門松秀樹著『明治維新と幕臣―ノンキャリアの底力』(2014年、中公新書)が勉強になりました。「薩長土肥の雄藩が幕府を倒し、明治政府は藩閥が牛耳った」というのが私たちが学んだ歴史です。しかし、新政府の幹部を藩閥が抑えたとしても、日々の行政は実務能力のある「官僚」が行わなければなりません。幕府を倒しても、新政権には手足はいませんでした。幕府の官僚をそのまま使い、そして仕組みとともに改革していったのです。この本は、その官僚たちを「ノンキャリア」として、彼らの意義を高く評価しています。いわれてみれば、なるほどと思う事実が、いろいろと書かれています。
明治維新に限らず、戦後改革、さらには政権交代時に、どこまで行政機構と官僚を引き継ぐか。大きな課題になります。外国でも、革命が起こった場合、外国軍が占領した場合も、前政権の公務員をどこまで使うかは、悩ましい課題です。「敵」あるいは「敵に仕えた者」として追放すべきですが、さりとて彼らを全て追放しては、行政が滞ります。
他方で、前政権に仕えた公務員は、新政権に奉公すべきか。「二君にまみえず」といった格好いいセリフもありますが、公務員にも養わなければならない家族もいます。また、その能力を新政権が買ってくれる場合もあります。維新に際して、在野を貫いた福沢諭吉が、勝海舟と榎本武揚に対して「痩我慢の説」を突きつけたことは有名です。
この本には、そのほか遡って、江戸幕府の官僚機構がどのようにして整備されたかや、旗本御家人の公務員生活も解説されています。歴史好きの方、行政や官僚に関心のある方にお薦めです。
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行政-官僚論
公務員も安心しておられない、2
昨日の「公務員も安心しておられない」を読んだ方(複数)からの反応。
「ここには、40歳代が対象と書いてあります。私は50歳代ですが、もう遅いのでしょうか」
「公務員は職務専念義務があるので、現役の間は再就職先を探してはいけない、と聞いたことがあります。また、副業も禁止されています。第2の人生を、いつ設計したら良いのでしょうか」
公務員も安心しておられない
国家公務員も、かつてのような「保障された人生」では、なくなりました。それは、大企業でも同じです。総務省人事恩給局が、40代の職員を対象に、自分の人生設計を考える研修をしています。その趣意書を、一部紹介します。
・・公的年金の支給開始年齢の引き上げによる再任用の義務化等に伴い、職業生活期間の長期化が想定される一方、能力・実績重視の強化、再就職あっせんの禁止等により従来と同様のキャリアパスを見通すことは困難となっている。
また、内外の社会経済情勢の変化、継続的な行政改革などの中で、中高年職員は長期にわたりモチベーションを維持しつつ、環境変化や役割変化に対応することが求められており、そのための能力開発等に自ら努めていくことが重要となっている。
更に、複線型の人事管理、早期退職募集制度等、自らのキャリア選択を前提とした制度の導入がなされていること、民間企業においても40 歳代以降の職員を対象とした自律的なキャリア・デザイン支援の取組を導入する例が増加していることを踏まえると、定年直前ではなく、早期の段階から職員が自らのライフプランについて考えることが必要となっている・・
官僚の板挟み、法律と信条が相反したら
読売新聞連載「時代の証言者」は、2月15日から、高木勇樹・元農林水産次官の「日本の農政」が始まりました。初回の見出しは、「農業の守り方、間違った」です。
食糧増産のために、秋田県八郎潟を干拓し、大潟村がつくられました。広い水田を求めて、1967年以降全国から589人が入植しました。しかし、この時期から米は余りはじめ、1971年、本格的な減反政策が始まります。
減反政策に従わず、作付けしてできた米は、ヤミ米と呼ばれました。当時の食糧管理法は、政府が買い取る政府米と、そうでない自主流通米とを認めていましたが、減反に従わないヤミ米の販売は違法とされていました。大潟村では農家が、減反順守派とヤミ米派に2分され、ヤミ米派3人が、国によって食管法違反で起訴されました。
・・でも、食管法が守られなくて困るのは役所だけ。売るために必死につくったヤミ米は政府米よりおいしく、消費者はそれを知っていました。食糧難の時代はとっくに終わっていたのです。
3年後、3人は不起訴になります。当時、食糧庁の企画課長だった私は、テレビ局にヤミ米派との対談を頼まれましたが、断りました。嘘をつくのが怖かったのです。官僚の私は口が裂けても「法が悪い」とは言えませんが、心の中には米政策に対する疑問が芽生えていました。それはその後も膨らむ一方だったのです・・
国際課税の基準を作る。浅川君の活躍
毎日新聞1月29日オピニオン欄に、浅川雅嗣・OECD租税委員会議長が出ていました。「多国籍企業の租税回避」。
浅川氏は、財務省の総括審議官で、OECD租税委員会議長を兼ねています。OECD租税委員会は、国際課税の基準を作る会議です。彼は、初めての日本人議長です。年に何回かパリで会合を開き、英語で取り仕切っているとのことです。麻生総理に一緒に仕えた、秘書官仲間です。別の秘書官仲間から、「格好良い写真と一緒に出ているよ」と教えてもらいました。
・・OECDが 1961年に発足した当時、企業の所得に対し本国(居住地国)と進出先の国(源泉地国)の二つの政府が課税する二重課税が大きな問題となっていました。OECDはこれまで二重課税の防止を主な目的に掲げ、源泉地国での課税を抑制するルール作りを進めてきました。
しかし、グローバル化の進展により国際課税ルールと企業の経済活動との間でミスマッチが生じています。いずれの国でも課税されずタックスヘイブン(租税回避地)で所得を留保する二重非課税のケースや、税金を支払ってはいても、必ずしも経済活動が行われている国に適正な額を納めていないなどのケースが増えてきたのです・・
・・国際課税ルールは欧米主導で始まり、議長はずっと欧米人でした。今やグローバルな視点が不可欠になっています。例えば、中国やインドというアジアの新興国を排除してOECDだけで議論を進めても物事が進まないので、日本に橋渡しをしてほしいという期待が寄せられていることもあると思います。逆に、新興国にとっても、居住地国か源泉地国かに関わらず、経済活動が行われている国での適切な課税を追求するBEPSの取り組みは、関心が高いのです。
本来課税権は国家主権の基本の一つです。他方で個人・法人の経済活動は国家主権を意識せずボーダーレスな広がりを見せています。この二つのギャップをいかに埋めるか。OECDの本プロジェクトは、グローバルな課税権の調整という大きな課題に向けた、始まりの一歩になるかもしれません・・