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行政-官僚論

北村亘先生「文部科学省幹部職員の理念と政策活動」

季刊『行政管理研究』2017年12月号に、北村亘・大阪大学教授の「文部科学省幹部職員の理念と政策活動~2016年サーヴェイ調査における4つの官僚イメージ~」が載りました。興味深い調査結果が出ています。

これまでの官僚制の研究では、官僚を次の3つの型に分けて考えていました。
「古典的官僚または国士型」=政治の上に立とうとする態度の官僚
「政治的官僚または調整型」=政治の中で任務を遂行する態度の官僚
「合理的官僚または吏員型」=政治家によって定められた政策を合理的に実施する官僚。
そして、支配的な型は、国士型から調整型へ、さらに吏員型へ変化すると想定しています。

ところが、今回の調査結果では、国士型官僚像が、さらに2分できるのです。彼らは、政治的合理性を重視しません。その中で、行政的合理性を重視する官僚を「古典型」とすると、行政的合理性も重視しない官僚「超然型」とも呼ぶべき官僚が多くいるのです。
ちなみに、政治的合理性を重視する官僚のうち、行政的合理性を重視しないのが「調整型」、行政的合理性を重視するのが「吏員型」です。
この分析では、文科省本省幹部(課長以上、114人中回答は75人)のうち、調整型が19人、吏員型が15人、超然型が20人、古典型が21人です。

質問票と回答を、これらの型に分類する際の分け方が正しいのか、その点は疑問が残ります。また、他省庁との比較をしないと、一概に評価はできません。が、この結果を見ると、いまだに古典型や超然型が多いことは驚きです。文部行政の理念をどう考えるかとも関係するのでしょう。現在の文部行政の目標は何かです。

このような調査は、有意義ですね。内閣人事局と人事院は、公務員 の人事制度と勤務実態を所管していても、官僚の理念と実態は所管の外のようです。このような学者の分析、マスコミの評価によるのでしょうか。かつては、先輩官僚による指導と薫陶がありました。官僚の役割の転換期(と私は考えています)に、このような議論は必要です。
ところで、国家行政や官僚を対象とした研究誌がないのです。地方行政などはいくつかあるのに。『季刊行政研究』は、貴重な雑誌です。

ここでは、論文の一部しか紹介していません。関心ある方は、原文をお読みください。また、予算の関係で、文科省だけの調査になっています。ぜひ、他省庁を含めた調査、そして継続的な調査をお願いします。

官僚の信頼を低下させたもの

朝日新聞連載「平成経済 グローバル化と危機」、12月3日は「大蔵接待「料亭は飽きた」」でした。
内容は、原文を読んでいただくとして。1990年代に、官僚への信頼が急速に低下しました。
その要因の一つは機能であり、もう一つは清潔さでしょう。
機能については、明治以来、先進国の先端行政を輸入し、効率的に日本に広めることに、官僚機構は良く役割を果たしました。
しかし、先進国に追いついたことで、この手法は終わりました。官僚主導、行政指導、護送船団行政は、時代遅れになったときに、批判されるものとして使われた言葉です。
新しい国家目標、新しい手法を提示できなかったのです。変わらなければならないときに、変えることができなかったのです。
清潔さについては、かつては「官僚は安い給料で夜遅くまで、国家のために働く」という評価を受けていました。その信頼が、記事にあるような一部の官僚の非常識な行動で、崩れてしまったのです。

新しい時代での役割を考え、国民の信頼を取り戻すこと。これが、官僚に期待されています。

法律を作るか解釈で切り抜けるか

先日、霞が関で、現役の後輩と出会いました。「今、何しているの?」と聞くと、「○○の件で、法律を作ろうとしているんです」とのこと。内容は、私も関与したことがあるものです。既に実施されているのですが、今後に備えて、法律で枠組みをきちんとしておこうとのことです。
「良い話じゃない。ぜひやってよ。誰も反対しないから、難しくないだろう」と励ますと、「いえいえ、関係省で反対するところがあるんです。『運用でできているんだから、法律を作らなくても良いだろう』と言うんです」。????

「官僚とは、できないという理屈を考える優秀な人間である」という批判があります。その手で言うと、「官僚とは、しなくてもよいという理屈を考える優秀な人間である」と言いたいですね。一部ですが、このような官僚がいることは、困ったものです。
国民のために政策を作る。それが、官僚の任務のはずです。仕事に取り組む職員と、逃げる職員。きちんと職員の評価をしなければなりません。売り上げという評価基準がないので、事務の職場は、それが難しいのですが。

週刊誌『アエラ』インタビュー

6月19日発売の、朝日新聞の週刊誌『アエラ』(6月26日号)に、私の発言が少しだけ載りました。特集「自由民主党の研究」の中の、「立ち枯れてゆく霞が関」です。
この記事の一つの主題は、「官邸主導で官僚のモチベーションが下がっている」とのことのようです。私は、それに対し「官邸主導はあるべき姿」と異論を言っています。
もう一つの主題は、「内閣人事局ができて、官僚が萎縮している」とのことのようです。これに対しても、「昔から幹部人事は内閣承認だったので、人事局ができたからといって変わっていない」(運用の仕方である)と申し上げました。
そして、政策を提言し、実行するのが官僚であると、説明しました。

日本の公務員の質は

4月8日の日経新聞読書欄に、真渕勝・立命館大学教授(京都大学名誉教授)が「日本の官僚、公務員の質は。行政サービスは効率的か」を書いておられます。
・・・キャリア官僚は近年、何かにつけて批判の的になっている。
筆者が大学生であった40年ほど前、キャリア官僚がやり玉にあげられることはまずなかった。多くが東京大学を優秀な成績で卒業していることを知ってか、国民は畏怖の目で見ていた。この傾向は「官尊民卑」という「前近代性」の現れとして指弾されたこともある。官僚バッシングが「国民情緒」に指示される現在、悪しき伝統は完全に打破されたかに見える。
それにしても評価の振れ幅が大きい。もっと距離をとって眺めることはできないものか・・・

・・・日本の公務員は数が多く、能率が悪いと指摘されることがある。まず、前段は「都市伝説」である・・・政府が毎年度発表する「公務員の数と種類」における公務員数は約338万人(2016年度)、人口千人あたり36.2人である。この数字には、独立行政法人や特殊法人の職員、国立大学法人の教職員も含まれている。他の先進国の人口千人あたりの公務員数はフランス89.1人、英国69.3人、米国64.1人、ドイツ60.4人であるから、日本は5か国のなかで、最も「小さな政府」に当たる・・・

(反対の主張を紹介した後で)・・・ここでの論点は、公務員数が相対的に少ないとしても、それはただちに行政の効率性の高さを意味するわけではないという厄介な現実があることである・・・
ごく一部を紹介したので、原文をお読みください。

先生がご指摘の通り、高い評価から批判の的へと、日本の官僚は尊敬を失いました。それだけの理由はあります。求められている機能を果たしているか、日本社会の問題を適確に解決しているかという機能論とともに、官官接待や権限を利用した天下りという倫理面からの問題によってです。
としても、官僚も公務員もなくすことができない職業です。では、どのように改革したら、国民の期待に応えることができるか。私の職業生活と研究テーマは、これを追求してきました。かつて連載していた「行政構造改革ー日本の行政と官僚の未来ー」もこれを考えていたのですが、総理秘書官になって中断しました。慶應大学での講義では、このテーマに再度取り組みます。