カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

公務員の定年、恩給。欧米比較

5月10日の日経新聞夕刊「公務員定年、欧米は撤廃・延長」から。

・・・欧米の国家公務員制度をみると、日本以上に定年を延長したり、定年そのものを撤廃したりする例が目立つ。ドイツとフランスはそもそも日本より高い65歳定年だった。公的年金の支給開始年齢の引き上げにあわせ、両国とも定年をさらに延長する予定だ。ドイツは12年から段階的に上げ始め、31年に67歳にする。フランスも16年から上げ始め、22年に67歳にする。
英語圏の国家公務員では定年そのものの廃止も多い。米国は1967年に成立した年齢差別禁止法で、雇用の場での年齢による差別を禁じた。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでも定年は廃止済みだ。英国は年金の支給開始年齢を2046年までにいまの65歳から68歳に引き上げる予定でそれにあわせて定年制を10年に廃止した・・

・・・定年がない国でも公務員の多くは日本の定年年齢の60歳前後で引退するという。年金や恩給の給付水準が高いためだ。稲継裕昭早大教授に聞くと「年金水準が高い米国などでは日本のように働かなくても生活に困らないため自発的に引退する職員が多い」と話す。
「公務員人事改革」(村松岐夫京都大名誉教授編著、学陽書房)によると、退職直前の最終所得と比べた年金・恩給支給額は局長級の場合、米英は日本の2倍以上だ。日本では年金支給額は最終所得の30%(年529万円)だが、米国は71.5%(同1209万円)で英国は62.1%(同1142万円)に上る。
定年制があるドイツでも恩給額は67.5%(同1150万円)。フランスは金額は日本と同程度の年528万円だが、最終所得比は59.1%と日本の倍近い・・・

わかりやすい表もついています。
へえ、こんなにも違ったのですね。もちろん、他国との比較だけでなく、国内の民間との比較も必要です。

「給料は安くても、官僚は国家のために働くのだ」という矜持と、「社会からも一定の尊敬を受けている」という意識が、これまでの官僚を支えてきました。
他方で、公務員への批判は、昔からありました。そして、20世紀の終わりから公務員バッシングも激しくなり、社会からの評価も低下しました。
大学の同級生たちが、民間企業で活躍し、はるかに高額の給料をもらっているのを見ると、転職しようという気持ちも出るでしょう。また、大学生たちも、公務員より企業を選ぶこともあるでしょう。

公務員バッシングのみならず「××バッシング」は、ポピュリズムの一つでしょう。
他者をうらやむこと、足を引っ張ることは、古今東西どこにもでもあります。しかし、時代と国によって、その広がりが違います。バブル崩壊後の日本において、その傾向が強まったのでしょう。
しかし、バッシングだけでは問題は解決せず、社会の機能は低下すると思います。

「やりました」の勘違い

通達行政の限界と副作用」の続きにもなります。通達を出すだけでなく、成果を検証することの重要性です。
最近も、このような場面に出くわしたので、苦言を呈します。ある分野について、この1年間にやったことを取りまとめた資料です。その中に、予算を確保したこと、関係者を集めて会議を開いたことなどが、並んでいるページがありました。

確かに、担当職員にとっては、それらは「やったこと」でしょう。予算要求とそれを認めてもらう作業は、重労働です。会議を開くことも、会場を設営し、配付資料を準備してと、これまた重労働です。通達を出すことも、同様です。
しかし、その政策の成果としてみた場合に、対象となる地域や国民にどのような成果が出たかが、「やったこと」です。
彼にとっての労働時間と予算要求と予算の執行は、彼にとっての業績かもしれませんが、組織にとっての業績ではありません。その政策の責任者(組織の責任者)が、きちんと「業績」を示さなければなりません。

これは、その担当職員に責任があるのではなく、指導しなかった上司が悪いのです。
ひょっとして、期首の目標自己申告や期末の業績評価の際に、「予算要求と予算執行」「説明会の会議の回数」を、指標に取っているのではないでしょうね。
参考「制度をつくった場合の成果、「やりました」は成果ではない

通達行政の限界と副作用

5月5日の朝日新聞1面は「繰り返される学校の事故」でした。この指摘は重要で、本文を読んでいただくとして。ここでは、少し違った視点で取り上げます。記事の中に、次のような記述があります。
・・・特徴的なのは、対策後も情報が十分に共有されず、似た事故が繰り返されていることだ。東京都杉並区の小学校で起きた08年の転落事故などを受け、文部科学省は立て続けに防止策を通知した。だが16年度までの3年間に計198件起き、死亡事故も毎年あった。小中学校の授業でのプールの飛び込み事故も、学習指導要領で禁じられた後なのに3年間で計42件あった・・・

文科省が防止策を通知することは、悪いことではありません。しかし、それでは問題は解決しないのです。
どのような内容を教育するか、どのような授業時間割にするか、生徒何人に先生を1人配置するか。そのようなことは、通知して従ってもらえれば、政府の意向は実現します。
1 他方で、現場での課題は、政府からの通達だけでは解決しないことも多いのです。
2 通達で現場を変えようとするなら、数か月後に、どのように変わったかを検証する必要があります。
3 文科省、教育現場、さらにはマスコミまでもが、「通達行政」という思考の型にとらわれているようでは、困ります。
4 それは、市町村長にも当てはまります。小中学校の責任者は、文科省でなく、市町村です。市町村長が、どれだけ自分の仕事と考えているかです。通達行政に慣れ、現場が文科省の方を伺う風習が強いと、責任の所在が不明になります。

昨年問題になった重いランドセルについて、この点を指摘したことがあります。「日本の教育改革、教育行政の改革」「苅谷剛彦先生「演繹型の政策思考」」

若手官僚の早期退職、3

若手官僚の早期退職」の続きです。
笹川陽平・日本財団会長のブログに、次のような話が載っています。

・・・戦後70数年経ち、その間につくられた社会システムが、時間と共に十分に機能せず様々な社会課題が惹起してきており、大きく申せば、これらを解決していくことが私たちに与えられた使命であろうと考えています。
これらの社会課題は、今や国や行政だけでは解決できません。また市民社会、NPOやNGOが加わっても十分でない中で、日本財団は、国や行政、そしてNPOとの間に立った問題解決へのプラットフォームを担おうと、今日まで来たわけです。既に政府や地方自治体からも、様々な社会課題を解決するために、日本財団の知見と経験を活用させてほしいという要望が多く出てきていますし、NPOや市民社会からの日本財団に対する期待も深まっています。

私は、日本財団は世界でも大変ユニークな組織であると思っております。まず第一番目には、これだけ若い人たちが活躍をしているノンプロフィットの組織というのは世界中にありません。ましてや、我々がやっている仕事の内容は、ハンセン病の制圧や海洋の地球的問題など、国内外の多種多様な問題です。通常そのような公益活動をする組織というのは、キャリアを積んだ中年以上の人たちが集まり、分野についても、医学、公衆衛生、あるいは貧困対策など、限られた領域の中で仕事をしているところが多いのですが、日本財団は、たったこれだけの人数であらゆる問題にチャレンジしていることも、世界的に見て珍しいことではないかと思っています・・・

・・・今や、政府も、外務省や厚生労働省、環境省、その他諸々の省庁が、日本財団の活動に注目し、そして協力の要請をしてくるようになってきました。そのような中、私は「日本財団という方法」を皆さん方に提示しております。

若い人の中には専門的な研究者になりたいという方もいらっしゃいます。日本財団を辞めて研究者や大学教授になられた方も数多くいます。それは大いに結構です。しかし、日本財団での仕事は幅広い分野の専門家のネットワークを持ち、問題について議論し、ある一定の方向性が出たら、即、日本財団がそれを実施することです。そして小さな成功例をつくり、それを社会に普遍的な方法として広げるやり方を私は「日本財団という方法」という言葉で表現しています。いわば、皆様方はコーディネーターとしての専門家。そのためにはより広く、多くの人と出会っていただきたいのです。

そして、何よりも私たちは現場主義です。冷暖房の効いた東京の一等地のオフィスの中で仕事が完結すると思ったら大変な間違いです。勿論、バックオフィスをやるディフェンスの皆様方はここで仕事をしていただきますが、オフェンスをやる皆様はできるだけ現場に行って、現場の人の話を聞いていただきたい。人を見抜く、この人ならできるという目の力を養うのも大切なことです。皆さん方には「現場には問題点と解答がある」ということをよく理解をしていただきたいのです・・・

社会の問題を解決するのは、行政(公務員)だけではありません。NPOも、「強力なライバル」になっています。専門家が、現場を知り、迅速に取り組む点において、公務員は負ける恐れがあります。

若手官僚の早期退職、2

若手官僚の早期退職」の続きです。「この春、霞が関やめました」に、次のような話が載っています。
・・・一方、大久保さんとは違う理由で辞めた人もいました。
教育関係のベンチャー企業に勤めている谷詩織さん(仮名・38)。2年前まで総務省の官僚でした。辞めた理由を聞くと、谷さんは「外の方が社会貢献できると思ったから!」と明るく即答しました。
情報分野で社会に貢献したいと思っていたという谷さん。ところが、担当する部署は一貫性なく関係ないところばかり。文書審査の担当になった時は、省内のあらゆる文書を、細かいルールに基づき審査する日々で、どうしてもやりがいを見いだせませんでした。
しかも、毎年のように担当が変わり、専門性を高めることも難しかったといいます。
「人材育成を人事は考えてくれていると思っていたけど、そうでもなかった。人手不足の部署や、年次的にどのポストが妥当かを当てはめているように感じた。自分のキャリアアップが見通せなくて」
関心があった情報系の部署に異動できたのは10年近くたってから。そこで、勉強に励み、新たに資格もとるなど刺激的な日々を送るようになると、次の異動でせっかく蓄えた知識が生かせなくなるのが惜しくなったといいます。
「だったら霞が関にこだわらなくても…」・・・

ここに、霞ヶ関の大きな問題が見えています。若手職員にとって(長時間労働をしているのに)、
・やりがいのある仕事をさせてもらっていない、
・専門技能が身につかない
と感じることです。
ここでは、専門技能が身につかないことを取り上げましょう。
多くの役所で、上級職職員は1~2年で異動します。これでは、特定分野の専門知識は身につかないでしょう。
「総合職」「幹部候補生」として、さまざまな仕事を経験させるというのが、これまでの「方針」でした。しかし、官僚には、その分野での専門知識が求められます。「すべての分野がわかる」は不可能であり、それは専門分野を持っていないということです。
もちろん、狭い専門分野に閉じこもらず、広い視野から考える能力は必要です。
かつては、社会のためでなく、自らの組織の利益を優先することから「局あって省なし」「課あって、局なし」と批判されたこともあります。しかし、専門知識があることと、視野が狭いこととは別のことです。

国家公務員にも、人事評価において「期首の目標申告」「期末の達成度評価」が義務づけられています。政策立案と執行において、1年や2年でこの評価は無理でしょう。
私は最低でも2年、できれば3年、そのポストにとどまるべきだと考えています。そして、さまざまな分野を経験するとしても、特定分野のプロとして育てるべきであり、本人もそれを目指すべきです。
そうでないと、対象分野の企業人、研究者、従事者と、対等の議論ができません。その前に、専門性を高めている国会議員に太刀打ちできません。議員の勉強会や国会審議で、「3年前の同じようなあの件で・・・」と指摘されたときに、答えられないようでは困るのです。
企業にしろ研究所にしろ、職員や幹部が1~2年で異動を繰り返す組織は、珍しいでしょう。それでは、成果が出ませんよね。
「省の中の移動だから、専門性がある」と主張する人もいるでしょうが、一つの省の中でも、かなり専門性の違う分野が同居しているのです。

最近、官僚が政策を論じないことを指摘したことがあります。局長や課長が、自らの所管行政について政策を論じること、それを世間に問うことが少ないのです。これは短期間で異動することと、専門性が薄くなっていることの表れでもあると、私は考えています。「毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」2
この項続く