3月末。官庁では、人事評価の季節です。半年に一度、各人が目標を立て、申告する。半年後に、それを自己評価するとともに、上司が達成度を評価します。
私は、評価という行為とともに、部下と上司が、目標や何が欠けているか何を期待しているかを共有する、良い機会だと考えています。「2011年9月26日の記事」をお読みください。
私の経験でも、案外、意思疎通できないことがあり、驚きます。「言わなくてもわかるはずだ」とか、「ふだんからコミュニケーションをしているから、私は大丈夫。一緒に飲みにいっているし」は、通じませんよ。
優秀な部下と上司の場合は、問題ありません。部下が「私の上司は指示があいまいで、良くわからない」というような場合。上司が部下に対して「彼は期待通りの仕事をしてくれない」といった場合に、この「目標設定」「事後評価」そしてそのための「面談」が有用です。
期待する水準に達していない部下を導くこと。これが重要です。ボーナスに差を付けることだけが、主要な目的ではありません。
さらにその上の上司になると、もう一つの効用が付け加わります。例えば、課員AさんとBさんの評価を、課長Cさんがします。それを局長Dが見ているとします。C課長はA課員とB課員を評価しているのですが、その評価ぶりをD局長に評価されています。
D局長から見ると「C課長は、Aさんをこのように高く評価し、Bさんを低く評価している。Bさんの方が良く仕事ができるのに、相性が合わないのか、見る目がないのかなあ。一度探ってみる必要があるなあ」と。
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行政-官僚論
民主主義の機能不全・日本の場合
日経新聞・経済教室は2月22日から「民主主義の機能不全」を連載していました。24日の、スティーヴン・ヴォーゲル教授の主張から。
・・日本の場合、筆者はさらに2つの処方箋を提案したい。両者は相矛盾するようにみえるかもしれないが、うまくいけば並行的に機能するはずだ。それは官僚の権威の回復と政党間競争の促進である。
日本の経済政策が90年代以降に一貫性を欠き効果を失った原因を問われたら、筆者は政党再編など政治の変動よりもむしろ、官僚の自信と正統性が失われたことを挙げたい。戦後期の巧みな経済政策を立案し実行してきたのは、結局のところ政治家ではなく官僚だった。かつての日本の官僚は公僕として強い職業倫理を持ち、短期的な政治の圧力からもある程度遮断されていた・・
その一方で日本は、政策論議に関しては、政党間の真剣な競争から得るものが大きいと考えられる・・
詳しくは、原文をお読みください。
私は、日本の官僚機構は、かつては効率的であったが、成熟国家においては、従来のままでは機能不全に陥り、変化しなければならないと考えています。よって、教授の説に全面的に賛成はしませんが、政治家と官僚がそれぞれ役割を果たすべきであるという点は、賛成です。もっとも、こう言ってしまえば、平板ですね。
政府に入った研究者からの苦言
1月28日の読売新聞「編集委員が迫る」は、知野恵子編集委員の「中村祐輔東大教授、医療推進室長辞任の理由」でした。2011年1月に内閣官房・医療イノベーション推進室長に就任した中村教授が、1年で辞任したことについてのインタビューです。
教授は日本の医療産業について、危機的状況だと指摘しておられます。
・・まず、新役作りが遅れている。例えば、ガン細胞だけを攻撃する「分子標的治療薬」という抗ガン剤がある。これまで世界で20種類以上開発されたが、日本製のものは一つもない。医薬品の輸入も急拡大しており、2011年度は1兆3600億円の赤字になった。日本の貿易赤字の半分以上に相当する。心臓ペースメーカーなどの治療用医療機器も外国製品ばかりだ。
大学などの研究水準は世界的に見ても高い。しかし、その成果を実用に結びつけ、産業として開花させる国家戦略がない。背景には、省庁間の縦割りがある・・
改革できなかったことについては。
・・未来につながる医療復興案を提案した・・しかし、霞ヶ関の役所からは無視された。
役所は全て根回しで動かしていく。落としどころを考えながら話し、少しずつ積み上げていく。私にとって最も不得手なことだ。それに霞ヶ関の発想は、予算の枠に縛られている。将来を見すえて、必要なものに優先度をつけることもしない。
・・官僚は視野が狭く、来年の予算を確保することしか考えない。10年後、20年後を見すえて政策を練るような人はまずいない。政治家も、政局が不安定な中、誰も責任を持って意思決定をしない。研究者も論文を書くことが目標で、時間と手間がかかる薬作りに本気で取り組もうとしない・・
研究者に政府に入ってもらうことについて、知野編集委員は、次のように述べています。
・・今回の原因を分析し、教訓を引き出さないと、同じことを繰り返す懸念がある・・
記事のごく一部だけを引用紹介したので、詳しくは原文をお読みください。
ブレア首相の指摘する現代の官僚機構の欠点
イギリスのブレア元首相が、日経新聞に「私の履歴書」を連載しておられます。ブレア元首相の回想録は、英語版が出た時にすぐに買い求め、先月に邦訳が出たのでこれも買ったのですが、未だ読めず。なにせ分厚いので、布団の中で読めないのです(反省)。
1月12日の文章から。
・・国家を能率的に機能させる能力は、20世紀半ばに必要とされたものとは違う。それは実行とプロジェクト管理を扱う民間部門のものに似ている。近代政治のペースは速く、メディアも徹底追求するので、政策の意思決定、戦略の策定は圧倒的な早さで進めなければならない。
官僚が作った政策文書を、首相が議長を務める閣議で討議し決めるという従来の方法では、急速に変化する政治環境に対応できない。
官僚制度の問題は、物事を妨害することではなく、惰性で続けることだ。官僚は既得権に屈服し、現状維持か、物事管理するのに一番安全な方法に逃げ込む傾向があった。
官僚組織は、うまく指揮すれば強力な機構になる。官僚たちは知的で勤勉で公共への奉仕に献身している。ただ、大きな課題に対し小さな思考しかできず、組織が跳躍を求められるときに、少しずつしか動かなかった・・
日本の官僚機構の問題点を、大学で講義し、連載したことがあります。そこで採り上げた課題の多くが、イギリスと共通していることに、改めて驚きました。我が意を得たりです。もっとも、それを解決していないという問題と、共通課題の上に日本独自の課題があることを、反省しなければなりません。
その後、総理官邸などで、さらに行政機構と官僚制の問題点を考えました。いずれ、中断した連載に、片を付けなければなりませんね(決意表明)。
試行錯誤、改革の試みと復古と
10月1日の朝日新聞に、次のような記事が載っていました。
・・官房長官、官僚に苦言
「メモ出しなど、大臣のサポートがうまくいっていなかった場面が時々あったので、改善してほしい」藤村修官房長官は30日、各省の事務次官を集めた会議で、臨時国会の委員会審議をめぐる官僚の対応に苦言を呈した。初の委員会審議で新任閣僚の不慣れな答弁が目立ったが、大臣席の後ろに控える官僚のメモを手渡すなどの対応が不十分だった、との指摘だ。
菅直人前首相は「脱官僚」を強く意識していたのに対し、野田佳彦首相は「官僚を活用しつつ、政治主導を堅持する」と強調する。実際には「官僚頼み」がじわじわと進みつつあるようだ・・
また、次のようなお知らせが、載っていました。
・・朝日新聞社は、10月1日から、東京本社と大阪本社の編集部門の一部の呼称を変更し、エディターと一部のセンター長は「部長」、出稿グループ一部のセンターは「部」に、それぞれ改めます。
編集部門の組織は2006年、柔軟で機動的な紙面づくりをすすめるために、それまで編集局内の各部に所属させていた記者を全員、当時の編集局所属とするフラット化を実施し、これに伴い、部をグループとセンター、部長をエディターとセンター長としました。5年を経てフラット化の目的を達成したため、呼称については呼び慣れた名前に変更します・・
後段の「呼び慣れた名前に変更します」は、「やはり以前の方がわかりやすいので、呼び慣れた名前に戻します」と書いた方が、実態を表していると思いますがね。
私は保守主義者なので、改革は大好きです。守るべき本筋=引き継ぐべき良いところを守るために、どんどん改革は試みるべきです。そして、変えた方が良ければそれを続ける、ダメだったら元に戻す。そうしないと発展はなく、また生き残ることはできません。
もちろん、従来のものを何でも否定したり、十分な検討をせずに改革したり、やってみておかしいのに続けるような「改革論者」は、私は嫌いです。