カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

官僚論、田中教授「能力で選抜を」

8月7日の日経新聞経済教室は、田中秀明・明治大学教授の「官僚制の劣化を考える(中) 能力で選ぶ原則徹底せよ」でした。主要先進国の区分(開放型か閉鎖型か、政治任用か資格任用か)がわかりやすいです。

・・・ただし、これは安倍政権で新たに生じた問題ではない。政策過程で政治家や業界との利害調整を担ってきたのが官僚だからである。国家公務員法は、一般公務員の政治的中立性や能力・業績に基づく任命を規定するが、実態は原則から乖離している。例えば、同法は採用時のみならず昇進においても競争試験を原則としていたが、ほとんど行われていない・・・

・・・それではどうすればよいか。公務員制度は、公務員に何をさせるかという哲学に基づいている。2つの方法があり、能力で選ぶ資格任用か、政治家が選ぶ政治任用かである。前者では専門性に基づく分析や検討が重視され、英国が代表例である。後者では政治的な調整が重視され、米国が代表例である(図参照)。ただし、英国でも政治任用の首相や大臣の特別顧問がいるし、米国でも部課長までは資格任用が原則である。
日本の問題は、一般公務員は資格任用が建前なのに、現実には政治任用しうることである。また、外部からの登用も限定されてきた(閉鎖型)。英国では首相・大臣に公務員の直接的な人事権はない。政治家を忖度しないようにするためだ。他方、資格任用を貫くため、幹部は特に公募が重視されている(開放型)。
政治主導のために政治家が公務員人事を行うべきだとしばしば言われるが、米国のように大統領が好き嫌いで行う人事でよいのか。幹部公務員となるためには、特定の政治家との関係が重要になる独仏のような政治任用もあるが、政権交代で失職する幹部のため、天下りや手厚い年金が必要となる・・・

・・・見直しの第一は、幹部公務員の選抜方法である。現在は、約600人の幹部候補者名簿から選ぶ仕組みとなっているが、これでは恣意的な人事になりかねない。局長などポストごとに能力・業績を満たした3人程度の名簿の中から首相らが選抜するようにすべきである・・・

官僚論、松井教授「政治から解放を」

8月6日の日経新聞経済教室は、松井孝治 慶応義塾大学教授の「官僚制の劣化を考える(上) 若手官僚、政治から解放を」でした。

・・・課題は、政治主導の担い手が結局官僚以外に見当たらないことにある。多様な関係者の利害調整を行い、納得を得る着地点を探るには高度な政策知識が不可欠で、政治家がその任にあらざれば、空隙を埋めるのは官邸官僚など幹部官僚しかいない。
官僚の「政治化」、すなわち与党への応答性の高まりは、野党議員の「政治的官僚」への敵愾心をあおり、官僚総体への追及が激化する。結果、中堅若手に被害が及び、霞が関の政策調査・企画資源は着実に蝕まれている。昭和以降、永田町の政治的調整の黒子役を担ってきた官僚たちは、今や政治調整にからめとられ、政治に取り殺されようとしている。
その意味で政治主導の担い手の充実が急務だ。08年制定の公務員制度改革基本法に立ち返り、内閣のもと、若手与党議員が大臣らの指示により政治的連絡調整を行う日本版の議会担当秘書官(歳費以外は無報酬)や非議員の政治任用特別職を増員し、政治任用職と次官・局長ら幹部職以外の政官接触は原則禁止するなどの措置を検討してはどうか・・・

・・・専門性向上の観点からは、民間人材の積極的登用も重要だ。金融、情報通信、知的財産、技術開発など行政の専門化、グローバル化の進展は目覚ましく、霞が関の「内製」のみでは後れを取る。広報、法令順守などの職種は、職責からして外部人材の視点が不可欠だ。政策の競争力を高め、社会的信頼を向上させるべく、職種別、省庁別に中長期的な民間専門人材登用の目標を定め、外部任用を促進する必要がある。
公務員倫理法・倫理規定の精神を尊重しつつも、官僚が霞が関に閉じ籠もらず、現場と交流しやすい環境を作るべく、同規定の弾力化も検討課題だ。国家公務員試験も、より積極的に人材を発掘登用できる抜本的見直しの時期ではないか・・・

・・・明治以来、所管領域ごとに森羅万象を調整する「司祭としての霞が関」は、実質的に立法や司法領域に越境し、憲法に照らし過大な業務を抱え込んだ結果、機能不全を生じつつあるのではないか。与党事前審査の場を事実上設営するのも各府省だし、国会の名において行われるべき野党中心の行政監視機能の受け皿も官僚が担っている。
内閣法制局は実質的違憲立法審査機能を担い、国会が行うべき法案審査は、法制局と各省が政治の意思を踏まえ肩代わりしている。連日連夜、行政に調査を求め、結果が出ればお手盛りと糾弾するのみの国会を改革し、独立して行政監視や独自調査を行う人員体制を国会に整えるべきである。
政党の調査機能の充実も急務である・・・

質問主意書

質問主意書」って、ご存じですか。国会議員の他は、霞が関の官僚しか知らないのではないでしょうか。NHKウエッブニュースが、取り上げていました。「霞が関の嫌われ者 “質問主意書”って何?

簡単に言うと、国会議員が、国会での質疑と同じことを、文書で行うことです。国会法に決められた、重要な仕組みです。しかし、ニュースで取り上げられることも少なく、政治学の本にも出てきません。ちなみに、「趣意書」でなく、「主意書」です。

その重要性を理解しつつ、多くの官僚にとっては、この記事が伝えているように、負担に感じることもあります。もちろん、仕事が増えることもあるのですが、時間の制約が大きいのです。
特定議員から大量の質問主意書が出され、「これ本当に、議員がすべて目を通しているのかな」と思うこともありました。

局長が政策を語る

農林水産省の枝元真徹・生産局長が出ている、政策紹介ビデオを教えてもらいました。
日本の農業をもっと強く
農水省では、政策説明は、説明会だけではなかなか農業者に届かないので、大きな政策はビデオで流すことをやっているとのことです。良いことですよね。ビデオで見るには、ちょっと難しいかな。

官僚は政策で勝負すべきだと、私は主張しています。例えば、2018年5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」。このホームページでも、藤井直樹・国土交通省自動車局長(当時)の論文を紹介したことがあります。
世の中の課題を把握し、対策を考え、世の中に問う。そして、国民に説明する。それが、局長の務めでしょう。
もちろん、大臣が先頭に立つべきですが、政策の大小によって、また説明の濃淡によって、局長ももっと前に出るべきです。

公務員の定年、恩給。欧米比較

5月10日の日経新聞夕刊「公務員定年、欧米は撤廃・延長」から。

・・・欧米の国家公務員制度をみると、日本以上に定年を延長したり、定年そのものを撤廃したりする例が目立つ。ドイツとフランスはそもそも日本より高い65歳定年だった。公的年金の支給開始年齢の引き上げにあわせ、両国とも定年をさらに延長する予定だ。ドイツは12年から段階的に上げ始め、31年に67歳にする。フランスも16年から上げ始め、22年に67歳にする。
英語圏の国家公務員では定年そのものの廃止も多い。米国は1967年に成立した年齢差別禁止法で、雇用の場での年齢による差別を禁じた。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでも定年は廃止済みだ。英国は年金の支給開始年齢を2046年までにいまの65歳から68歳に引き上げる予定でそれにあわせて定年制を10年に廃止した・・

・・・定年がない国でも公務員の多くは日本の定年年齢の60歳前後で引退するという。年金や恩給の給付水準が高いためだ。稲継裕昭早大教授に聞くと「年金水準が高い米国などでは日本のように働かなくても生活に困らないため自発的に引退する職員が多い」と話す。
「公務員人事改革」(村松岐夫京都大名誉教授編著、学陽書房)によると、退職直前の最終所得と比べた年金・恩給支給額は局長級の場合、米英は日本の2倍以上だ。日本では年金支給額は最終所得の30%(年529万円)だが、米国は71.5%(同1209万円)で英国は62.1%(同1142万円)に上る。
定年制があるドイツでも恩給額は67.5%(同1150万円)。フランスは金額は日本と同程度の年528万円だが、最終所得比は59.1%と日本の倍近い・・・

わかりやすい表もついています。
へえ、こんなにも違ったのですね。もちろん、他国との比較だけでなく、国内の民間との比較も必要です。

「給料は安くても、官僚は国家のために働くのだ」という矜持と、「社会からも一定の尊敬を受けている」という意識が、これまでの官僚を支えてきました。
他方で、公務員への批判は、昔からありました。そして、20世紀の終わりから公務員バッシングも激しくなり、社会からの評価も低下しました。
大学の同級生たちが、民間企業で活躍し、はるかに高額の給料をもらっているのを見ると、転職しようという気持ちも出るでしょう。また、大学生たちも、公務員より企業を選ぶこともあるでしょう。

公務員バッシングのみならず「××バッシング」は、ポピュリズムの一つでしょう。
他者をうらやむこと、足を引っ張ることは、古今東西どこにもでもあります。しかし、時代と国によって、その広がりが違います。バブル崩壊後の日本において、その傾向が強まったのでしょう。
しかし、バッシングだけでは問題は解決せず、社会の機能は低下すると思います。