カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第213回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第213回「政府の役割の再定義ー政策の大転換と重要課題への対応」が、発行されました。政治主導が十分に機能していない事例として、国民に負担を問うことなく巨額の支出を続け、財政が極端に悪化していることを説明しています。

米国の格付け会社によると、1990年代に最上位だった日本国債の格付けは、現在上から5番目で、先進7カ国の中ではイタリアに次いで低いのです。多くの欧州諸国や韓国を下回っています。国債の格付けは、国による元利返済の確実性、信用力を評価したものです。市場は、日本国政府の信用度を落としています。
とはいえ、政治家が真実を隠して、国民を「だましている」わけではありません。政府も報道機関も、国家財政の状態を正確に説明しています。政治家だけに財政の極端な悪化の責任を負わせるのは、公平ではないかもしれません。それを許しているのは国民です。「国民はみずからの程度に応じた政治しかもちえない」という有名な言葉もあります。

スウェーデンの、2014年の世論調査結果を紹介しました。信頼度が高い役所は、1消費者庁、2地理院、3国税庁です。国税庁が、首位のふたつの役所に1ポイント差で続いています。一つの理由は、税は政府にとられるものではなく、納税という投資の見返りにサービスを受益するという考え方が浸透していることのようです。
長い歴史を考えれば、国民は次のような段階を経るとも言えます。専制国家では「被治者」(臣民)です。民主主義が導入されても、自らが「統治者」(市民)であるという意識が根付くには時間がかかり、それまでは政府は「彼ら」という意識である期間が続きます。あるいは主権は持っていても、被治者でなく統治者でもない、国という仕組みの「利用者」(顧客)であり、できればあまり関与はせずに上手に利用したい、という期間もあるのでしょう。

本稿では、「政治家が政治主導を使い切れていないこと」として、「複数の政策間の評価と優先順位付け」「国民に負担を問うことを取り上げました。次に、「政策の大転換」や「この国の向かう先を指し示すこと」を取り上げます。その事例として、外交・安全保障、経済、社会の不安の三つについて簡単に述べました。

連載「公共を創る」第212回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第212回「政府の役割の再定義ー財政規律と「この国のかたち」」が、発行されました。

第208回から、官僚にはできない政治家の役割として、国民に負担を問うことを取り上げています。
新型コロナ対策など一時的な危機への対応も歳出の一因となりましたが、それ以上に問題なのは、1991年のバブル経済の崩壊を起点にして30年以上、財政赤字が常態化していることです。各内閣も各党も、財政健全化を主張しています。しかし、増税などによる財政構造の根本的改革に触れることはなく、赤字削減の具体的計画は示されません。具体的に何を廃止し、どれくらい削減するかを説明できる、あるいはしようとする政治家はいません。

この点、財務省は一貫して財政健全化を訴えてきました。例えば、矢野康治財務次官(当時)は、月刊「文芸春秋」2021年11月号に「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」を寄稿しました。現職の事務次官が、雑誌にこのような文章を発表することは異例です。それは、国家財政を預かる財務省の事務次官として、とんでもない財政悪化を招いたことへの反省とともに、官僚の意見が政治に届かないことへの疑問の提示とも読めます。この発言に対し、政治家はどのように答えるのか、聞きたいです。

国民に「増税に賛成ですか、反対ですか」と問えば、多くの人は「反対です」と答えるでしょう。しかし、大衆に「迎合する」ことが政治家の役割ではありません。将来のために、苦い話をすることも、政治家の役割でしょう。

私がこのように政治家の役割や道徳的な問題を議論するのは、そこから「この国のかたち」が崩れていくのではないかと考えるからです。
歴史上、繁栄していた国家が衰退するのは、外交や対外戦争に負けることよりも、産業の衰退、それを招いた国民の生活向上への意識の衰退、統治の劣化に伴う国内での政情不安といったことが原因となっているのではないでしょうか。
国家は外部の敵ではなく内部から、それも国民の心の中から崩壊するのでしょう。

連載「公共を創る」第211回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第211回「政府の役割の再定義ー恒例化している大型補正予算」が、発行されました。
前回は、日本の財政は極端に悪化しているのに、予想外の事態に対する財政出動の際に、赤字国債を上積みしていることを取り上げました。今回は、毎年、巨額の補正予算が組まれていることを取り上げます。

構造的な赤字の中でも、近年は景気対策や物価高騰対策として、巨額の当初予算と補正予算が組まれました。手法の非効率や政策目的のずれなどが指摘されていますが、最大の問題は、財源を確保しないままに支出されていることにあります。
岸田内閣も、経済対策や物価上昇対策(定額減税と電気・ガス料金補助)に大型予算を組むとともに、防衛力強化や少子化対策などの政策にも大きな支出を決めました。

石破内閣も2024年11月11日に、事業規模39兆円、一般会計予算額約14兆円の大型補正予算を決定しました。主な項目は、日本経済・地方経済の成長、物価高の克服、国民の安心・安全の確保です。これらについても、財源は明示されないままに事業内容と規模が議論されたようです。補正予算の歳入は結局、約半分が国債です。

基金の多用も問題視されています。規模の大きさばかりが優先され、使われない金額が大きいのです。
そもそも補正予算が成立するのは12月や1月であり、行政実務からは3月までの年度内に執行することは難しいのです。

連載「公共を創る」第210回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第210回「政府の役割の再定義ー大規模な財政支出とその財源」が、発行されました。
官僚にはできない政治の役割として、国民に負担を問うことを議論しています。今回取り上げるのは、予想外の事態に対する財政出動の際に、かつてはその財源を考えたのですが、近年では赤字国債で先送りしていることです。極端に財政が悪化しているのに、その上に巨額の赤字を積んでいます。

東日本大震災への費用は、15年度までの5年間で、当初は約19兆円と試算されました。当時は民主党政権でしたが、その財源を、増税、歳出削減、日本郵政の株式売却などで確保しました。
新型コロナ対策では、各国とも医療や経済対策に巨額の資金を支出する一方で、経済停滞で税収も大きく減り、財政は悪化しました。その財政悪化にどのように対応したかで、各国の違いが出ました。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスでは、巨額の国債を発行しつつ、増税などによる償還計画を立て、また経理を別にして明確にしました。しかし日本では、償還計画を立てることなく、赤字国債をそのまま増やしたのです。

かつてドイツの総選挙で、与野党ともに増税を訴えた事例も紹介しました。

原稿執筆、蟻の目と鷹の目

連載「公共を創る」の原稿執筆、新年早々の締め切りを守りました。1か月に3回載せるので、締め切りが毎週のように来ます。せっせと書き続け、書いては読み直しを繰り返して、概成させます。毎回6800字は、大変です。

次の締め切りに向けて書くとともに、それが進むとその次の分も視野に入れなければなりません。書いているうちに、論旨の続きで、次回分の執筆も進む場合があります。これは、うれしいです。「来週は、楽ができるぞ。こことここと埋めれば良いから」と。

ところが、ふと思って、その前後を読み直してみると、構成を変えた方が良いことに気づく場合があります。
すると大変です。せっかく書き終えた部分を後ろに回し、将来書く予定だった部分を前に持ってきます。それで、原稿完成の見込みがすっかり狂ってしまいます。

蟻のように、目の前のマス目を埋めること(最近は原稿用紙を使わないので、この表現は適切ではないですね)に集中していると、全体の地図を見失います。
鷹のように、高い位置から全体の地図を見渡して方向を修正し、もう一度、蟻になって方向を変えて、マス目を埋め直します。