カテゴリーアーカイブ:社会の見方

日本でのミクロの希望とマクロの希望

2007年4月18日   岡本全勝
17日の東京新聞「即興政治論」は、宇野重規准教授が、「今の日本、希望を持てますか?」に答えていました。
・・2千人を対象に行ったアンケートでは、8割の人が何らかの希望を持っていると答え、さらに6割は漠然とした希望ではなく、将来実現の可能性のある具体的な希望を持っていると解答しました。私たちは希望額プロジェクトを始めた時点で、「今は希望がない」という大前提で議論を始めましたから、これは意外でした。
今、若い人には希望がないという議論がされていますが、調査をすると、若い人の方が希望があり、お年寄りほどありません。
5年以内に自動車を買いたいといった、個人レベルの「ミクロの希望」と、より大きい例えば日本社会がどうなるのかといった、「マクロの希望」を区別して考える必要があります。日本が経済復興を果たし、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたころから、日本社会に希望があるかないかというマクロの希望はあまり議論されなくなり、もっぱら個人としてのミクロの希望が語られるようになりました。マクロの希望が再び議論されるようになったのは、バブル経済崩壊に伴って、ミクロの希望が頭打ちになったころからです。ただ、個人の不満が高まっているところで、国策としてマクロの希望の回復が語られるのは、健全ではありません。
・・個人にミクロの希望がない時代には、ヒトラーのように、大きなビジョンとして偽りの希望を示し、人々を引っ張っていこうとすることは、往々にしてあることです。ミクロの希望の行き詰まりを、マクロの希望で解決しようとするのは、ナショナリズムも同様です。
健全な希望を回復するためには・・・悪条件を一つ一つ取り除き、個人の希望が社会的につながっていくのを助けることが、政治の役割ではないでしょうか。政治が能動的に大きな希望を提示するのは、ちょっと違うのかなと思います。

日本の労働生産性

2007年4月11日   岡本全勝

11日の日経新聞は、日本の労働生産性が、アメリカの7割であることを伝えていました。この数字は、OECD平均より劣ります。サービス分野が低く、産業別では、飲食・宿泊が4割、卸・小売りが5割以下です。

少子化対策予算

2007年4月10日   岡本全勝
10日の日経新聞は、「少子化対策、財源論議へ政府試算」を紹介ししていました。フランス並みの少子化施策を導入すると、年間10兆円となり、現在の3倍もの予算が必要になるとのことです。
前にこのHPで、公共事業予算は西欧各国を上回っていることや、公務員数は西欧に比べ少ないことを紹介しました。西欧をまねする必要はありませんが、彼らに比べ、日本はどこに多くのカネと人をつぎ込み、どこにつぎ込んでいないかを調べるのは、有意義だと思います。これまでは、各省・各部門が「私の分野は少ない」と主張することは、ままありました。それらも利用して、全体的詳しくに知りたいのです。どなたか、やってくれませんかね。

豊かな社会の不満と政治

2007年4月9日   岡本全勝
7日の朝日新聞異見新言は、宇野重規准教授の「選挙の争点、政治は格差を語れるか」でした。
日々、格差問題が語られているにもかかわらず、これが本当に政治問題化するかは、今のところはっきりしない。
格差の問題を痛切に感じ、格差の広がりに対して不満を持つ人の数は少なくないはずであり、不満を持つ人々が結集すれば、一つの政治的な力となるだろう。しかしながら、不満を持っているという点では、一致団結できるとしても、何に不満を抱いているのか、どこにその原因があるのかを論じ始めると、たちまち団結は崩れてしまうのが現状である。
というのも、かつての不満が階級意識とも結びつき、社会のなかで一定の数を有し、はっきりとした輪郭を持つ社会集団とのかかわりを持っていたのに対し、現代の不満の特徴は、一人ひとり多様で、ますます個別化する傾向を持っているからである・・・
この説には、納得します。豊かな社会での格差や不満が、かつてのような政治集団や政治的主張にならないのは、こういうことなのですね。豊かな社会での不安・不満と行政の関係は、「新地方自治入門」p180以下に書いておきました。

財政赤字は子どもを抵当にした借金・カナダの例

2007年4月8日   岡本全勝
9日の日経新聞「月曜経済観測」、カナダのフレアティ財務大臣のインタビューから。
カナダは、今では財政の優等生と呼ばれるが、過去には歳出が膨張し続けた時期がある。1970-80年代は巨額の政府支出が内需を支え、国も州も借金地獄に陥った。国民は財政拡大と赤字を気にせず、むしろ支持していた、なぜなら国民は、政府債務の増大が、将来の増税につながると想像しなかったからだ。国の財政と自分の日々の生活を、直感的に関連づけて考える人などいない。ここに政治家や政策当局者が陥る落とし穴がある。
だが、借金はいつかは返さなければならない。支払いを先送りしても、将来は税収で埋めるしかない。つまり、自分の子どもを抵当に入れて、借金をするのと同じだ。そこで、子どもの将来を真剣に考えるよう、国民に訴えた。財政赤字の本質とは、世代間の不公平なのだと明言した。親が子の生活水準の向上を願うのは当然だ。90年代にかけて、財政問題に関する国民の認識が、徐々に変わっていった。もし今、財政赤字を容認すれば、その政権は国民に政治的に排除されるだろう。日本ではどうだろう・・・