カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第154回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第154回「社会像と行政手法の転換」が、発行されました。国家の役割と機能の見直しを迫る要因を説明しています。今回は、前提とする社会像や市民像が転換していることを説明しました。

西欧近代国家そして日本が前提とした「自由で自立した市民」は、理想であっても、現実ではありませんでした。自立できない市民を発見し、それへの支援を整備してきたのが、この200年の歴史です。そして、さらに「社会生活での自立が難しい人」が生まれてきたのです。人は自立しているのではなく、互いに依存して生きているのです。
それは、公私二元論にも修正を迫ります。

政府が取り組むべき課題が変わることで、手法も転換する必要があります。その一つは、実施の手法です。支援対象となる個人は、引きこもりのように役所の窓口には来ません。これまでのように、請求があって支給する方法は機能しません。
また、社会の意識を変える必要がある場合も多いです。それについても、経験は少ないです。

連載「公共を創る」第153回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第153回「課題の転換を迫る背景」が、発行されました。
前回まで、政府の役割を再定義する前段として、その分類を行いました。ところが社会の新しい課題の多くは、これまでの分類にうまく当てはまりません。

これら新しい課題の多くは個別ばらばらに生じているのではなく、共通した背景と原因を持っているというのが私の分析です。この大きな動きを押さえた上で、場当たり的でない国家の役割と機能の見直しが必要なのです。それは、行政分野の拡大や手法の改善などという微修正では済まず、市民像や公私二元論といったパラダイム(ものの見方、考え方の枠組み)の転換が必要となります。
これまで述べてきた国家の役割の見直しを迫る背景や見直しの方向などを順次、要約します。

まずは、課題の転換を迫る背景です。大きな課題であった貧困からの脱出に成功したのに、なぜ社会に不安が生じているのか。それは、経済発展によって私たちの暮らしが変化したことで、新しい不安が生じたためです。
そして、日本においてこのような不安が顕著なのは、成熟社会に見合った意識への転換が遅れているからです。それは、いくつかの場面で現れています。

家族と会社、自由な暮らしと必要な覚悟

日本はこの半世紀で経済発展を遂げ、豊かで自由な社会を手に入れました。しかし、社会の仕組みや国民の意識が、その変化に追いついていないことを指摘しています。
ムラや家族、会社は個人を束縛しますが、個人にとっては頼りになるものです。うまくいかないときも、その束縛を言い訳にすることもできます。しかし、自由な社会で自分が選択する場合は、その結果にも責任を持たなければなりません。その覚悟が必要になります。

例えば一人暮らしは、自由で快適な生活ができますが、困ったとき、悩んだときに助けてくれる人がいません。一人暮らしをするには、その覚悟が必要です。そのような孤独に陥らないため、つながりをつくる努力をするのか、一人の不安に耐えられるだけの精神力をつけるのか、いずれかが必要です。
孤独にならないためには、他人とのつきあいが必要ですが、じっとしていてもつきあいはできません。かつては、村での集まりや親類などさまざまな中間集団に否応なく組み込まれたのですが、それも少なくなりました。結婚もまた、かつては世話焼きの人が異性を紹介してくれたりしましたが、現在では自分で探さないと相手は見つかりません。

日本型雇用慣行は、新卒一括採用、年功序列、終身雇用が特徴です。従業員は特定の技能を持って特定の職に就く就職ではなく、白紙の状態で会社に採用され、社内で技能を身につけるという就社です。多くの学生は何になるかを考えず、技能を身につけずつけずに、大学生活を送ります。就社すると、その後の処遇は会社任せになります。希望する部署に就けないと不満をためますが、外部雇用市場がないので転職することは困難です。
日本型雇用慣行は、ムラでの暮らし方を職場に持ち込んだものです。会社任せにせず自分で技能を磨き仕事を見つけるには、前段で述べたと同様に自立の覚悟が必要になります。
一人暮らしの孤独が問題になっているように、今後ジョブ型雇用が広がると、この問題が顕在化するでしょう。

連載「公共を創る」執筆状況

恒例の連載「公共を創る」の執筆状況報告です。
第151回から、結論部分に入っています。項目は粗々できているのですが、過去に書いた文章を読み返す必要があります。「どこに書いたっけ?」「このあたりだったよな」と探します。その過程で、「こんなことも書いたよな」という文章が発掘されたり。時間がかかり、締め切りとの競争になっています。

日常の用務があり、引き受けた講演の準備にも時間を取られ、まとまった時間を確保するのが難しいのです。『明るい公務員講座』にも書きましたが、毎日入ってくる雑務(予定表に書くほどでない作業)にも、時間を取られるのですよね。いつも同じことを言っています。
執筆がスイスイ進んでいるときは、こんなことは書かないのです。たいがい、構成に悩んでいるときです。

締め切りに追われ、進行形の作業を抱えるのは、精神衛生上よくありません。2回分(2週分)くらい「貯金」を持っておくと、余裕ができるのですが。
右筆の協力を得て、6月22日号までゲラになりました。ほっとして、この文章を書いています。
連載は、もう数回のうちに完結すると予想しています。