条件に「未除染」で解除できる方式を導入した。長泥の拠点外にある10世帯のうち1軒0・6ヘクタールは除染せず「公園」にして解除した。
ただ、除染を求める住民は多く、未除染解除の方式を受け入れる町村は飯舘村のほかにない・・・
・・・政府は昨年夏から、拠点外の避難世帯に調査を始めた。これまで4町村で実施し、「帰還を希望」と答えたのは26・7%で、「希望しない」の15・8%を上回った。
帰還希望が多い背景には、朽ち果てた自宅を公費で解体してほしい思いや、家が解体されないと、大規模災害時に適用される生活再建支援金(1世帯最大300万円)が受けられないことがあるとみられる・・・社会面「飯舘へ「通い復興」 避難指示解除、戻った住民1.2%」
公営住宅での住民組織づくり
3月3日の朝日新聞夕刊「飛びこんで12年、5」「災害住宅、つながり後押し」から。認定NPO法人「つながりデザインセンター」(つなセン、仙台市)事務局長の宮本愛さんの活動です。
・・・ 東日本大震災の被災者が入居する災害公営住宅には、共同住宅で暮らすのが初めてという高齢者が多く、おたがいにほぼ初対面というケースが多い。住宅会の設立や運営には外部の支援が欠かせない。
つなセンは18年度から、塩釜市の委託を受けて、錦町東住宅のコミュニティーづくり支援を始めた。直面していた課題は、住民組織の立ち上げだった。
市は当初、共用部分の電気代、水道代を出したが、入居3年目の19年度からは入居者の負担に切り替える方針だった。財源となる共益費を入居者から徴収する住民組織が必要だった。
18年12月、つなセンは共同住宅の管理で入居者が果たす役割などを説明し、意見交換する機会を設けた。だが、出席したのは数人にとどまった。
その後、ランチ会を開くなど住民交流の場を設けて19年3月、有志による世話人会設立にこぎつけた。翌月からは共益費の集金が始まった。
8月には住民組織設立に向けて世話人を務める住民ら約10人が集まった。宮本は「世話人会は暫定的組織。入居者全員の代表となっていない」と説明した。出席者の一人が「市に住宅設備に関して要望したら、『70世帯みなさんの希望がないとだめ』と言われた」と、組織化の必要性を訴えた。
2カ月後、錦町東住宅会が動き出した・・・
LuckyFM茨城放送に出演
3月13日夜、このページで予告していたLuckyFM茨城放送の「ダイバーシティニュース」に出演しました。
藤沢烈さんの指示で、21時30分頃から約20分間、話題は東日本大震災とその後についてでした。孤独防止など、非営利団体の活動を中心にお話ししました。
大震災12年 災害法制を進化させよ
3月12日の朝日新聞社説「大震災12年 災害法制を進化させよ」から。
・・・東日本大震災から12年を経て、津波被災地の復興事業はほぼ完了した。復興基本法第2条の「基本理念」がうたう「21世紀半ばにおける日本のあるべき姿をめざして」の成果が問われる段階を迎えている。
これまでの歩みを顧みて、評価できるのは政府が従来の「国土の復旧」に加えて、「生活の再建」にも乗り出したことだ。
国と県で4分の3を出すグループ補助金、販路開拓や新製品開発での大企業とのマッチングといった「官と民」の柔軟な連携は斬新だった。「行政哲学を転換した」ともいわれ、その後の災害にも継承されている。
一方で旧態依然の手法の弊害が厳しく指摘され続けた。
道路、農地、防潮堤など省庁縦割りの事業はスピード優先で費用対効果が二の次にされ、過大な公共工事を多く生んだ。復興庁の元事務次官が「止めたくても止められなかった」と認める現場もあったほどだ・・・
・・・実情を踏まえた現場の声を教訓として生かし、時代の要請に合った新制度を設計してゆく。そうやって災害法制を進化させることが、東日本大震災を経験した世代の務めのはずだ・・・