「復興事業の教訓、過大な街づくり批判」に続き、「復興事業の教訓」その4です。
次に、防潮堤は過大ではないかという批判についてです。「多額の予算で防潮堤を復旧したのに、後背地に住む住民が少ない。金のかけすぎではないか」というものです。
公共施設災害復旧制度は、戦後70年にわたる経験から、立派な制度ができています。被災後直ちに現場を見て、元に戻す作業に入ります。早く安全な町に戻すためです。例えば2019年の台風19号による、長野県千曲川氾濫を思い出して下さい。堤防が壊れ、濁流が町や農地を呑み込みました。すぐに復旧作業が始められました。
では、なぜ津波被災地では、このような批判が出るのか。災害復旧は、担当部局が被災後直ちに事業に着手しました。安全な町を取り戻すために、急いでくれたのです。これは正しいことです(なお、防潮堤については従来の「これまでの津波に耐える高さにする」という哲学を変更し、100年に一度の津波には耐えるが、それ以上の津波には他の方法を組み合わせることにしました。L1、L2の考え方です)。
他方で町づくりをする復興事業は、今回が初めてでした。復興計画を作り工事を行うために、新たに復興交付金制度をつくりました。
その頃には、復旧事業は進んでいました。復興交付金制度に復旧事業費は入っていません。「なぜ入れないの?」と担当者に聞いたら、「復旧事業は既に進んでいて、これから交付金に組み込むのが難しいのです」との答えでした。私も納得しました。
防潮堤復旧が先に進み、町づくり計画が後から進んだのです。そして、「後背地の町と整合性がとれない防潮堤」といわれるものができました。
では、これまでなぜ問題にならなかったか。これだけ大きな町の復興事業がなかったこともありますが、人口減少が主たる原因です。住民が減らない、あるいは増える町なら、大きな防潮堤を造っても問題にならなかったでしょう。町が縮小するのに、それを考慮に入れずに防潮堤を復旧したことが、このような結果を生んだのです。部分最適が全体最適にならなかった例です。
その点では、宮城県女川町は街並みを中心部に集め、公共施設なども人口減少に対応した町を作りました。
今後の災害復旧事業では、「町が縮小するときに、各種施設を元の大きさで復旧するのが良いか」が問われると思います。それは、防潮堤に限らず、道路、学校、農地などにも当てはまると思います。
追加で、次の問題も述べておきましょう。3万戸の公営住宅を造りました。20年後や30年後に、いくつかの町で空き家がたくさん発生する恐れがあります。入居者に高齢者が多いからです。次の人が入ってくれないと、空き家が増えます。これは、建設時からわかっていたことですが、対処案は難しいです。