カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

朝日新聞オピニオン欄「人口減時代の防災・復興」に載りました

5月24日の朝日新聞オピニオン欄「交論 人口減時代の防災・復興」に、私の発言が載りました。朝日新聞が継続的に書いている「8がけ社会」の一つです。廣井悠・東京大学教授と対になっています。

・・・少子高齢化はさらに進み、2040年には働き手の中心となる現役世代が現在から2割減る。さらに制約が増していく「8がけ社会」において、地震や津波などの大災害にどう向き合えばいいのか。人口減少下の被災について考えを深めてきた2人に、防災と復興のあり方を聞く。

――東日本大震災の被災地に通って「ミスター復興」と呼ばれた経験から、過疎地の復興の難しさをどう考えますか。
「被災者に要望を聞けば『元通りにして欲しい』との声が出る。その思いに、政治家や役人が『できません』とはなかなか言えません。東日本大震災では、行政が率先して原状復旧を掲げ、災害公営住宅の建設や大規模な土地整備をしたのに、住民が減ってしまった地域が生まれています」

――なぜ、住民が思い描いた復興にならなかったのですか。
「人口減少下の地方で起きた災害だからです。日本の人口は2008年から減少に転じ、過疎と少子高齢化が進みました。被災すると都市部に移る人が増え、人口流出は加速する。集落を元に戻しても震災前の光景は戻らないのです」
・・・

――人手や財源の確保が今後ますます厳しくなる国や自治体に、どこまで対応できるでしょうか。
「個人が『移らない』という選択をしても、集落として考えた時に持続性が乏しくなる恐れがあるのは東日本大震災の事例が示しています。そして、今後は社会を支える働き手が減り、生活に欠かせないサービスの維持がますます困難になる。答えは簡単には見つからないと思いますが、能登半島の人たちには、ぜひ東北の現在地を見てもらい、新しいまちをどうするか、考えてもらいたいのです」・・・

4月20日の朝日新聞デジタルに載った「成否分けた復興「東北の現在地を見て」ミスター復興が伝えたいこと」の要約版です。

コメントライナー寄稿第17回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第17回「管理職を育てる組織へ」が4月26日に配信され、30日のiJAMPにも転載されました。

今回は、有名企業で起きている性能偽装の原因を取り上げました。調査に対して、部下は「開発スケジュールが厳しいことを上司に伝えても、上司が取引先に対しスケジュールの見直しを申し出ることはなく、むしろ、決められたスケジュールに間に合わせるよう指導を受けるのみであったため、スケジュールが厳しくても、上司に相談することはしないようになった」と発言し、管理職は「この業務の経験がなかったため、業務に詳しい担当者を信頼し、業務を一任していた」と答えています。

関与した当事者たちは悪いのですが、彼らにも言い分があるでしょう。「私はこの分野の専門家でなかったが、会社の人事でこの席に着いた」「同僚も上司も、このような仕事の仕方を続けていた。なぜ私だけが」と。

職場管理の訓練を受けずに専門外の部署の管理職に指名された職員と、管理職に相談してもどうせ何も変わらないと思っている部下。彼らより、そのような人事を行った組織と幹部の罪は大きいのです。

朝日新聞デジタル「震災と人口減」

4月21日の朝日新聞デジタル「「震災=人口減」なのか 過去の予測と実際の人口、比べて分かった差」に私の発言が少し載りました。連載「8がけ社会」4月20日の「朝日新聞デジタル「ミスター復興が伝えたいこと」」の続きとなります。

・・・大規模災害は地域の状況を一変させ、住民の流出によって急激な人口減少を引き起こす。能登半島地震の被災地もいま、この問題に直面している。ただ、必ずしもすべての被災地で、人口減が加速するわけではない。東日本大震災などの被災地で、被災前に作られた将来推計人口と実際の人口を比べると、地域ごとの違いが見えてくる。
朝日新聞は今回、市町村ごとの将来推計人口を定期的に公表している国立社会保障・人口問題研究所(社人研)のデータと、国勢調査による実際の人口を比較した・・・

・・・10年近く復興行政に携わった元復興庁事務次官の岡本全勝さんは元々の地域からの人口流出が加速した結果、「仙台市への一極集中、あるいは釜石市などへの小集中が進んだ」と指摘する・・・

朝日新聞デジタル「ミスター復興が伝えたいこと」

朝日新聞デジタルに、私の発言「成否分けた復興「東北の現在地を見て」ミスター復興が伝えたいこと」が載りました。連載「8がけ社会と大災害」の第7回です。

・・・能登半島地震の被害が大きかった奥能登2市2町は、地震前(2020年)に暮らしていた65歳以上の割合が48.9%と5割に迫り、15~64歳の人数を上回っていました。高齢化がさらに進み、社会を支える現役世代が減っていく「8がけ社会」のもとで、災害からの復興をどう考えるべきでしょうか。東日本大震災の被災地に長年携わり、「ミスター復興」と呼ばれた岡本全勝・元復興庁事務次官に聞きました・・・

回想「第1次地方分権改革・三位一体改革期の政策決定過程」

地方公共団体金融機構の「平成5年度若手研究者のための地方財政研究助成事業」、原田悠希・東海大学政治経済学部政治学科特任講師の「社会保障制度に関する政府間財政関係の改革-第1次地方分権改革・三位一体改革期の政策決定過程分析-」の研究過程で、当時のことを聞かれました。その記録が載りました。
私が話したのは1992年と2004年のことです。もう20~30年も経つのですね。歴史になったということでしょうか。聞き取りのうち、それらの改革について、私が役に立ったと思っている二か所を引用しておきます。

・・・地方分権については、五十嵐先生や中澤先生から呼ばれて「手伝って欲しい」ということでした。我々自治省は分権を進める立場ですから、願ってもない話です。ただ、地方分権の中身の話となると私の能力を超えるので、当時行政課にいた1年年次違いの佐藤文俊君に、声をかけて手伝ってもらいました。だから、分権推進法などの中身は、五十嵐先生と佐藤君が考えたといえます。
私がお役に立てたのは進め方の部分で、地方分権推進法案をどうやって国会を通していくかということを、先生と一緒に考えました。地方分権というと、大蔵省を筆頭に各省庁が反対をするわけです。また、野党の社会党から法案を出すと、与党の自民党は良い顔をしない。そうした中で、推進法の前に分権推進の決議をするという案を二人で考えました。「こういう手順で本当に動くかどうかはやってみないと分かりませんね」と五十嵐先生と話をしていたことを思い出しますが、とりあえず決議をやってみようということになりました。
実際には、この決議に「地方分権を積極的に推進するための法制定」が盛り込まれたことで国会の約束になり、推進法が制定され、物事が進みだしたのだと思います。行政改革とは違って地方分権推進については反対勢力も多かった中で、決議を先に出したというのは一つの工夫だったと思います・・・

・・・官房総務課長になってから三位一体改革で関与したことの中に、国庫補助負担金の廃止リストの案を地方六団体に提案して貰うという案を考えたということがあります。小泉純一郎総理から廃止対象補助金を各省に出しなさいと指示を出しても、各省は抵抗して出してきませんでした。麻生総務大臣は小泉総理と、閣議の後など、しばしば一対一で総理執務室で話をされていました。三位一体改革に限らず、様々な案件に関してだと想像します。ある日、各省から補助金廃止のリストが出てこないことが論点になって、このままでは前に進まないけれどどうするのかという宿題を、麻生総務大臣が小泉総理から貰ってこられました。
総理との会談後に、麻生大臣から私が大臣室に呼ばれて、この話になりました。私はとっさの思いつきで、「地方団体に案を出して貰うという方策はどうでしょうか」と進言しました。麻生大臣が目でニヤッと笑われたのを覚えています。
この案の意図するところは、補助金を貰っている地方団体が不要だというものについては、各省がそれ以上抵抗できない。もし地方団体の側が廃止リストの案を出せなかったら、補助金廃止を主張する地方団体は口先だけということになって、それ以上は進まない。どちらに転んでも小泉総理としては自分はやるべきことをやった、進まなかったのは自分のせいではないと言える。この案を麻生大臣が小泉総理のところに持って行って、2004(平成16)年5月28日の経済財政諮問会議で小泉総理が地方団体に案を出して貰うということを発言されました・・・