朝日新聞5月12日「自省する戦後教育学、閉鎖性・運動との結びつきに批判」から。
政府の教育再生会議の委員には、教員経験者はいても教育学者はいない。このことについて、苅谷剛彦東大教授は、「戦後教育学の敗北」と表現する。「雇用制度を議論する審議会に労働法学者がいなければ、世の中は批判するだろう。しかし、教育問題では、専門家は不要と思われている」。
広田照幸日大教授は、「社会科学・人文科学の一分野として考えると、教育学は閉鎖的で、その水準もはなはだ心寒い」と現状を批判した。理由として広田教授は、戦後教育学がもっぱら日教組など革新側の運動と結びついて研究を深めてきたこと、「子どもの発達」など独自の「教育固有の価値」を学問の足場にすえたため、他分野との交流が難しかったことを挙げる。政治や経済が教育に及ぼす影響も「子どもの発達をゆがめる」と頭から否定するため、影響の分析自体に消極的だった。
一方で80年代以降、管理教育批判が起き、思想的にも学校や教師の権力性が批判される。かつて親や子の側に立って国家権力と対決すると考えられていた教師が、権力側に立って子や親を抑圧する存在と見られるようになった・・
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2006年度の結果
昨日、トヨタ自動車の2007年3月期決算が、発表されました。各紙の一面を飾ったので、ご覧になった方も多いでしょう。営業利益2兆円、世界一の自動車メーカーです。喜ばしいことです。売上高24兆円は、ロシアの国家予算と同額、日本の国家予算の30%にもなります。朝日新聞の図表が、わかりやすかったです。
さて、日本の国家財政は、まだ2007年度決算が出ていません。これは会計年度は3月までですが、5月まで出納整理期間があるので、数字が確定しないのです(遅れて納められる税金があるので、それを待ちます)。
もっとも、ここにも問題はあります。収納整理期間は、納めるべき税金は決まっているけど、納付が遅れているためのものです。だから、3月末には、取るべき税収の数字は、あらかた確定します(入るかどうかは不確定ですが、これまでの傾向値が参考になります)。ところが、国税はそうではないのです。1980年度に、税収不足を埋めるために、13か月分を税収としたのです。それ以来、法人税は、翌年5月以降に総額の約半額が入ることになりました(うーん。ということは、国税の出納整理期間は、6月までなのかな?すみません、勉強不足で)。
多分その当時は、「緊急避難」として知恵を出したのでしょうが、その後元に戻すことなく、この特例は続けられています(若い研究者や記者さんは知らないでしょうね。もう少し詳しくは、「新地方自治入門」p122。より詳しい資料を探しているのですが、財務省資料では見あたりません)。
国の特別会計
国の財政を議論するときに、多くの場合、一般会計が取り上げられ、特別会計を入れた全体像はよく分かりません。決算数値だと、GDP統計には合計で出てきますが、内訳の詳細が分かりません。国の財政の解説書や教科書も、一般会計のことばかり書いてあります。特別会計が書いてあっても、それは個別の会計の解説です。全体像を書いた本が、見あたらないのです。
わかりやすい資料を、教えてもらいました。財務省の資料「平成19年度予算政府案」の「特別会計の見直しについて」です(ちなみに、この予算政府案の資料も、主に一般会計について解説してあって、特別会計との合計・全体像は説明がありません)。
そのp5に、特別会計総額と純計額が載っています。それによると、19年度の特別会計総額は362兆円です。これは、一般会計総額80兆円の4倍以上もの額になります。ところが会計間のやりとりがあって、それを差し引いた純計額では、175兆円です。それでも、一般会計の2倍もあります。
もっとも、そこには、国債の返還80兆円、交付税の配分15兆円、財政融資資金への繰り入れ19兆円があり、これらは「仕事をしている」のではありません。すると、仕事をしているのは、残る63兆円です。このうち、社会保険給付が51兆円、その他が12兆円です。その詳細は、p6に載っています。
残念ながら、この資料では、財源が分からないのと、性質別支出区分が分かりません。だから、例えば人件費総額や公共事業総額は出てこないのです。また、税収も特別会計に入る分があって、別の資料を見ないと税収総額も出てきません。
改革指向型論文
年金、医療、介護、社会福祉、公的扶助について、現状・課題・改革への青写真が論じられています。日本の社会科学は、過去の分析と仕組みの解説に偏していますが、このように社会保障など経済財政政策分野は、改革指向型の論文が増えてきています。
消費の飽和状態。変化への遅れ
日経新聞22日鈴木敏文さん(コンビニの「セブンイレブン」・スパーマーケットの「イトーヨーカ堂」元社長といった方がわかりやすいですね)の「私の履歴書」から。
・・1992年、世の中はバブル崩壊後の低迷期に突入していた。総合スーパーは成長が鈍化した。「ものが売れないのは不景気のせいだ」と、誰もが考えた。しかし本当はそうではなく、80年代を通して進行した消費構造の変化、売り手市場から買い手市場への変化が本格化したと、私は思った。
お金がないから買わないのではなく、欲しいと思う商品がないから買わない。実際、世帯の月平均可処分所得は90年代も伸び続け、一番高かったのは96~97年ごろだ。デフレも進行し、「安くなければ売れない」と誰もが言ったが、安くても既にある同じようなものはいらない、と考えるのが消費の飽和状態だ。
通常1着3万円以上するスーツを海外で大量生産し、8,200円の常識破りの価格で売り出したことがある。5日間で11万着売れたが、第2弾は不発に終わる。顧客は「新しい仕掛け」に価値を認め、第2弾の同じ企画にはもう価値を認めなかった。
・・90年代後半から、ヨーカ堂では衣料品部門の業績は下降するが、その要因は消費マーケットが変化しているのに、過去の成功体験で対応しようとしたところにあった。人間は、環境が厳しくなるほど、過去の経験に縛られてしまう。意識を変え、行動につなげることは、本当に難しい。