ブログ「自治体のツボ」を紹介します。筆者や趣旨が書かれていないようなので、詳しくはわかないのですが。
初回「消えた地方分権」などを読むと、地方自治の現状を憂いている方のようです。
地方行政や現場のニュースなども、丁寧に追いかけておられます。かなりの頻度で更新されています。ご関心ある方は、ご覧ください。
記事についている写真は、地方自治に関係ないように思えますが。趣味なのでしょうね。
地方行財政-地方行政
今日は、持田信樹・東大経済学部教授の最終講義に、行ってきました。
先生には、地方財政を通じて、教えを頂きました。地方消費税の生みの親でもあります。名著『地方財政論』は、授業でも使わせてもらっています。「地方財政学会」「持田ゼミ」
今日の最終講義は、最初、この道に進んだことの振り返りで、ユーモアを交えての話でしたが、後半は先生の性格通りに、折り目正しい講義でした。
地方財政研究については、この時代に地方財政が、分権に絡んで「表通りの日の当たる学問」になったことを挙げられました。日本地方財政学会が設立されたのが、1992年です。新聞紙上に現れた「地方分権」の見出しの件数が1990年以降急増したこと(そして2011年以降急減したこと)を、表で表されました。
最後は、財政学者として、中福祉・低負担と借金依存財政への警鐘で終えられました。『日本の財政と社会保障: 給付と負担の将来ビジョン』(2019年、東洋経済新報社)
私自身は、財政学と地方財政論は、貝塚啓明先生と林健久先生に学びました。学生時代、本を読んでも理解できなかった財政学、マクロ経済学が、貝塚先生に講義に出ると、すっと理解できました。「日本経済学会」「戦後の区切り方」
黒田武一郎著『地方交付税を考える』の続きです。
「おわりに」に、私の名前も出て来ます。
以前から、「局長たるもの、所管行政について、将来像を書いて示すべきだ」と、そそのかしていたのです。
特に地方財政制度、交付税制度、地方自治体の財政運営については、近年はまとまった著作がありませんでした。小西砂千夫先生を代表とする、研究者の著作はあるのですが。黒田君が、それに答えてくれました。
また、制度の解説だけでなく、その問題点を書くには、担当者としては勇気が要ります。
拙著『地方交付税 仕組みと機能』を出版したのが、1995年でした。それまでにない詳しさで制度の解説をし、さらにその果たした機能の評価を書きました。当時は、交付税課の課長補佐で、おそるおそる書きました。先輩に「こんなこと書いても良いですか?」と相談したら、「自己責任で書け」と助言くださいました。
私も、拙著を改定するつもりでいたのですが。交付税課長の時に『地方財政改革論議』『新地方自治入門』を書いたあと、地方財政を離れ「内閣官僚」になって、書けなくなりました。
続く後輩が出てきてくれたことは、うれしいです。他の局長たちも、書いてくれることを期待しています。
現役諸君が日常業務に忙しいことは、同情できるのですが。かつての先輩たちも、それほど暇ではなかったのですよ。
黒田武一郎・前総務省自治財政局長(現・消防庁長官)が、『地方交付税を考える』(2018年、ぎょうせい)を出版されました。
表題は、地方交付税を考えるとなっていますが、地方交付税を中心に地方財政制度の解説と、財政運営の視点という、2つの内容からなっています。
制度解説はすべてを詳しく書くのではなく、論点を絞って解説してあります。なお、初心者向けには、第3章で初歩的な解説もされています。
財政運営の視点は10項目を挙げ、実務者にとってわかりやすく役に立つ内容です。
なかなか意欲的な内容です。
全体像を書こうとすると、それなりの経験と考察が必要です。専門性と広い視野が必要なのです。
また、運営の視点は、制度に通暁しているだけでは、書くことはできません。自治体財政の現場を知らなければならないのです。これは、経験とふだんからの勉強が必要です。
本書の内容の2点とも、官僚でなければ書けないことです。
読みやすく、わかりやすいです。全国の自治体関係者、研究者を始め関心のある方には、役に立つ内容です。お勧めします。
この項続く。
7月28日の朝日新聞オピニオン欄、ニューヨークタイムス、デイビッド・ブルックスさんの「地域主義の復活 人間味のある緩やかな革命 」から。
・・・私たちはこれまで自由主義や保守主義を試みてきた。最近はポピュリズム(大衆迎合主義)を試している。次の時代を方向づけるのは、ローカリズム(地域主義)の復活だろう。
ローカリズムとは、権力は、地域社会や市、州レベルで行使されるべきだという考え方である。ローカリズムが、物事の進め方や哲学としても盛んになっているのは、国の中央政府が機能不全に陥っている一方で、多くの市町が活力を取り戻しているからだ。ワシントンの政治家が互いに抽象的なイデオロギーを浴びせ合うのは惨めなものだが、市長や知事たちは具体的な成果を次々と生み出していて充足している。
ローカリズムが最近盛んなのは、多くの都市が国よりも明快なアイデンティティーを持っているからでもある。私たちが社会に対する信頼度が低い時代に生きていることも、広がりを増す理由の一つだ。人々が信頼するのは、身近にいる地に足のついた変革のリーダーたちだけなのだ。
次の時代にくるのは、おそらくこのローカリズムの波だろう。そう仮定し、いくつか指摘しておくことは有用だろう・・・
・・・ローカリズムは真の革命である
ローカリズムの文字通りの意味は権力構造をひっくり返すことだ。これまで数十年の間、金、人材、権力は国家権力の中心に向かって流れていた。キャリアを積んだ政治家たちは中央政治への進出を目指し、優秀な若者は国立大学を経てニューヨークやワシントンへと押し寄せた。連邦政府はアメリカ人の生活への支配を強めていった。
しかしローカリズムにおいて、権力が集中しているのは実際に仕事が行われているシャベルの先端なのだ。専門の知識や技能はシンクタンクではなく、物事がどのような場所でどう進み、それを誰が行うのかといったローカルな知識を持つ人たちの間にこそある。成功は、どれだけ大きなスケールでできるかではなく、どれだけ深く関われるかによって決まるのだ・・・
・・・ローカリズムは連邦政府の権力行使の縮小版ではない。違う種類の権力だ
第1の違いは認識論の問題だ。連邦政府の政策立案者は「ホームレスの問題について我々に何ができるだろうか?」と問う。一方、ローカルの人は(ホームレスである)フレッドやマリーに、家を持つためには何が必要かを直接問いかける。
連邦レベルの政治家が見ているのは、データに還元できる事象だ。だが、地域レベルの政治家は、データ化できる物事も、そうではないものも見ているのだ。
第2の違いは関係性だ。連邦の権力は人間味がなく、画一的、抽象的で規則を重視する。一方、ローカルな権力には個性があり、相関的で愛情があり、不規則で、助け合いと信頼という共通の経験に基づく。国家のシステムは合理的な知性を高く評価するが、ローカルなシステムは情緒的な知性もまた求めるのだ・・・
我が意を得たりです。原文をお読みください。