今朝は、近くのスーパーの店先まで、牛乳パックとペットボトルキャップを回収箱まで入れに行きました。そのホームページによると、13店舗で年間牛乳パックを48トンも回収しているのです。
先日、「地元のゴミ分別状況」(7月22日)を書きました。杉並区の資料によると、年々資源回収量が増え、ゴミが減っています。特に近年、ペットボトルとプラスチック包装の回収を開始したので、不燃ゴミが激減しています。平成19年度の2万3千トンから、20年度の5千トンへと。
日本のゴミの分別は、世界一の水準だと聞きました。ちなみに、区のホームページには、様々なゴミの分け方と捨て方が載っています。確かに、このような「指南書」が必要ですね。学校では教えてくれない、移住者がわからない暮らしのルールです。明治時代の日本人が現代に来たら、とまどうでしょう。便利になった産業社会に必要なルールです。
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情報化社会を支える暗号
辻井重男著『暗号―情報セキュリティの技術と歴史』(2012年、講談社学術文庫)が、勉強になりました。私たちが「暗号」と聞いて思い浮かべるのは、軍事・外交での暗号です。第2次大戦での、ドイツのエニグマ暗号、日本の紫暗号など、その解読が戦争の勝敗を決めたという評価もあります。
そのような「暗い暗号」ではなく、近年は「明るい暗号」が社会で活躍しています。キャッシュカードの本人確認、インターネットでの本人確認、文書の本物であることの確認など、ITの発達・情報化社会で、秘密にする事柄と本物であることの確認作業が増えたのです。それを、「明るい暗号」が支えています。
「公開鍵暗号」といいます。鍵を秘密にせず公開するのです。しかし、その鍵は本人しか開けることができません。う~ん、私には「たくさんの桁の数字の掛け合わせで暗号にし、それを元の(ある一つの)掛け合わせに分解できるのは本人だけ」としか理解できませんでした。パスポートやクレジットカードの署名(公開済み)と、本人が目の前で書く署名が合致しているかを確認する例が出ています。この場合は、コピーで直ちに複製ができてしまいます。それを数学で複雑にして、簡単には複製できないようにします。
個人情報や企業情報が大量かつ瞬時に交換され、しかも他人には見られないようにする。大変な技術が使われているのです。
栗田参事官の新著、新しい公共
復興庁の栗田卓也参事官が、岩波書店から『都市に生きる新しい公共』(奥野信宏先生と共著)を出版しました。前著『新しい公共を担う人びと』に続く第2弾です。
以下、著者に聞いた概要を、転記します。
・・ここで「新しい公共」とは、公共心を持って社会で必要とされるサービスを提供する活動や活動主体、それらの意義を評価する価値観を指しています。東日本大震災の被災地では、市民ボランティアやNPO法人の生活支援活動以外にも、復旧・復興のための志ある資金の提供、被災企業の立ち上げ支援など、人の繋がりに支えられた新しい公共の多様な姿を見ることができます。
わが国では、人口減少と高齢化が進む中で、先進国に相応しい安定感ある社会の構築が求められています。その鍵を握るのは、新しい公共の育成だと考えます。
前著では、主に地方圏での取組みを紹介しました。新著では、都市圏に息吹く新しい公共の担い手の取組みの実例をもとに、それらが都市の魅力をどのように創出し、豊かで安定感ある都市と地域社会の形成に寄与するかを分析しています・・
ご関心ある方は、ぜひお読みください。
栗田参事官は、復興庁で忙しく仕事をしながら、東京大学公共政策大学院へも特任教授として講義に行っています。その精力的かつ多面的な活動に、脱帽します。
地元のゴミ分別状況
杉並区の広報誌に、ゴミの分別状況が載っていました。それによると、杉並区(54万人)の1年間のゴミの量は、10万トンです。前年比で1%減少し、区民一人あたり、1日に541グラム出しているそうです。
他方、資源として回収されたものは4万トンもあります。内訳は、古紙が2万トン、ビンや缶が8千トン、プラスチックやペットボトルが7千トンなどです。新聞販売店が行っている古紙回収はこの外でしょうから、資源として回収されたものはこれより多いでしょう。
住民の協力で、これだけの成果が上がるのですね。
国内で満足し海外に攻めなかった製造業
6月15日日経新聞「迫真。テレビなぜ負けた」の第4回は「これでシャープに勝てる」でした。
シャープ亀山工場の建設が始まったのが、2002年。液晶パネルからテレビまでを一貫生産する、世界初の垂直統合型工場を造りました。最先端技術をブラックボックスに閉じ込め、韓国、台湾勢の追随を許さない戦略です。
しかしその頃、韓国サムスン電子は、全く違ったことを考えていました。「これでシャープに勝てるかもしれない」。この時、サムスンが恐れたのは、シャープが液晶テレビの海外生産に乗り出すことでした。しかし、海外に進出することはありませんでした。それは、パナソニック、キャノン、ホンダも同じで、国内で大型投資に踏み切っていました。
「日本のものづくりは強い」と自信を持ち、1ドル=100~113円の円安にも助けられ、ミニバブルに酔っていたようです。モーニング娘。が「日本の未来は、世界がうらやむ」と歌っていたのが、1999年でした。
また、日経新聞電子版、西條都夫編集委員の「内なる顧客とともに沈んだ日の丸半導体」(6月13日配信)は、日本企業の内向き体質が顕著になったのは、1990年前後のバブル期だと指摘しています。
日本の半導体製造業は強かったのですが、一方、半導体を購入する市場規模でも世界の40%を占めていました。半導体メーカーは、国内のお客に食い込んでおれば良かったのです。しかし、半導体のユーザーである日本の家電メーカーが弱くなると、日本の半導体メーカーは弱くなり、韓国や台湾企業に負けるようになりました。
つい数年前まで「日本のものづくりは世界一」と言われていたのですが、あっという間の変化です。日本のメーカーが変わったから、ではありません。変わらなかった、世界の動きについて行けなかったから、後れを取ったのです。
かつて「日本の官僚と行政は世界一」と言われていたのが、1990年代以降、大きく評価を下げました。これも、日本の官僚と行政が変わったからではなく、社会が変わっているのに、行政が変わらなかったからだと、「行政構造改革」で論じました(連載は、途中で中断したままです。反省)。
でも、悲観することはありません。いろんな製品や分野で、世界のトップグループにいます。欠点がわかったのですから、それを見直して、努力すればよいのです。