カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

日経新聞夕刊コラム第25回

日経新聞夕刊コラム第25回(最終回)、「人間修養道場」が載りました。

世間知らずというか、甘やかされたというか。若いときは「たいがいのことは、自分の思い通りになる」と思っていました。母親も近所のおばさんたちも、先生たちも、みんな大事にしてくれました。で、キョーコさんとの新婚生活は、ショックでした。
その後、家庭と職場の両方で経験を積んで、褒めること、頭を下げることを覚えました。なぜ、もっと早く気づかなかったのでしょう。反省。

「職場は人間修養道場だ」と、教えてくださった先輩に感謝します。
私が経験で得た知識は、『明るい公務員講座』と『明るい公務員講座 仕事の達人編』に書きました。皆さん、経験して学ぶことなのですよね。でも、そんな簡単なことは、それが基本なのですが、本には書かれていません。

25回の連載を、どのような形で締めようかと考え、この話を最後に持ってきました。キョーコさんは、合計3回登場しました。この項続く

日経新聞夕刊コラム第24回

日経新聞夕刊コラム第24回「明日香村」が載りました。

正確には、私が生まれた昭和30年当時は、奈良県高市郡高市村大字岡でした。その後に合併して、高市郡明日香村大字岡になりました。飛鳥村と書かないのは、合併した旧村の一つが飛鳥村で、新しい村の名前に明日香村を使ったのです。いずれも、万葉集に出てくる「あすか」(万葉仮名)です。本籍は、そこに残してあります。

「岡」と「岡本」というのは、古い地名のようです。岡寺という有名な寺があり、その門前町で栄えました。西国33ヵ所の第7番札所で、私の子供の頃までは、巡礼の人を見ました。春や夏のお祭りや市も、賑やかでした。今となっては、過去形です。
岡本宮は、7世紀に、岡にあった大和朝廷の宮殿です。岡の麓で、岡本と名づけたのでしょう。わが家の祖先も、それにあやかって、名乗ったようです。折口信夫さんの親戚になるとのことです。書かれたものにも出て来ます。「・・大和の明日香村岡寺前の岡本善右衛門の八男・・」。

石舞台古墳は、当時は石室の上に、登ることができました。あの大きな石ですが、ある方向からは、子供でも簡単に登ることができるのです。今は、登ることは禁止されています。玄室には、入ることができます。壁や天井の巨大な石が、怖かったです。落ちてこないかと。

小学校高学年になるまで、学校にプールはなく、青年団の兄ちゃんたちが、飛鳥川をせき止めて天然プールを作ってくれました。今となっては、ぜいたくな話です。
新たにできたプールも、飛鳥川の水を引き込んでいました。その季節になると、上流の家の子供たちはチラシを持って帰ります。「川の水をプールに使うので、農薬を使わないでください」といった趣旨が書かれていました。
魚、カエル、蛍、トンボ、蝉、モグラ・・・たくさん捕まえて、殺してしまいました。生き物たちにひどいことをしました、すみません。学校の解剖に使ったカエルは、板蓋宮跡の井戸(当時はそう呼んでいました)で捕まえました。
家では蚊帳をつって寝ましたが、玉虫も飛んできました。蛇もムカデも来ましたが。
昭和30年代の故郷の話は、始めると尽きません。それはまたの機会にしましょう。

来週で、この連載も最終回です。

日経新聞夕刊コラム第23回

日経新聞夕刊コラム第21回「鷹の目と象の時間」が載りました。
「鷹の目と蟻の目」、あるいは「鳥の目と虫の目」は皆さんご存じですよね。視野の広さです。拙著『明るい公務員講座 仕事の達人編』でも、わかりやすい挿絵を描いてもらいました(第3章扉)。

長期的な視野と短期的な視野を、どのような比喩で例えるか。なかなか良い言葉が見つかりません。そこでお借りしたのが、本川達雄著『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』 (中公新書、1992年)です。
初めてこの本を読んだ時は、驚きました。へ~、そうなっているんだと。もっとも、人間はこの算式に、ぴったりとは当てはまらないようですが。

このコラムにも書きましたが、鼠も象もお互いに、自分以外の「時間の進み方」は知らないのでしょうね。人間だけが、このように他の生物の「時間」を計測して、比較することができます。
もっとも、私たち個人個人は、自分の「時間」でしか物事を考えられないことが多いのです。だから、今回のようなコラムが成り立つのですが。
少し違いますが、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という金言があります。先達の経験と智恵を、どのように活用するか。ここに、できる人とできない人の差が出ます。

日経新聞夕刊コラム第22回

日経新聞夕刊コラム第22回「内閣官僚」が載りました。今回は、本業の話に戻って、官僚論です。
連載を読んでいる方からは、最近の私生活編について、「カルガモが良かった」「仏像、私も好きです」という反応があったのですが。まあ、硬軟織り交ぜてと、お許しください。

政治主導、そして内閣(官邸)主導が進むと、官僚の役割が変わるとともに、その養成も変える必要があるでしょう。もはや、これまでのような、各省で完結する官僚人生、官僚の人事管理は、基本モデルになりません。
既に、課長になるまでに、ほかの省などを2か所経験させる決まりがあります。視野を広げるためにも、よその釜の飯を食べる必要があります。それとともに、内閣官房を支える官僚たちを、育てる仕組みが必要なのです。
私の経験を基に、書きました。

日経新聞夕刊コラム第21回

日経新聞夕刊コラム第21回「仏像」が載りました。前回に引き続き、私生活編です。

生家の隣には、岡本寺というお堂がありました。ご先祖様が、つくったようです。
中は暗くて、大きな本尊(子安観音)が怖かったです。今は、お堂は建て替えられ、明るくなっているので、あの当時の怖さはありません(お寺も、わが家とは関係なくなっています)。

仏様は、美術品として鑑賞するのではなく、信仰の対象なのですが。信仰の対象だからこそ、厳かなお顔になったのでしょう。
ミケランジェロと比較するのは、不謹慎ですかね。あり得ない話ですが、「東西巨匠対決」って、想像すると面白いじゃないですか。
写真集やインターネットで、世界中の絵画や彫刻を見ることができます。便利な世の中です。そして、展覧会には、世界中の美術品が来てくれます。海外旅行もその気になれば、行けます。
しかも、お堂に安置されているより、展覧会の方が間近で、かつ適切な照明の下で見ることができます。もちろん、臨場感と厳かさには欠けますが。見る前に、手を合わせなければなりませんね。

画像は、次のサイトをご覧ください。リンクを張っておきます。「山田寺仏頭」、本当は斜め下から見たお顔が、引き締まっているのですが。見つけられないので。
竜燈鬼と天燈鬼」「竜燈鬼と天燈鬼の模型」。
東大寺戒壇院四天王は、かつては飛鳥園の写真を見ることができたのですが、今は見ることができません。

飛鳥園の写真は、プロが撮ったものなので、きれいです。私が卓上に飾っているのも、飛鳥園で買ってきたものです。
奈良に行かれた時は、飛鳥園に寄って、写真や絵はがきを買ってくることをお勧めします。かさばらないので、お土産にぴったりです。お店は、東大寺の前にあります。