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連載「公共を創る」第197回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第197回「政府の役割の再定義ー成熟社会の到来と変化する国のかたち」が、発行されました。

前回から、若者が公務員を目指さないこと、採用されても早期に退職する者が増えてきていること。その背景に、転職自由社会が到来し、社員や職員の人事政策の前提としていた日本の労働慣行 が崩れつつあることを説明しています。

早く必要な技能を身に付けて、自分の考えを実現していきたい人。会社を否定するわけではないが、自分の職業人生のための過程(ワンステップ)にすぎないと早期の転職を考える人が増えています。これは、年功序列による職員の選抜と技能や経験の蓄積という、従来の企業側の戦略とは相いれない思考です。

このような変化は、職場だけでなく、私たちの暮らしのかたちを変えました。暮らしを形作る主要な枠組み、修学、働き方、家族の形が、昭和後期の経済成長期とともに、平成時代にも大きく変わったのです。それぞれ自由になり、選択肢も広がったのですが、その結果、従来の日本人に安心を提供していた血縁、地縁、社縁が薄くなりました。

連載「公共を創る」第196回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第196回「政府の役割の再定義ー転換を迫られる公務員の人事政策」が、発行されました。

まず、ここまで述べてきた官僚育成論を整理しました。管理職と幹部官僚とは役割が異なること。企業幹部と幹部官僚に求められる能力の違い。幹部官僚はそのための育成が必要なことなどです。

ところが、実態は急速に変化しています。優秀な若者が必ずしも官僚を目指さないこと、採用されても早期に退職する者が増えてきたこと、さらに日本でも転職自由社会が到来し、日本の労働慣行であった新卒一括採用、人事課による配属決定、年功序列、終身雇用が崩れつつあることです。
それは民間企業だけでなく、公務員の世界にも押し寄せてきています。これまでの人事政策は、革命的転換を迫られています

これまでは、公務員制度改革が議論されてきたのですが、制度が前提としていた実態が大きく変化し、いかに運用していくかが課題となってきたのです。
それを引き起こした「黒船」は、「転職が不利にならなくなった」ことです

連載「公共を創る」執筆状況

毎日、多くの人にこのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。もうじき、430万人に達します。久しぶりの「連載「公共を創る」執筆状況」です(前回4月6日)。
8月29日掲載予定の第196回は校閲もすみ、掲載待ちです。9月5日掲載予定の第197回はゲラができて、校閲待ちです。9月12日掲載の第198回は、原稿を編集長に渡しました。

これでひとまず、第170回(去年の12月)から続けてきた「官僚の人事政策」が終わります。さらに、去年5月から書いてきた「第4章 政府の役割再考 3 政府の役割の再定義(1)社会の変化と行政の役割」が終わります。
いつものことですが、こんなに長くなるとは思いませんでした。書いていくうちに、「そうだこんなこともある」「これにも触れておこう」と次々と広がります。また、原稿に目を通してもらっている右筆さんが、欠けている点を指摘してくれます。

私は先週から、次の「政治の役割」を書いています。なので、第196回、第197回、第198回、第199回が、同時に走っています。
新しい項に入るので、まずはその中の構成を思案中です。連載執筆で、一番悩むのは、この構成を考えることです。それができれば、別途書きためてある「部品」を集めて、文章にすればよいのです。もちろん、その作業も簡単ではありませんが。
夏休みで気分は緩み、執筆意欲は落ちるのですが、締め切りを考えるとそんな悠長なことは言っておられず。早起きして、原稿に向き合っています。その甲斐あって、なんとか、粗々の構成を作り、最初の部分を書き始めました。

当初、「全体の構成」では、「政治の役割」は一つの項を立てることなく、「(1)社会の変化と行政の役割」の中で、「政と官」を書けばよいと考えていました。この連載の副題は「新たな行政の役割」です。
しかし、機能不全と思える官僚機構を機能させるためには、官僚の努力だけでは限界があります。政治主導の時代に、官僚だけが勝手なことはできないのです。官僚機構を使いこなすのは、政治の役割であり、国民の意向です。そこで、「政治の役割」を項として立てることにしました。これも、書こうと思えば、書くことはたくさんあります。

連載「公共を創る」第195回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第195回「政府の役割の再定義ー官僚への信頼を取り戻すには」が、発行されました。

前回、幹部官僚には、必要な能力とともに、「志」と「やりがい」が重要だと説明しました。私が国家公務員になった頃(1978年)には、まだ官僚はエリートだという意識が社会にも官僚にもありました。しかし、1990年代の過剰接待事件を機に、官僚への信頼は地に落ち、戻っていません。また、エリートという言葉は死語になったようです。

かつて、官僚の失敗を聞かれ、私は3つの次元に分けて説明しました(2018年5月23日付け毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」)。
・官僚たちの仕事の仕方の問題
・個人の立ち居振る舞い
・国民の期待に応えているか、です。

1番目の問題と2番目の問題は、あってはならないことですが、いつの世でもどの組織でも起きる問題です。
それに対し3番目の問題は、構造的に取り組まなければなりません。私が考えるに、それは明治以来1世紀半ぶりの大転換です。その問題意識で、この連載を書いています。

連載「公共を創る」第194回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第194回「政府の役割の再定義ー幹部官僚に必要な能力と企業幹部との違い」が、発行されました。今回は、幹部官僚の役割と育成を考えるために、民間企業の幹部養成と比べてみます。

企業幹部は社長と取締役会、幹部公務員は首相と大臣という、組織の最高責任者の下で任務を果たして評価を受けます。組織の「幹部」という点で、共通するのです。共通しているのは、組織の維持とその組織が社会での役割を果たすという目的の下、「政策の立案や商品の開発」と、そのための「組織・職員管理」を任務としていることです。
このうち、後者の組織・職員管理は官と民とで大きな違いはないでしょう。一方、前者の政策立案においては、組織の目的の相違から、異なる部分があると考えられます。幹部官僚は、対象とする業務が公平性や公益性を求められる公共業務であることから、「目指すべき価値」「受ける制約」「必要とされる能力」に違いがあるのです。

「目指すべき価値」は、国民全体の福祉向上を考えること。「受ける制約」は、法律に従い、公平性が求められることなど。「必要とされる能力」は、その政策分野の専門家であること、 政策立案に際して実現可能性と与える影響を考えること、政策実現に際しては、内閣内や与党内での手続きを考えることなどです。
幹部官僚に必要な能力に、もう一つ重要なものがあります。政治的文脈を読むことです。幹部官僚が政策を考える際には、白地で考えるわけではありません。案件が社会で生まれた新しい課題であったり、大臣から下りてきた案件であったとしても、これまでの政府の政策体系や、大臣や内閣の政策選好との整合性を考える必要があります。これが、企業幹部から幹部官僚に転職した際に、最も困難な能力かもしれません。

その上で、それらの底には、「志」と「やりがい」の違いがあるのではないかと思います。