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毎日新聞に載りました2

10月23日の毎日新聞に、私の発言が短く載りましたが、長いインタビューがウエッブに載りました。有料記事ですが、全文の3分の1ほどを、読むことができます。「防災庁実現で温かい食事の提供も? 岡本全勝元復興次官が語る訳

・・・地震と豪雨に見舞われた能登半島の二重被災もあり、衆院選では複数の政党が「防災庁」や「防災省」創設を公約に掲げる。東日本大震災の復興に長年携わった岡本全勝・元復興事務次官(69)は、「防災庁が実現すれば、温かい食事の提供など緊急対応が充実する」との見解を示す。その訳を聞いた。

――自民党、公明党、れいわ新選組、社民党が防災庁(省)構想を掲げる。どう評価するか。
◆災害対応は大きく、事前防災と発生時の緊急対応、その後の復旧・復興の3段階に分かれる。現在、緊急対応までは内閣府防災担当が司令塔となっているが、予算と人員が少なく限界がある。防災庁が実現し予算と人員が拡充されれば、国が手厚く支援できるようになる。避難所環境の改善や温かい食事の提供などの緊急対応が充実するだろう。

――防災庁はどのような役割を果たすべきか。
◆内閣府防災担当と復興庁の役割を統合させて防災庁にしたらよいと私は主張している。というのも内閣府防災担当が発災直後の対応について手薄となっている上に、復興に関しては司令塔がない。1月の地震に加えて9月に水害も起きた能登半島では政府が一元的な窓口を作って財政やノウハウの支援をする必要があるが、所管する組織がない。
東日本大震災では、道路は国土交通省、学校は文部科学省、病院は厚生労働省――などと所管が分かれる分野でも復興庁に国の窓口を一本化し、市町村の要望をたらい回しせずに済んだ。東日本大震災以外の一般災害でも、防災庁が同様に対応すべきだろう・・・

毎日新聞に載りました

10月23日の毎日新聞「衆院選 ピンとこない「防災庁」 複数政党公約 浮かんでは消え」に、私の発言が少し載りました。紙面とウエッブでは、表題が異なるようです。

・・・大災害が起きれば、国でも内閣府防災担当が緊急対応や、その後の復旧を担う。だが平時は防災計画の推進や普及啓発を役割としており、その規模は職員約150人、一般会計約70億円と一つの町程度。地域格差を補うには不十分という見方がある。
そこで浮上するのが防災庁構想だ。岡本全勝・元復興事務次官は「予算と人員を拡充して防災庁を作れば、国がより手厚く支援できるようになる。温かい食事の提供など避難所環境も充実するだろう」と話す。内閣府防災担当には局長級の統括官が1人しかいないため新組織での充実を提案する・・・

連載「公共を創る」第202回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第202回「政府の役割の再定義ー官僚主導の限界と国民意識の転換」が、発行されました。かつての「官僚主導」がなぜ成り立ったのか、何が問題だったのか、そしてなぜそれが行き詰まったのかを説明しています。

官僚主導が存続したのは、冷戦下の一国平和主義と経済成長が続き、政治的決断の必要がないという前提があったためです。その前提が終焉を迎えると、官僚主導の限界が露呈しました。
1989年にベルリンの壁が壊れ、1991年にはソ連が崩壊し東西対立が終わりました。それで世界に平和が訪れればよかったのですが、重しの取れた世界は、逆に不安定になりました。地域での紛争が続出し、日本もまたそれに巻き込まれることになります。米軍の保護の下で平和を謳歌するという一国平和主義が、続けられなくなったのです。国内では経済成長が終わり、政府も増えてくる社会の富を分配だけしているわけにはいかなくなりました。あらゆる分野や地域に資源を投入することは、もうできません。

国際環境の変化と経済成長の鈍化で、従来の日本の路線が行き詰まってきたことが明らかになり、国民の間にも、「変えなければ」という意識が広がりました。
国民の意識は、まず自民党政権への不満という形で現われました。1993年には、細川護熙首相を担いだ8党・会派によって、非自民政権が誕生しました。長期にわたって続いた自民党政権が、ついに交代したのです。次に政策の企画などについて十分に役割を果たせなくなった官僚に対して、その幹部が過度で破廉恥ともいうべき接待や賄賂を受けていたこと、そして逮捕者が出たことなどもあって、不満が爆発ました。

このような時代背景や国民意識の高まりから、1990年代に、これまでにない改革が進みました。一つは地方分権改革であり、もう一つが中央省庁改革です。いずれも、昭和の頃から抜本的な改革を行うべきだと口にはされてきていましたが、ほとんどの人が「できっこない」と思い込み、実際に政府が具体的に手を着けることはなかった課題だったのです

連載「公共を創る」第201回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第201回「政府の役割の再定義ー「官僚主導」の実態」が、発行されました。政治主導の下での行政の役割を考えています。まず、かつての「官僚主導」の問題を説明しています。

官僚主導が、内閣の意向を無視して「勝手な」政策を考えて実現させたなら、それは大きな問題です。しかし、現憲法ではそのようなことはできようはずがありません。官僚主導として批判された問題の本質は、別のところにあります。官僚が考える政策案は、与党が決定権を持っていたのです。

予算や法律案は、閣議決定の前に与党の了解を取る仕組みが定着しました。これによって、与党は、内閣案、官僚の作った案に拒否権を持ったのです。与党の審査は、各部会で行われ、内閣より与党の部会が力を持ったのです。
「官僚主導」は、政策決定において官僚機構が大きな権力を保有しているという意味ではありません。本来の判断者である首相や大臣よりも、与党の各部会が主導権を持っており、その間の結節点として活動していた官僚機構が主導しているように見えた状況だった、と言えます。

部会と各省の利害が一致する場合はよいのですが、与党議員間で意見が一致しない場合に、その間で板挟みになり、官僚が立ち往生することもあります。
官僚が考えた政策で、与党部会や有力者の反対で実現しなかったり、実現が遅れたりしたものもあります。農業政策、文教政策、社会保障政策などです。財政再建もそうでしょう。こうしてみると、どう考えても、官僚主導などという代物ではありません。

官僚主導が可能な範囲は、政治的決断を伴わないで済む事案です。その範囲内でなら、官僚は良い仕事をするでしょう。逆に、政治的決断が必要になると、官僚主導は機能しません。例えば、外交方針の転換、国民に負担を問うことです。

『Public Administration in Japan』が届きました。

私も第19章を執筆した『Public Administration in Japan』。注文していた本が届きました。「執筆者に1冊贈呈」がなかったので、インターネットで購入しました。

画面で見るのと紙の実物とでは、ありがたみが違いますねえ。ずしりときます。書いてあることは同じですが。全体420ページのうち、私の執筆は18ページです。
単著が初めて本屋に並んだときは、もっと感激しました。何度も棚の前に行って確認し、次に別の本屋に行って並んでいるのを確認したものです。ほかのお客さんに「この本よいですよ」と、勧めたりはしませんでしたが(苦笑)。

まずは、アマゾンで発注しました。ところが、版元からも取り寄せることができる(画面の右上に出ていました)、しかも送料無料とのことなので、こちらも頼んでみました。1冊、6,499円です。
すると、版元からの方が早く届きました。ドイツ、ハイデルベルクからですが、大日本印刷(埼玉県久喜市)経由、クロネコ便です。インターネットで注文したのが9月26日、10月2日朝には配達されました。所要1週間ですね。

10月3日夜の時点で、本書へのアクセス(ダウンロード回数でしょうか)は5826、私の第19章は380のようです。