カテゴリーアーカイブ:連載「公共を創る」

「公共を創る」連載3年

2022年4月25日   岡本全勝

連載「公共を創る」が、2019年4月25日から掲載を始めて3年になりました。すなわち、これから4年目に入るということです。最初の頃は毎週木曜日に、最近は毎月3回木曜日の掲載です。115回になりました。よく続いたものです。お付き合いいただいた読者の方々に感謝します。

何でこんなに続いたのか、何を書いたらこんなに長くなるかを、目次を見て振り返りました。
1年目は、この連載を書こうと考えた発端になった、東日本大震災で考えたこと(第1章)と、以前から考えていた公私二元論の限界(第2章)を書きました。
2年目は、私たちと行政に転換を迫っている、社会の変化を説明しました(第3章)。発展途上時代が終わり、明治以来の追いつき型社会が終わり、日本人の多くが農村で稲作をしていた長い弥生時代が終わりました。
3年目は、その社会の課題の変化が生んでいる、政府の役割変更を説明しています(第4章)。現在も、その続きを書いています。

構成は、ほぼ当初考えたとおりになっています。これまでも考えてきたことですし、拙著『東日本大震災 復興が日本を変える』の第4章にその骨格は書いてあります。それでお気楽に考えていたのですが、分量が膨らみました。読み物とするために、具体事例や私の考えをより詳しく書いているからです。また、若い人が知らないであろう昔の話を書いているからです。
最初は半年くらいかなと思っていたのが、2年目からはその倍の分量(期間)になっています。あと半年くらいかかりますかね。

連載「公共を創る」115回

2022年4月22日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第115回「個人の自由への介入」が、発行されました。引き続き、政府による個人の生活への介入について説明します。

道徳の授業は、個人の内面に関わることです。子どもを一人前の大人にするためには、他者と共に生きていく規範や生命などの重要性を教える必要があります。「国家は個人の内面に立ち入らない」とは、言っておられません。問題は、どのような場合にどこまで介入できるかです。そしてそれが国民の議論になっているかです。国会ではどの程度議論されているでしょうか。
政府による個人の自由の制約の話に戻ると、私事の自己決定をどこまで制約できるかという問題になります。安楽死を認めるのか、お酒やスマホ中毒を防ぐように介入するのか・・・。「放っておいてくれ」という人に、どこまでお節介を焼くことができるのでしょうか。

そして成熟社会になって、少し違った次元の問題が出てきました。幸福感と生きる意味をどのように生み出せばよいかです。「それは個人の問題だ」ともいえますが、多くの人が悩むようになると、政府として国民に生きがいや幸福を追求する条件を整えることが必要になってきました。このような議論が、国会や論壇でなされていないのです。

次回掲載は、5月12日号です。連休をはさむので、既にゲラになっています。これで連休は一安心なのですが、その続きの執筆に追われています。

連載「公共を創る」114回

2022年4月15日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第114回「「生きていく力」を身に付けるには」が、発行されました。前回から、政府による個人の生活への介入について説明しています。

前回に引き続き、子どもを一人前の社会人に育てることを議論しす。現代では、これは難しい課題になりました。身につけなければならない知識が増えたのです。知育とともに道徳が重要になりました。困ったときに乗り越える力も必要です。「政府や社会は個人の内面には立ち入らない」とは言っておられません。

私たちはしばしば、怒りが暴走するときがあります。それをどのように扱うか。「心の取扱説明書」についても、説明しておきました。あなたの職場にも、「瞬間湯沸かし器」と呼ばれる人や激高して部下を怒鳴る上司がいますか。ひょっとして、あなたがそうですか。

連載「公共を創る」113回

2022年4月8日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第113回「生活への介入」が、発行されました。前回まで、政府の社会(コミュニティ)への介入について説明しました。今回から、個人の生活への介入について説明します。

社会は個人の集まりですから、政府による個人への介入は、社会への介入と重複することが多いです。ただし異なることは、社会はみんなに開かれた空間ですが、個人には秘密にしてほしいこともあります。プライバシー(私事権)です。
そこには2つのものがあります。一つは、私生活や家庭内のことを知られたくないことです。もう一つは、自分のことは、他人に指図されず自分で決めたいことです。
すると、政府による個人への介入は、次の2点で問題になります。一つは、家庭に入ってよいのか、入る場合はどのような場合かです。もう一つは、「放っておいてくれ」という人に、どこまで関与できるかです。

生活保護など社会保障は、本人が求めるので、関与しても大丈夫でしょう。しかし、家庭内暴力など虐待の場合は、家族は介入を求めておらず、さらに拒否する場合もあります。
自立支援も、難しいです。本人が望んでいない場合に、どこまで支援ができるでしょうか。すべきでしょうか。本人の行動と意思に関与することは、手法も難しいのです。
また、社会的自立への支援と言うことの原点には、子どもを一人前の社会人に育てるということがあります。これについてはほぼすべての人が同意するでしょう。では、現在社会で「一人前にする」とはどのようなことでしょうか。ここに、成熟社会での行政の役割転換が求められています。

連載「公共を創る」112回

2022年3月18日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第112回「倫理や社会意識、議論する場は?」が、発行されました。
国家(政府)はどこまで、どのようにして社会に介入するかを考えています。その際に、「公共秩序の形成と維持」「国民生活の向上」「この国のかたちの設定」の三つの分野で議論しました。

このような議論を展開しているのは、これまでの政治学、行政学、経済学が、このような議論をしていないからです。これらの学問は現状を説明しますが、これからの未来像を提示してくれません。国民が政府に期待していることは、これだけでしょうか。現在の日本社会の不安である「格差」「孤独と孤立」「沈滞と憂鬱」に、政府も社会も応えていません。
国民に活力と安心を与える、その条件をつくるためには、政府と社会は何をすべきか。それを議論したいのです。

「学問は価値判断を避けるべきだ」という主張(価値中立)は分かりますが、それは分析の際に保つべき態度であって、「これからの社会をどのようにするべきか」は価値判断を避けて通ることはできません。
そして、そのような未来像を、どのような手続きでつくっていくかも問題です。国民生活の不安を扱う役所はありません。また、行政だけに任せるわけには生きません。