カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

日本の公務員の質は

4月8日の日経新聞読書欄に、真渕勝・立命館大学教授(京都大学名誉教授)が「日本の官僚、公務員の質は。行政サービスは効率的か」を書いておられます。
・・・キャリア官僚は近年、何かにつけて批判の的になっている。
筆者が大学生であった40年ほど前、キャリア官僚がやり玉にあげられることはまずなかった。多くが東京大学を優秀な成績で卒業していることを知ってか、国民は畏怖の目で見ていた。この傾向は「官尊民卑」という「前近代性」の現れとして指弾されたこともある。官僚バッシングが「国民情緒」に指示される現在、悪しき伝統は完全に打破されたかに見える。
それにしても評価の振れ幅が大きい。もっと距離をとって眺めることはできないものか・・・

・・・日本の公務員は数が多く、能率が悪いと指摘されることがある。まず、前段は「都市伝説」である・・・政府が毎年度発表する「公務員の数と種類」における公務員数は約338万人(2016年度)、人口千人あたり36.2人である。この数字には、独立行政法人や特殊法人の職員、国立大学法人の教職員も含まれている。他の先進国の人口千人あたりの公務員数はフランス89.1人、英国69.3人、米国64.1人、ドイツ60.4人であるから、日本は5か国のなかで、最も「小さな政府」に当たる・・・

(反対の主張を紹介した後で)・・・ここでの論点は、公務員数が相対的に少ないとしても、それはただちに行政の効率性の高さを意味するわけではないという厄介な現実があることである・・・
ごく一部を紹介したので、原文をお読みください。

先生がご指摘の通り、高い評価から批判の的へと、日本の官僚は尊敬を失いました。それだけの理由はあります。求められている機能を果たしているか、日本社会の問題を適確に解決しているかという機能論とともに、官官接待や権限を利用した天下りという倫理面からの問題によってです。
としても、官僚も公務員もなくすことができない職業です。では、どのように改革したら、国民の期待に応えることができるか。私の職業生活と研究テーマは、これを追求してきました。かつて連載していた「行政構造改革ー日本の行政と官僚の未来ー」もこれを考えていたのですが、総理秘書官になって中断しました。慶應大学での講義では、このテーマに再度取り組みます。

担当者の異動と行政の継続性

3月20日の読売新聞文化欄、藤村龍至・東京芸術大学准教授の「考景・幕張ベイタウン」から。
千葉市の幕張ベイタウンは、高さを5階程度に低く抑えた集合住宅が並び、それに包まれるように街路や中庭を配置し、洗練された外部空間を作っています。
・・・バルセロナやパリ、ベルリンなどに見られる良質な住宅街のようだ。このような街がなぜ日本で実現できたのだろう。
いくつかの理由があるようだ。ひとつの要因は、沼田武知事時代の1980年代後半に、都市デザインの専門家組織が継続的に関わる仕組みが作られたことだ・・・行政組織は通常、特定の人に権限が集中しないように人事を流動化させる。幕張でも行政及び企業の担当者は、長い事業期間のあいだに次々と入れ替わり、変わらなかったのは部外の専門家組織だけだった。簑原さん(都市プランナー)を含む彼らが開発事業者の意向をくみつつ、全体方針に基づいて絶えず調整を継続したから行政担当者や開発担当者が次々と交代しても、当初の方針を守ることができたのだ・・・

指摘されているように、行政の担当者は、2年や3年で異動していきます。これは、職員を活性化するためにも必要なことなのですが、過去のことが忘れ去られることや、政策の継続が途切れたり、実績の検証がおろそかになるという欠点があります。
これを防ぐ方法に、大きな政策や方針は、法律や条令で規定しておくこと、要綱などを定めておくこと、住民と協約を結んでおくことが考えられます。また、役所内部では、引き継ぎ書が重要です。

官僚の責任

3月10日の日経新聞特集は「緩む財政 元大蔵幹部の悔恨録」でした。
・・・赤字国債の大量発行が当たり前になってしまった日本の財政。敗戦直後のハイパーインフレの記憶は高度経済成長にかき消され、借金を膨らます失敗の歴史を繰り返してしまった。当時の大蔵省(現・財務省)幹部は何を考え、どう対応しようとしたのか。取材班は退官後に現役当時を振り返る内部資料「口述筆記」を情報公開請求で得た。大蔵幹部の「悔恨録」は未来への警句でもある・・・

詳しくは原文をお読みいただくとして。私は、「官僚の責任」を考え続けています。不祥事もありますが、政策の失敗です。政策の失敗は、国民に与える影響が大きいのです。もちろん、大きな政策の失敗は、大臣や内閣の責任です。しかし、それを支えた官僚の責任はどうなのか。また、責任の取り方はどうするべきかです。
振り返ると、水俣病などの公害を防げなかったことや被害拡大を止めることができなかったこと。近年では、血液製剤事件で厚生省薬務局が廃止になりました。BSE牛処理・牛肉偽装事件に関して、農水省畜産局が廃止されました。原発事故を防げなかったことで、経産省原子力安全・保安院が廃止されました。
責任の取り方は別としても、政策の失敗は検証するべき課題です。何をもって「失敗」とみるかも含めてです。

中国、官僚の不作為

2月15日の朝日新聞「核心の中国」は、「反腐敗に軟らかな抵抗、違反扱い警戒「何もしない」江蘇省泰州の官僚」でした。
工場の建物が完成したのに、周囲の道路が手つかずだった。市の幹部が、仕事を進めなかったとのこと。
・・・こうした「不作為」が、静かに広がっている。
かつては企業を誘致さえできれば、手段はなんでもありだった。だが、今は違う。2015年5月、共産党機関紙・人民日報は地方官僚たちの本音をこう伝えた。
「(習近平指導部の)反腐敗が厳しく、無理をすれば規則違反に問われる。何もしなければ、違反に問われることはない」
習国家主席も、手を焼いている。「不作為の問題を重視し、解決しなければならない」。昨年1月に地方の幹部を集めた党の会議でも、強調してみせた。だが、自らが旗を振る反腐敗が国中に行き渡るにつれて、皮肉にも手足が動かなくなり始めているのだ。
昨夏、一つの言葉が中国のネット上で瞬く間に広がった。「軟らかな抵抗」。中国人民大学の金燦栄教授が広東省広州での講演で語った言葉だ。金教授の専門は国際関係だが、国内政治の現状をこう論じた。
「15年ごろから、習主席は全国で軟らかな抵抗に遭っている」。地方のエリートや政府幹部の不作為は普遍的な現象だという。「彼らは守れと言われた規定は非常にまじめに守る。上に反対はしない。だが、誰も仕事をしないから、あらゆる政策は無意味になる」・・・

自動車行政の課題、藤井自動車局長

藤井直樹・国土交通省自動車局長が、季刊『運輸政策研究』2016年10月号に「自動車を巡る課題―コンプライアンスと技術革新」を寄稿しています。
読んでもらうとわかりますが、成熟期に入っていると思われる自動車行政が、いくつもの新しい課題に直面しています。多くの乗客が亡くなった軽井沢スキーバス事故、三菱自動車工業とスズキの燃費不正事案、タクシーの呼び寄せアプリやライドシェア。これらを、コンプライアンスと技術革新という観点から整理してあります。そして、現在の課題を取り上げ、その社会的、構造的問題に切り込む。さらに、将来を見通す。
「それは、運転手が悪いのです」とか「会社の問題です」と、個別事象として片付けることも可能です。しかし、それを社会的問題として考えるのです。なかなかの論文です。ぜひ、原文をお読みください。
近年は、官僚が自説を述べない、論文を書かないような気がします。でも、所管行政の現状と課題を整理し、これからの取り組むべき方向を内外に示す。それが、局長や課長に期待されている役割なのですよね。そして、評論家にならず、その課題を解決することに取り組む。これが、官僚の役割です。
藤井局長に続く官僚を期待します。(2016年11月10日)