連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第232回「政府の役割の再定義ー「やりがい」低下の原因」が、発行されました。
国会や政治家との関係において、官僚の労働条件が劣悪なままであることを指摘しています。前回は、低い給与の他に、遅過ぎる質問通告、多過ぎる質問主意書を取り上げました。
働き方改革に真っ向から反することが、国権の最高機関を巡って行われていて、国民に働き方改革を唱えている政府が、自らの使用人である官僚に、とんでもない労働を強いているのです。過去の官僚は「高い評価」と「やりがい」で自らを納得させて、耐えてきたました。しかし、今の官僚に「耐えろ」とは言えません。志望者は減り、中途退職者が増えています。
しかも、政治主導への転換が目指されたのに、この悪条件は改善される兆しもありません。政治家が指導者あるいは管理者として、官僚を「働かせる」「能力を発揮させる」意識が低いのです。
官僚にやりがいを持たせる、それには新しい社会の課題に取り組めるような、十分な条件を与えなければなりません。
それは一つには、時間的余裕です。現在は、日常業務に追われていて、ゆっくりと考える時間が持てていないようです。それは、仕事が増えたのに職員数が増えていないことによります。国会対応も、その原因の一つです。
もう一つは、予算の余裕です。長年にわたり厳しい予算要求基準が設けられ、新しい政策に取り組むだけの予算がありません。もう少し、官僚たちから上がってくるアイデアを実現できるようなゆとりが欲しいのです。
「収入」「労働条件や職場環境」「やりがいと将来性」の三つについて、学生や若手公務員に納得のいく改善をしない限り、若者は公務員を選ばないでしょう。それを考えるのは、内閣人事局と各省人事課の役割です。彼らに期待します。