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行政-官僚論

予言、批判、結果

13日の日経新聞連載「YEN漂流」「それでも為替は動く」から。
・・1971年7月。当時42歳だった東京大学教授小宮隆太郎は仲間の経済学者35人とともに、1ドル=360円で固定していた円相場を小刻みに切り上げる為替政策の抜本改革の提言をまとめた。
この提言は、政府・経済界から大きな批判を浴びる。大蔵省は「基礎的不均衡はなく、調整の必要はない」とする反論を発表・・その1か月後、米政府は金・ドルの交換の停止を発表、これを機に固定相場制度は崩れ、日本は「海図なき公開」に放り出される。
85年7月。東海銀行調査部長だった水谷研治は、行内で「要注意人物」に指定された。「1ドル=150年の世界」。当時の円相場は250円前後。水谷は調査リポートで、経済実態と乖離した相場に疑問を投げかけた。これに、主要取引先のトヨタ自動車が猛抗議した。頭取から呼び出された水谷は、「君は本当にこの相場が実現すると思っているのかね」と詰問された。その2か月後、プラザ合意で日米欧当局はドル高是正を打ち出し、円高・ドル安が急激に進行する。
小宮と水谷、いずれの予言も、すぐに現実になったり、現実がさらに先に行くのだが、最初は激しい批判にさらされる・・
時代が変わるときには、大胆な予測が実現します。私は、その予測を批判した人の責任が気になります。「思いもつかなかった」などという、反省の弁がでるのでしょうか。上に立つもの、自戒しなければなりません。

官僚制、無責任の体系

大連載「行政構造改革」で、官僚の欠点を考えています。思い出して、丸山真男先生の「軍国支配者の精神形態」(1949年、『増補版 現代政治の思想と行動』1964年、未来社所収)を、引っ張り出しました。
それは、官僚制の無責任です。丸山先生は、東京裁判(極東軍事裁判)で被告人(太平洋戦争の指導者)の発言を分析し、首相や大臣など戦争指導者の指導力と責任意識の欠如について、「無責任の体系」と名付けました。
それは、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」によって、成り立っています。前者は、「既に始まってしまったことだから仕方ない」といって、既成事実に流されることです。これは、方向転換できない官僚制の欠点と、同じと言っていいでしょう。
後者は、「法規上の権限はありません」「法規上困難でした」といって、専門官僚に逃げ込むことです。官僚制あるいは官僚的行動が無責任に陥った、最大の実例です。
そこではまた、国策の最高方針を決定する御前会議や最高戦争指導会議などの、討議の空虚さも指摘されています。そこでの討議内容は、あらかじめ部下である軍人官僚によって、用意されているのです。
もっとも、この事例は官僚制の欠点ではなく、政治家と軍人が官僚的に行動したものです。

日本衰退の犯人

日経新聞経済教室は、3日から「08ニッポン再設計」を始めています。4日は、堺屋太一さんの「満足向上へうち弁慶排せ」でした。
・・そんな中で改革が進まないのが日本だ。官僚主導の規格化と計画化で発展した日本は、かつて「最も成功した社会主義国」と揶揄されたが、このままでは「もっとも後に滅ぶ社会主義国」になりかねない。
今世紀に入ってからの日本の相対的衰退は著しい。その原因の第一は、官僚倫理の退廃だろう。・・07年には官僚の失敗が噴出した。こららに共通しているのは、「省益あって国益なし」といわれる官僚機構の仲間共同体化、罰則反省なしの無責任体制、国民の手間と不便を何とも思わない効率思想の欠如、そして幹部官僚の政治家回遊癖だ。
日本の官僚制度は、規格大量生産の近代社会を創るためには有効に働いた。しかし、知価創造が必要な知価社会では機能しない・・

官僚制問題の責任者

今日は、佐々木毅先生「守屋問題と政官関係」、『公研』2007年12月号から。
守屋問題は・・改めて、官僚制に対する監督責任の問題を、浮き彫りにした・・この責任問題は、政と官との接点に関わる極めて重大な論点を含んでいる。私のもっとも理解できない点は、あれだけ官に対する批判を口にする政に、官に対する監督責任を自ら引き受ける覚悟がほとんど見られないという点である。政権党であれば、政策をコントロールすることは勿論のこと、それを効果的に実現するためにマシーン(官僚制)の整備に配慮することは当然のはずである・・現状は、官が自己統治をしているというべき状態にある・・
私は大連載「行政構造改革」(第2章四)で、官僚機構の管理と評価は政治の責任であることを主張しています。もちろん、現在指摘されている官僚問題は、官僚自身に責任があるのですが、民主制において行政を監督する責任と権限は政治にあります。この部分は、2008年2月号に載る予定です。

キャリア官僚の責任

16日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅教授の「閉塞状態から脱出するには」でした。そのうち、官僚制に関わる部分を一部抜粋します。詳しくは原文をお読みください。
・・今年は・・政治の話題に事欠くことはなかった。しかし、外見上の派手な動きにもかかわらず、総じて気が滅入るような雰囲気が社会全体を覆っている。その原因の一つは、相次ぐ「行政の失敗」である・・
行政の感度の鈍化は、行政不況のような由々しい事態を招いている。労働市場において、公務員という職種が「負け組」になっているという指摘はいわれて久しい。これでは、劣化は進むばかりである。放っておいて、事態が改善する見込みはない。このままでは、公務員集団は社会の中で異物化しかねない。
かくして公務員制度の改革は「やるかやらないか」という選択の問題でなく、「いつやるか」という選択の問題になった。生かしうる人材を生かすためにも、それは欠かせない。当然のことながら、「政権は握っていたい、しかし使用者責任は御免だ」という話はもう終わりにしなければならない。政権に使用者責任がないといった話を、もはや誰も信じていないのである・・