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行政-官僚論

官僚の責任

日経新聞私の履歴書、今月は、行天豊雄さんです。19日は、大蔵省課長時代の経験を書いておられました。
「そこは、不思議の国だった・・・例えば、民営化前の国鉄。赤字の国鉄には金がない。誰が金を出すかで、主計局と理財局の押し付け合いになる。『税金でキチンと処理すべきだ』と理財局がいえば、主計局は『もう税金は使えない』。結局、理財局が財政投融資の資金を出す。主計局の方は、その利子を賄うことで、折り合いがつけられた。その結果、借金はどんどん膨らんでいった。公共事業の採算は全く考慮されることなく、本来金融業務でもあるはずの財政投融資にもリスクの観念がなかった。おかしいなと思いながら、流される日々だった」
官僚の後輩である私にも、重い言葉です。

公務員改革論議

1 数量の改革(人件費削減)
今、経済財政諮問会議で議論されているのが、この部分です。人件費削減は、人数と単価を引き下げることです。
(1)定員削減
この問題は、どこをどのように削減するかの問題です。実は先進各国を比較して、日本は、人口当たり最も少ない公務員数なのです。さらに削減するするなら、何を削減するか、どこを削減するかを議論しなければなりません。
①シーリング方式では無理
そこで、どのように削減するかの問題につながります。これまでは、定数査定は予算査定と同様、省庁ごとに一律シーリングをかけて、その中でメリハリをつけていました。しかしこれでは、業務が増えている分野もそうでない分野も同様に削減されるのです。メリハリと言っても限界があります。いえ、不要な分野を残すという「逆効果」もあります。よって、諮問会議で提起されているような、食糧管理や農業統計にまだたくさんの職員が張り付いています。削減すべき分野を決めて、集中的に削減する必要があります。
②政治が決めること
この分野を決めることは、現在の官僚制では無理なのです。地方団体や民間企業の方には理解できないでしょうが。国家公務員は内閣(政府)に雇われているのでなく、各省で雇用されています。そして、定数を管理している総務省行政管理局も、各省の一つなのです。「強権的に」削減はできず、各省と協議して決めるのです。総務部長や社長室が決めればすむ(もちろん社内での同意取り付けは必要ですが)のとは、違うのです。
そして、分野を決めると言うことは、事業を縮小することと同義語で、事業の縮小をまず決めなければなりません。これは予算と同様、政治が決めなければなりません。
③実行する際の仕掛け
また、大幅削減をするなら、配置転換や整理解雇なども必要になるでしょう(後述)。
(2)単価の引き下げ
これは、給与の引き下げです。スト権を与えない代わりに、人事院が給与制度を決め、水準は民間企業を基に決めています。現在進められているのが、地域別の差をより反映することです。また、大企業の給与を基準にするのでなく、もっと小さい企業も入れれば水準が下がるという説もあります。
2 仕組みの改革(効率や成果の改革)
人件費の問題より大きいのが、官僚制の問題です。これは量の問題でなく、成果の問題であり、それを生み出している仕組みの問題です。
(1)各省官僚制の弊害解消
官僚制の様々な機能不全の原因が各省官僚制にあると、私は主張しています。各省で採用され各省で再就職先を世話してもらう。これで官僚は、政府全体・日本全体の利益でなく、各省の利益を優先する、あるいは各省の利益に縛られるのです。内閣が改革を企画実行しようとしても、内閣官僚はおらず、各省から出向した官僚が足を引っ張ることになります。
私が主張している改革策は、0種官僚を作ることです。現在の官僚から100~300人くらいを、内閣に集め、人事を内閣で管理します。そして、彼らは各省には戻らせません。各省官僚でなく、内閣官僚・国家官僚です。「政治任命」とイメージされているグループです(人事院報告書15年度版の概念図では、フランス・ドイツに近いです)。民間からの採用もあるでしょう。
(2)天下りの弊害廃止
もう一つの大きな弊害は、早期退職・天下りです。キャリア官僚の平均退職年齢は、54歳くらいだそうです。60歳までとしても、6年間めんどうを見なければなりません。1種の採用数は、かつては1年に900人ほどだったそうです。研究職を除いて事務官と技官が600人、何人かはこのお世話にならないとして、1年度に500人を世話するとしましょう。すると、500人×6年分=3,000ポストが必要です。65歳まで再雇用すると、もっと多くなります。2種の人たちもとすると、さらに増えます。
実は大手企業も、早期退職のようです。その際は、子会社・取引先・融資先に送り込んでいます。大きな企業で60歳まで雇用している代表は、地方団体です。これを解消するには、退職年齢を引き上げるしかありません。具体的には、次のようにすればいいと思います。
公務員をいくつかの区分に分けて、処遇を変えます。
①0種:彼らは天下りなども含め、処遇はそれなりに優遇します。優秀な職員を確保するためです。それでも、人数が少ないですから、弊害はかなり減ります。彼らには、スト権は与えません。
残りの公務員は、60歳定年(あるいは年金開始年齢まで雇用)とします。そしてスト権の付与で、次の2グループに分けます。
②スト権を与えないグループ:刑務所の監視など「権力の行使」を行う職員(地方公務員だと警察、消防)。
③スト権を与えるグループ:その他の職員。この人たちは、処遇は民間と何も変わりません。ストをするのも良し、処遇は労使交渉で決めればいいでしょう。
「民間並みとする」というのは、そのほかの意味もあります。先に書いた「配置転換、整理解雇」をできるようにするためです。今でも法律上はできるのですが、配置転換(省を超えた配転、管理職以外の県を越えた異動)はほとんどなく、整理解雇はやっていないと思います。整理解雇は最後の手段としても、配置転換は避けて通れません。
公務員=特別な仕事=特権=労働基本権制約、という考えをやめるのです。公務員にはそういう部分もありますが、すべてがそうではありません。多くの人たちは、民間企業とさほど変わらない仕事をしています(公平・中立については、より厳しさを求められますが、仕事についてより高い責任を求められる職は民間にもいっぱいあります。原子力発電所の職員、電車の運転手、ガスの保安員など)。もう、「公務員=特権階級」という発想をやめましょう。
(3)一律昇進の廃止
もう一つ指摘されている問題が、一律昇進です。これは、職員の業績評価をしない、ボーナスも差がつかないことと、セットになっています。先に提案したように、多くの職員を60歳まで雇用すると、自動的に、一律昇進は維持できなくなります。評価もせざるを得なくなるでしょう。民間企業並みにすれば、解決できることです。
(4)人事担当機構の創設
これらの改革を実行し、さらに運営するために、人事担当機構を作る必要があります。今の公務員制度の問題点を生み出したのは、責任部局がないからです。これも、民間の方には理解できないでしょう。
まず、人事・給与制度は、雇用主である各大臣(各省)や首相に権限と責任がありません。独立機関である人事院にあります。その人事院は制度を作るだけで、運用はしていません。スト権を奪った代償として第3者機関を作ったのですが、「救済機関」をこえて企画立案機関になったのです。
その裏側として、内閣(政府)には、人事制度を企画する部局はありません。総務省に人事・恩給局はありますが、制度については人事院が勧告したものを法律にするのです。
そして、実際の人事運用は、各省の人事課(秘書課)が行っています。しかしそれは、採用と昇進です。駒を動かすだけでなのです。これは13省庁に分かれ、また事務職と技術職で別、1種と2種で別です。霞ヶ関に人事担当課長(実質)は数百人いると、私は推定しています。
さらに、公務員制度改革は、内閣官房に置かれた行革事務局が担当しています。しかしこれは、臨時的、各省寄せ集め部隊です。
このように分散していて、責任ある部署がないのです。また、地方分権改革や地方財政改革の議論を支えたような、学者や論文共有の場(政策共同体)がないのです。これが、改革が進まない、議論が発散する要因でしょう。雇用主において、そしてそれは各省別でなく、内閣全体の人事(制度の企画、運用)担当機構を作る必要があるのです。

政治任用

私のもう一つの関心は、日本の行政と官僚制の機能不全です。長く官僚制の行き詰まりが指摘され、公務員制度改革が主張されています。今年は公務員総人件費削減が課題になっています。しかし、この3つの議論がかみ合っていないことはすでに指摘しました(問題は数より仕組み)
①部門間の「配転」がない=問題は数の削減でなく、社会の変化に定数見直しが追いついていないこと。現在のような一律削減ではむり。
②官僚のアウトカムの問題=公務員制度改革も必要だが、問題は官僚制の仕組み。部分部分に特化し、全体像を作れない。
③改革の仕組みがないことです。
私も大学院で講義したり、雑誌で主張したりしているのですが、まだ議論をまとめる=本にするに至ってません(時間がなくて・・。言い訳です)。
人事院の年次報告書が2年続けて、先進国の政治任用職の調査をしています。15年度版はアメリカ・イギリス・フランス・ドイツを紹介し、16年度版では大学教授による論文を載せています。官僚制を機能させる=改革を支える事務方にするためには、「政治家」「政治任用職」「官僚」をどう役割分担させるかが論点の一つです。各国とも、歴史・議会と政府の関係・政治家の役割・民間人との交流といった政治社会背景が異なり、これだといった正解があるわけではありません。簡単には、15年度版の概念図を見てください。
「政治任用職」という言葉は、誤解を招きそうです。政治家が任命される場合、民間人などが任命される場合、官僚が任命される場合を含め議論すべきだからです。日本の課題は、政治家が閣内に入って改革を進めようとしても部下がいないこと、現在の官僚制がセクショナリズムと既得権益にしがみついていることですから、それに対応する仕組みを作るべきなのです。私は、フランス型かドイツ型が、これからの日本に参考になると思っています。(2005年9月19日)
31日の読売新聞「決戦05衆院選」は、「霞が関の官僚」をテーマに、宮脇淳さんと加藤秀樹さんのインタビューを載せていました。加藤さんの主張に次のようなくだりがあります。「日本の公務員はおしなべて優秀な人が多いが、専門家として通用する人材となると、国際的に見ても少ない。本当に経済分析や法律の専門家と言える人は官庁にどれほどいるだろうか」
青山彰久記者は「給与や定員の削減規模の数字を合わせるだけでは、省益が優先して様々な改革が進まない問題が解決するはずもない。・・・総人件費の削減という主張だけで有権者をはぐらかさず、『官僚とは何か』を問い、公務員制度改革の具体的な中身を論争する必要がある」と述べています。 (2005年8月31日)
5日の日経新聞は、「マニフェストを中心にした経済官僚100人アンケート」結果を載せていました。
詳しくは紙面を見ていただくとして、特徴的なのは、世代間で違いがあることです。まあ当然といえば当然ですが。霞ヶ関の人事慣行について、63%の人が見直し不可避と考えています。良いとは思わないがやむを得ないと考えているのが、30%です。また、省庁幹部の政治任用については、進めるべき21%、進めるべきでないが44%でした。
そうか、僕も「経済官僚」なのか。でも、質問項目が、やや雑じゃないですかね。図表が記事本文の記述と対照になっていないことも、読みにくいですよ、O記者。(9月5日)
7日の朝日新聞は1面で「9.11総選挙、争点を追う」で、内田晃記者が「霞が関改革、人数先行。分権の道、各党示さず」を書いていました。「(国家公務員の)純減目標は、公務員の定員を管理する総務省などが難色を示し、議論は先送りになった。・・『量』の改革は、言うほど簡単ではない。さらに『小さな政府』を目指すなら、国の権限をどう減らすかという『質』の改革が避けられない。その試金石となるのが、国から地方へ権限や財源を移す地方分権改革だ・・」。
この指摘の通りです。もはや、シーリング方式での国家公務員削減は無理があります。既存定数を所与として、各省ほぼ一律の削減をする、それを原資に必要なところを増やすといった方式は、現在のような転換期には不十分なのです。
公務員削減は、一律でなく内田記者の言う「質的改革」をしなければ、有意義な結果は出ないでしょう。その一つがもはや国の重点施策でなくなった公共事業の所管組織の削減、もう一つは地方分権による権限と補助金削減に伴う公務員削減、規制緩和による権限削減に伴う公務員削減です。もっとも、このような改革は、現在の日本の官僚制が実行する(官僚同士が協議して決める)ことは無理なのでしょう。政治主導が必要とされるのです。
もちろん、公務員改革には、このような人数の削減だけでなく、私が主張しているような「仕組みの改革」(国家官僚群創設)が必要です。(9月7日)

官僚と政治

21日の日本経済新聞が、「経済政策、政官に緊張関係。自民でも民主でも内閣主導一段と」を書いていました。
「両党とも『小さな政府』を掲げて官のリストラに取り組み、首相官邸を核にした内閣主導の経済政策運営を進めようとしているからだ。両党がマニフェストをまとめた際も、意識的に与野党と距離を置いたり、逆に根回しに走るなど官僚の対応も分かれた。霞ヶ関は、政治との新たな関係を模索している」
政治主導が進めば、当然、官僚と政治との関係も変わってきます。いえ、変わらなければなりません(拙著「新地方自治入門」p291~、一橋大学3)。

この国を変える

1 社会のソフトウエアを設計する
「三位一体改革」が、政府の大きな課題になっています。国庫補助負担金の削減、国から地方への税源移譲、地方交付税の見直し。この3つを同時に行うものです。しかし、その目的は国と地方との財源配分変更にとどまらず、中央集権を地方分権に変えることです。それは、この国のかたちを変えようとするものです。
その他にも、行政改革、公務員制度改革、電子政府やユビキタス社会の実現。総務省が取り組んでいる仕事は、「国家と行政の新たな制度設計」であり、「新しい社会のソフトウエア」の整備です。
2 日本の構造改革とは
明治以来、我が国は、欧米先進国に追いつくことを国家目標としてきました。その際、官僚の仕事は、先進諸国の制度を輸入し、全国に行き渡らせることでした。そして、日本社会と官僚は、それに成功しました。貧しい農業国は世界第2位の経済大国になり、公共サービスも世界一の水準を達成しました。
なのに、日本社会は幸せを感じるどころか、不安や不満が満ちています。それは逆説的ですが、国家目標を達成したからです。もはや国民は、経済成長だけでは幸せを感じません。官僚が主導する「お仕着せのサービス」では、満足を感じません。単一の国家目標はなくなりました。それに代わって、各人が自ら考え、それぞれ目標を選び、努力する。これが社会の満足になり、あり方になったのです。
社会あり方の変化に応じて、政治と行政も変わらなければなりません。その改革に遅れていることが、国民の不満を生んでいます。改革の理念は、社会の理念の変化と同様に、画一から多様へ、依存から自立へです。その具体化が、中央集権から地方分権へであり、官から民への改革です(詳しくは、拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」)。
3 遅れている官僚の意識の転換
豊かな社会の官僚には、貧しい時代の官僚とは違う仕事が求められています。これまでは、外国から先進的な制度を輸入し、拡張することでした。しかしそれを達成すると、官僚の仕事は、社会の新しい問題を発見し、解決策を創造することに変わりました。
その際には、過去の手法ではなく、新しい時代に見合った手法に変えなければなりません。法令による、地方団体や民間企業の統制。細部にわたる行政指導や国庫補助基準による介入。これらはまさに、中央集権と官僚主導の手法だったのです。地方団体や民間企業が自立を求めるとき、これらの手法は障害でしかありません。しかしながら、まだ多くの官僚は、時代遅れの手法にしがみついています。
4 2005年、総務省の仕事の意義
総務省の取り組んでいる仕事は、地方分権であり、行政手続きの透明化であり、行政の減量です。それは、官僚の仕事のやり方を変えること、霞が関を変えることです。それが、日本の政治を変え、社会のあり方を変えることになるのです。総務省が取り組んでいる改革は、日本社会のソフトウエアの書き換えなのです。
これまで成功した手法を変えること。ここに、私たちの難しさがあります。しかしそこには、明治維新以来1世紀ぶり、あるいは戦後改革以来半世紀ぶりという、「新たな社会の制度設計」に取り組んでいる喜びがあります。