カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第227回

2025年7月4日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第227回「政府の役割の再定義ー官僚の意見を聞かない「政治主導」」が、発行されました。

政治家と官僚との意思疎通の重要性を議論しています。ところが、首相官邸と各省との間で十分な打ち合わせがなされない場合や、信頼関係ができていない場合があるのです。
前回、安倍晋三首相の回顧録から、「安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘」の記述を紹介しました。財務省が安倍首相を「引きずり下ろそうと画策した」というのです。この記述は、首相本人が語っておられる回顧録です。見出しに部下組織との「暗闘」と書かれるのは、穏やかではありません。

菅官房長官・首相は、本人が自ら、総務相時代に、総務省幹部の反対を振り切って、意に沿わない課長を更迭したと書いておられます。また、財務省主計局長の説明に対し、資料を投げつけ、怒鳴ったとも報道されています。
「役人として面従腹背が必要」と発言した、元文部科学事務次官もいました。「忖度」という言葉も、流行しました。

「面従腹背」にしろ「忖度」にしろ、かつては役所では聞かなかった言葉です。そのような言葉が必要な状況になったとすると、大きな問題があるように思えます。そのような状況では、当時の多くの官僚たちは、力を十分に発揮することはできなかったと思われます。
このような事態が生じたのは、官僚主導から政治主導へ転換しようとする意識が、過度に働いたことによるとも考えられます。「政治主導とは官僚主導の否定である」と意識されたのです。そして、官僚の意見を聞かないこと、官僚の意見に反対することが、「政治主導」と思われたのかもしれません。

連載「公共を創る」第226回

2025年6月27日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第226回「政府の役割の再定義ー政治家と官僚の関係」が、発行されました。
第199回から、政治主導がうまくいっていないことを分析しています。その1は「政治家と官僚の役割分担がうまくいっていないこと」(第204~207回)、その2は「政治家が政治主導を使い切れていないこと」(第207回~前号)です。今回からその3として、「政治家と官僚の関係」がうまくいっているのかどうか、どうすればいいのかを考えてみます。目次も新しくしました。「目次9

ことさらに「政治家と官僚の関係」を取り上げるのは、二つの問題を見聞してきたからです。
一つは、大臣が官僚を使う際に、意思疎通がうまくできていないような例があることです。その結果、仕事が進まない、お互いに心理的負担が生じるといったことにつながっています。このような事象は、かつてもありました。
もう一つは、近年の気になる問題です。政治主導を目指した内閣において、特に官僚との関係に問題が生じたように見えることです。官僚を排除した民主党政権(2009~2012年)と、官邸主導を強力に進めた第2次安倍晋三政権以降(2012年~)での事案です。

会社にしろ役所にしろ、組織としての成果を挙げることと、社員と職員が気持ちよく働いて成果を出すことが重要です。このためには、上司と部下が十分な意思疎通をすることが必要であり、各幹部は常にそれを考えているはずです。ところが、国家を動かすために組織の力を最も振るわなければならないはずの内閣や各省において、それがうまくいっていないことがあるのです。首相や閣僚は選挙で選ばれた職業政治家です。試験を受けて採用され経験を積んできた職業公務員である官僚とは、違った経歴を持ちます。それが故に、二者の関係を良好に保つには、努力が必要なのです。

私は、「明るい公務員講座 管理職のオキテ」を出版し、部下を使って良い成果を出すコツを公開しました残念ながら、それに反したことがこういった組織でも行われてしまっているのではないかと心配です。
うまくいっていない事例として、民主党政権での官僚排除、現場を混乱させる首相指示、安倍首相の官僚不信などの実例を挙げました。

連載「公共を創る」目次9

2025年6月21日   岡本全勝

目次8」から続く。「目次1」「目次2」「目次3「目次4」目次5」「目次6」「目次7」「全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

(4)政治主導に向けて
6月26日 226政府の役割の再定義ー政治家と官僚の関係
7月3日 227政府の役割の再定義ー官僚の意見を聞かない「政治主導」
7月10日 228政府の役割の再定義ー異論に耳を傾けることの大切さ
7月17日 229政府の役割の再定義ー英・独に学ぶ官僚の中立性確保
8月7日 230政府の役割の再定義ー上司・部下の関係と公務員のやりがい
8月21日 231政府の役割の再定義ー遅過ぎる質問通告、多過ぎる質問主意書
8月28日 232政府の役割の再定義ー「やりがい」低下の原因
9月4日 233政府の役割の再定義ー首相を支える事務秘書官の仕事
9月11日 234政府の役割の再定義ー「内閣官僚」の育成を
9月18日 235政府の役割の再定義ー現在の政党の機能不全
10月2日 236政府の役割の再定義ー成熟社会における対立・亀裂
10月9日 237政府の役割の再定義ー官僚の使い方
10月16日 238政府の役割の再定義ー議員と官僚、公的な「組織と組織」の関係に
11月6日 239政府の役割の再定義ー制度改革では実現していない政党間の政策競争
目次10」へ続く

連載「公共を創る」第225回

2025年6月19日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第225回「政府の役割の再定義ー政治家に求められる能力」が、発行されました。政治家による政策議論について、国会が本来期待される機能を果たしていないことを指摘しています。

社会では、絶えず問題が生まれます。それを、「誰がどのように、そしてどの方向に解決するか」。家族と親族、企業、地域社会、中間団体、宗教、慈善活動やNPO、そして地方議会、国会、行政、司法のうち、誰がまずは責任を引き受け、誰と誰が発言し行動するのか。誰も引き受けない場合、あるいは意見の対立が解消しない場合は、最終的に誰が解決するのか。国によって、解決する主体、あるいは解決することを期待される主体が異なり、またそれら主体の力関係が違います。
同じ近代民主主義国、資本主義自由経済国家であっても、英国、フランス、ドイツ、米国、そして日本は、よってきた歴史と社会が異なり、「国のかたち」が違います。これを考えるのに役立つ書物が、近藤和彦著「イギリス史10講」(2013年、岩波新書)です。英国では、議会が解決の場であるだけでなく、主体になるようです。この本については、このホームページで、たくさんの論点に分けて紹介しました。「覇権国家イギリスを作った仕組み」~「覇権国家イギリスを作った仕組み、9」。番外も「覇権国家イギリスを作った仕組み、12

日本の国会においては、異なる意見や利害を議論して調整することが少ないと指摘しました。では、どこで調整しているのでしょうか。実態として、日本では、内閣、その中でも各省の官僚機構が解決主体として働くものと期待されているようです。
官僚に求められる能力と現実の問題について述べたので、政治家に求められる資質についても書いておきました。

これで、「政治の役割」のうち、「政治主導の在り方」を終えて、次回からは「政治家と官僚の関係」に入ります。

連載「公共を創る」第224回

2025年6月12日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第224回「政府の役割の再定義ー議論が乏しい「ムラの慣行」」が、発行されました。

政治家による政策議論について、国会と野党の役割を考えています。
先の衆議院選挙で、自公政権は少数与党になり、政府案を与党の数の力で押し通すことが難しくなりました。すると、与野党で議論して妥協し、結論を出す必要が出てきます。野党の意見を取り入れることで、より多くの国民に支持される政策が実現する可能性も出てきます。
一方で、首尾一貫した政策体系を示して、その対立の形で各党が国民の支持を獲得するために競い合うなら良いと思うのですが、政策体系の背景を持たずに、論点ごとに有権者にこびるようなポピュリズムに走ることになると、良くない結果を生むことになりかねません。

議会制民主主義とは、政治家と政党がそれぞれの主張を立て、国民の同意獲得競争をして政権に就き、政策を実行する。その場が国会であり、国民の間のさまざまな利害を調整する場です。政治学の教科書にはこのように書かれていても、それぞれの国がそれぞれに異なる社会と歴史を持っているので、国によって実際の運用は異なります。
日本では、国会が議員間の討論の場になっていません。議員が政府に説明を求め、問題点を追及する場となっているのです。与野党が議論を重ね、政府提案あるいは与党提案を磨き上げて、さらに良い法律や予算にするという意識と経験が希薄です。

この背景には、日本においては、人前で、意見の異なる人同士の間で議論することが少ないことがあります。討論の経験がないし、討論している人から学ぶ機会もないのです。しばしば「和を以もって貴しとなす」という言葉が使われます。聖徳太子の十七条憲法以来の日本の伝統であり、あるいはそうあるべき規範と思われているようです。
しかし、すべての事が最初から最後まで「和である」=一致するはずがありません。それは結局のところ、意見の対立を表面化させないこと、対立がある場合はウラの世界で調整をつけることが良いとされる、社会通念だということができます。

対立が少なく皆が協調するべきという「ムラの慣行」と、オモテの場で議論せず、意見の対立をなるべく表面化させないでいたいという日本社会の深層意識が、討論やそれに基づく修正は避け、野党は政府批判だけをするという我が国特有の国会審議の背景にあるのでしょう。それは、これまでのムラ社会、世間、そして国会を貫く、「この国のかたち」です。