「官僚論」カテゴリーアーカイブ

行政-官僚論

官僚機構改善論3―人事政策が必要

官僚機構改善論2―バックオフィスの管理の続きです。
さらに話を広げれば、これからの国家公務員をどのように育成するか、「人事政策」を明らかにする必要があると思います。

これまでは、各省単位で国家公務員を管理していました。その中で、上級職・中級職・初級職の区別、事務職・各種の技術職の区別で、管理していました。ところが、そこに「明示的な」人事方針はないようです。公表されていて、公務員たちが知っておくような文書・指針は、寡聞にして知りません。評価や面談については、この10年ほどの間に、整えられました。
人事課の仕事には、人事異動のほか、定数管理、採用、評価、給与、福利厚生、組合対応などがあります。そして、それらを統合して、どのような公務員を育てるか、目標と方法が必要です。ここでいう人事政策は、これを指しています。
制度に対する運用、さらには運用の方針と言ってもよいでしょう。国家公務員法があっても、それは制度であって、実際の運用と運用の方針は明示されていないのです。

これまでは、あまり問題にならなかったのです。国家のために働く、それが官僚の目標であり、生きがいでした。給与といった見返り以上に、このやりがい(と出世)が官僚たちに、私生活を犠牲にした働きに駆り立てたのです。
その際の目標と手法が、明白でした。欧米に学ぶという、わかりやすい目標と手法がありました。しかし、もうこれは終わりました。また右肩上がりの時代は、予算や人員を増やすことが善でした。これも、終わりました。新しい法律や制度も、増やせば良いという時代ではありません。すると、公務員特に官僚たち(幹部公務員)に、何を目標とさせるのかが、問われます。
他方で、国家のためなら滅私奉公、無限定な残業をする時代も、終わりました。部下に、ワークライフバランスを勧めなければなりません。また、かつてに比べ、心の病を発病する職員が増えています。
これらにどのように対応するかを、公務員全体に示し、さらに人事課長たちにも教えなければなりません。「官僚機構改善論4」へ。

官僚機構改善論2―バックオフィスの管理

官僚機構改善論1―バックオフィスの重要性の続きです。

これまでは、バックオフィス=事務・組織管理部門は、前線を支える後方部隊と考えられ、日が当たりませんでした。また、誰でもやれる、難しくない仕事と思われていました。
ところが、技術の進歩と社会の変化で、従来通りでは対応しきれなくなりました。

平成になってからでも、次のようなことが大きな課題になりました。
情報公開、個人情報保護、公文書管理、IT技術の発達とパソコンの配備、情報管理、サイバー攻撃対応、カウンターインテリジェンス、セクハラやパワハラ対応、倫理法、コンプライアンス、リスク管理、災害対応・・・。
私が公務員になった頃は、そんなに問題にならなかったことです。その後、これらの課題が次々に出て、また事件や事故が起きて、その都度個別に対応しました。研修なども増えました。

これらの問題を大きく2つに分けると、「情報の取り扱いの問題」と「職員管理の問題」です。

このうち、「情報の取り扱いの問題」は、IT技術の発達への対応と、情報の管理が重要になりました。パソコンやコンピュータが導入され、職員は試行錯誤しながら使っています。
まず、組織から見て、コンピュータ化は効率的に行われているか。どうもそうでないようです。旅費や給与計算、電子決済、電子申請など、必ずしも効率になっていないようです。
他方で、職員については、これらの「職員として知っておく常識」は、系統だった教育は行われているか。職員が読んでおくべき教科書は、ないようです。
これは、新規採用職員だけでなく、管理職も中堅職員も必要なのです。なぜなら、次々と新しい課題と仕組みが導入されて、年配者もその都度教えてもらって身につけています。若い人の方が詳しいことも多いのです。

もう一つは、「職員管理の問題」です。ここで言う職員管理とは、部下の教育と管理、心の病の職員への対応、セクハラやパワハラ対応、ワークライフバランス、コンプライアンスなどです。これらも、組織的・系統立てた教育は十分ではないと思います。
昔は、そんなに気にすることはなかったのですが。
これらについても、系統だった研修と、教科書が必要です。「官僚機構改善論3」へ。

官僚機構改善論1―バックオフィスの重要性

先日、日経新聞夕刊コラムに「内閣官僚」を書きました。また、5月23日の毎日新聞にインタビュー「現場の声 政策に生かせ」が載りました。そのほか、官僚の問題について、いくつかの取材も受けました。
そこで考えたことを整理して、簡単に書いておきます。私の基本的考え方は、官僚の劣化と言われる事象の背景にあるもの、構造的な問題です。
端的に言えば、社会が変わったのに、官僚と官僚機構が変革に遅れているということです。「バックオフィスの管理」「人事政策」「官僚のあり方論」に分けて書きます。

まず、バックオフィスの管理についてです。
組織を管理する際に、2つの部分に分けて考えます。
会社では、営業系と総務系があります。前者は、製品やサービスを作り、売ることを任務とする人たちです。後者は、その人たちを支える、会計、人事、庶務の人たちです。フロントと、バックオフィスです。
役所も同じです。政策を考え、実行する原局と、人事や予算で支える官房です。
後者は、「事務・組織管理部門」といったら良いでしょうか。
霞が関の各省あるいは全府省を通して、おろそかになっていることがあります。この事務・組織管理部門=バックオフィスの管理です。
会社にしろ役所にしろ、製品を売ったり、政策を考える部局が「花形」で、バックオフィスはそれを支える「縁の下の力持ち」です。しかし、営業系が活躍するためには、縁の下系がしっかりと支えなければなりません。

これまでは、後者については、系統だった職員育成や組織運営を考えることは少なかったようです。前例に従って処理する。新しい機械がでたらそれを取り込む、新しい課題が出たらその都度対処する。職員も、先輩たちのやり方を見て学ぶ。という「古典的な職場作法」でやってきました。「官僚機構改善論2」へ。

御厨先生、公文書を残さない官僚の出発点

5月27日の読売新聞1面コラム「地球を読む」は、御厨貴先生の「公文書文化の大革命期に」でした。
先生が研究を始められた時、明治や大正期の公文書を元に進められました。資料として残っていたのです。しかし、その後は、公文書がきちんと残らなかったのです。

・・・それは、敗戦と占領に由来する。1945年8月の敗戦は公文書にも未曾有の混乱をもたらした。「国家の崩壊」に至るプロセスを明らかにするために必要不可欠な公文書の多くが持ち出され葬り去られた。大蔵省や陸軍省、内務省などの有力官庁は、まさに鬼の来ぬ間に、すなわちまもなく到来する占領軍に押収される事態をなによりも恐れ、阻止せねばと考えた。従って、日本の戦争責任に関連すると覚しき公文書類を、すべて焼却に努めたのである・・・
・・・自らやってきたことをうやむやにし、公文書を軽視する姿勢はここに発した。そればかりか、連合国総司令部(GHQ)支配の下で官僚たちは、証拠を隠滅するくらいならいっそとばかりに、明治以来の公文書作成の伝統に逆らい、なるたけ証拠文献を残さず、あれこれ書かぬ習慣にしてしまった・・・

・・・とまれ現代史を追究する研究者にとって、官庁文書は無い無い尽くしだった。80年代末から私が官僚OBへの「オーラル・ヒストリー」を準備し始めたのも、文書なき世界を彼らの証言で少しでも明らかにするためであった・・・
・・・かくて平成の30年間は、官僚制の緩慢なる弱体化の進行と見合っていた。90年代のバブル経済と相次ぐ官僚制のスキャンダルめいたいくつかの事件が、それを象徴している・・・
・・・されば、ポスト平成期こそ、公文書文化にとって大革命の時代の到来でなくてはなるまい・・・

鋭い、そして厳しい指摘です。
官僚たちに、自らやっている仕事に自信があるなら、記録をきちんと残すはずです。それが成功した場合も、失敗に終わった場合も。政策案を提示し、それを実行する、そして成果について評価を待つ。それが官僚のあるべき姿でしょう。
ぜひ、全文をお読みください。

霞が関の働き方改革

5月25日の日経新聞夕刊「政界Zoom」は、「霞が関も働き方改革」でした。しばらく前に、記者さんと雑談していた際に、「日本の3大ブラック職場は、過労死が出た電通のほか、霞が関、新聞記者だ」という、笑えない冗談が出ました。それほど、霞が関と記者の長時間労働、夜間労働は有名です。記事は、最近の変化について書いています。お読みください。

私も、近年の変化を感じています。
私の駆け出しの頃は、時期によっては職場に泊まり込むことも仕方ない(当然だ)という意識の職員もいました。はい、私もそうでした(参照、日経新聞夕刊コラム3月1日「仕事人間の反省」)。自分の経験に懲りて、課長になってからは、極力職員早く帰宅させるように心がけましたが。時期によっては、そうもいきませんでした。
また、かつては年休を取ることは、後ろめたかったですが。今は産休・育休を含めて、休みを取ることを、上司が推奨しています。職員の意識も、職場の慣行も、大きく変わってきました。普通の職場になりつつある、ということです。
上司の考え方、仕事の仕方(指示の出し方)によって、まだまだ残業は減らせると思います。拙著『明るい公務員講座 仕事の達人編』を参考にしてください。もっとも、国会待機などは、職場での工夫には限界がありますが。

ところで、記事にも書かれていますが、国家公務員には労働基準法が適用されず、今回の働き方改革法案からも除外されているようです。かつては、国家公務員は民間労働者とは違う「身分」という意識があったのでしょう。今やそれは、過去のものとなりつつあります。
機能ごとに、民間労働者と違う規制をすべきかどうか。それを見直して、法令による規制を行うべきでしょう。政治的行為の禁止、倫理法は公務員だけに適用されても、労働時間を民間労働者と別扱いする理由はないと思います。